山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

論点

2018年12月28日 | 日記


もう年の瀬。今年は何回日記を書いたのだろう。有料登録も解いた。飛躍の年になると期待したが、離陸失敗と言ったところだろう。学ぶだけ学んで机上の空論となって、海に降る雨のように、無人の部屋にこだまする格言のように、学んだことが消え去っていくような怖さがある。実践しないと。そういった焦りの一方で、息子と過ごすことにこの上ない平穏を感じて、それを乱すならば仕事なんて1ミリもしたくないと思う心もある。私は仕事が忙しくなると、家で機嫌が悪くなる、上の空になることが定められており、避けることができない、不可避な事象として定められており、仕事を忙しくなると家族がつまらなくなる事も定められており、二者択一、共存不能な不能者であることが明確にされています。子どもが無条件で大好きと言ってくれるこんなボーナスタイムに、その時間を仕事に割くほど愚かなことはない。それよりも大切な仕事をしていないことが不幸なのか。

家族でJAXAの施設見学に行ったとき、鏡を使った宇宙での船外活動の訓練として、鏡に写った図形を鏡越しに手元を見ながらなぞるという体験があったのですが、これが全くできない。左上に進みたいのだけど、手が動かない。上下逆の左右は意識と逆という神経回路がショートして、その場でモジモジして動くことができなくなってしまった。宇宙飛行士失格の烙印をおされるとともに、生真面目な小学生が静かに宇宙について学ぶ空間にいい年した夫婦がゲラゲラと笑い声をあげてさわぐ両親に唖然とする息子にまた笑いがこみ上げた。

辺野古について記事が飛び交うが、無関心こそが愛の対局にあるのであれば
、論じることはどちらの意見でも良いことだ。しかし、辺野古の問題を環境問題とすり替えることは論点ずらしである。

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