山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

風邪だね。

2015年05月27日 | 日記
風邪を引いた。定例会みたいなもの。子どもに移さないように、リビングで寝る。なんだか、自分の部屋を与えられたような気がして、押し入れを秘密基地にしていたことを思い出した。ライトが布団を焦がして、母親に摘発されて終るという、笑えない最後を迎えた。ん?文章からして悪いのはライトで自分は悪くないというスタンスがよく出ている。私らしい責任転嫁だ。

この頃問題解決に追われて、+αなことができていない。やっぱりじわじわと仕事に追われてきたようだ。そんなつもりはないけれど、そんな破綻を繰り返していくのかもしれない。ドーンと構えて大きな組織を動かす男にならないとね。あたふたしちゃいけない、それが最近の課題です。

都構想や辺野古の問題についてあれこれ記事が流れてくるけれど、相手の間違いや劣っている点を指摘することで、自分が正しい行いをしているような変な優越感を感じている人間が多くいる。指摘することは、指摘するだけであって、行いにはならない。間違っていると言うだけでは、優越感に浸る段階ではない。橋本さんを的確に罵倒しても、罵倒しているあなたは罵倒しているだけであって、それ以上でも、それ以下でもない。呑み屋でテレビに向かって吠えている酔っぱらいと同じで、阪神が勝っても負けても、あなたが吠えたこととはなんの因果関係もない。ネットにはそんな情報が多すぎてみる気が失せる。安部政権は丁寧なという言葉を多用することが腹立つ。むず痒い。なんが丁寧なんだと。

辺野古は反対している人が正義で、賛成派が悪者という分かりやすい構図ができてきた。基地からの恩恵をがっちり受け取っている人たちが壇上で反対を叫ぶ姿はどうしていいのか分からなくなる。でも賛成だと言える空気がないことくらいは分かる。県民の意思で埋め立てたビーチでビーチパーティをして、反対を叫ぶ。反対を唱えているその場所は、沖縄では貴重な干潟地帯だったのでは?そことあそこは何が違うのか。本当に何に反対しているのか。きれいな海と戦争のない世界を作りたい。自身の利権が絡まないのであれば、みんなそう思う。反対運動というのは具体的な解決策を示さず、理想を大義名分としてかざして暴れまくるから、たちが悪い。賛成では無いけれど、なかよしこよしの反対運動を見ていると、叶うことはないのだろうなと悲しくなる。ただ反対するなら代案出せというのは確かにおかしい。お国のためにと我慢させといて、代案は県で考えろなんてね。

この第三案が思い付いたら一流の政治家にでもなれるんですかね。