台風が来た。今は勤務するホテルの一室で待機。休日出勤にも関わらず仕事が降ってくるので待機部屋に逃げ込んだ。
小高い丘に、海側を下にVの字の建物がたてられていて、そのVの右上の一角にて、雨が叩きつけられる窓際に座り、携帯をチコチコ触っている。ここ数年同僚と酒を飲みに行くこともめっきり減っていて、ロストエイジが来たとき久しぶりにゆっくりと男二人酒を飲んだ。彼は相変わらずで安心するが、変わらずいつも存在している日常という問題が鮮明に見えてきたのか、これまでよりは非日常と日常で区別するようになってきたような気がする。その非日常を日常とする方法がないかといつも考えるけれど、非日常であることが存在意義であるとすれば、循環関数のようにエラー表示されてしまう。循環関数なんてものはごくごく単純なものであるように、この問題も簡単なものだ。合間見えることはない。
沖縄の精神的なもの、生活のこと、少しだけ音楽の話をして、大阪のラジオにその場で電話出演して(笑)、iPhoneのすごさを聞いてとっても欲しくなって、何かしてあげられないかとお節介なことを考えて、何もできないことにがっかりするも本人が頑張るしかないと開き直り、なぜか穏やかな気持ちになって解散した。
次の日のライブには沖縄のバンドも出ていて、正直期待していなかったのだけど、素晴らしいバンドにも出会うことができた。久しぶりに聞く大音量は音楽がいいこともあって心地よく、こんな環境にいつでも居ることのできた頃が懐かしく思えた。でもこうして近くのライブハウスにもこうしてこんな環境が存在しているのだから、自分の少しの努力が足りないこととと興味がなくなっている事実にさみしくなる。
トリにでてきた彼等の音は重厚でクリアで神経が自然とそちらに集中してしまう。その存在感は強烈で、これまでの時間とは別の時間が始まっていた。それでもこれまでと少し違うのは、柔らかい感触がしたこと。この存在感であと一歩、変態の領域に踏み込んだところを見てみたい。
ライブ後3日間耳鳴りが止まず、久しぶりのこの感覚に馴染めなくて苦しんだ。こうして私は日常に戻ったのですが、次の週末には彼女を連れて奈良に帰省。USJに行ってミナミをふらつき、お好み焼きを食べて奈良に向かい、平城京に行ってもせんとくんはおらず、ベンチで柿の葉寿司を食べて隣のおじいちゃんの話を聞いて感心し、天秤衣装に着替えて大黒殿を見物して、疲れてタクシーで奈良町に向かい、通学路が観光客でごったがえしている異様な状況と、takutoが言っていたようにフランス人が沢山いることに驚き和食屋で家族と一緒にご飯を食べた。当然幼い頃の私の話に及び、家に帰ってからは幼い頃のアルバムをひっくり返して見てみると、全体的にはかわいいはずの幼少期に、奇跡的なほどおっさんっぽい私がスイカのウエストポーチを着けて熊の乗り物に乗っている写真が出てきて思わず笑ったのがこの写真。プロフィールはこれを使おうかな。
疲れきって那覇空港にたどり着いたとき、また帰ってくる場所が沖縄でよかったな思う。今回奈良のよさをまた感じたけれど、こうしてこの地に戻ってこれたことは一つの努力なんだと思う。能動輸送と受動輸送で言うと、私は能動的にこの場所にとどまらないと追い出されてしまう人間だと思う。これからもこの地で頑張っていく。そう決めた自分を再確認した日でもある。
小高い丘に、海側を下にVの字の建物がたてられていて、そのVの右上の一角にて、雨が叩きつけられる窓際に座り、携帯をチコチコ触っている。ここ数年同僚と酒を飲みに行くこともめっきり減っていて、ロストエイジが来たとき久しぶりにゆっくりと男二人酒を飲んだ。彼は相変わらずで安心するが、変わらずいつも存在している日常という問題が鮮明に見えてきたのか、これまでよりは非日常と日常で区別するようになってきたような気がする。その非日常を日常とする方法がないかといつも考えるけれど、非日常であることが存在意義であるとすれば、循環関数のようにエラー表示されてしまう。循環関数なんてものはごくごく単純なものであるように、この問題も簡単なものだ。合間見えることはない。
沖縄の精神的なもの、生活のこと、少しだけ音楽の話をして、大阪のラジオにその場で電話出演して(笑)、iPhoneのすごさを聞いてとっても欲しくなって、何かしてあげられないかとお節介なことを考えて、何もできないことにがっかりするも本人が頑張るしかないと開き直り、なぜか穏やかな気持ちになって解散した。
次の日のライブには沖縄のバンドも出ていて、正直期待していなかったのだけど、素晴らしいバンドにも出会うことができた。久しぶりに聞く大音量は音楽がいいこともあって心地よく、こんな環境にいつでも居ることのできた頃が懐かしく思えた。でもこうして近くのライブハウスにもこうしてこんな環境が存在しているのだから、自分の少しの努力が足りないこととと興味がなくなっている事実にさみしくなる。
トリにでてきた彼等の音は重厚でクリアで神経が自然とそちらに集中してしまう。その存在感は強烈で、これまでの時間とは別の時間が始まっていた。それでもこれまでと少し違うのは、柔らかい感触がしたこと。この存在感であと一歩、変態の領域に踏み込んだところを見てみたい。
ライブ後3日間耳鳴りが止まず、久しぶりのこの感覚に馴染めなくて苦しんだ。こうして私は日常に戻ったのですが、次の週末には彼女を連れて奈良に帰省。USJに行ってミナミをふらつき、お好み焼きを食べて奈良に向かい、平城京に行ってもせんとくんはおらず、ベンチで柿の葉寿司を食べて隣のおじいちゃんの話を聞いて感心し、天秤衣装に着替えて大黒殿を見物して、疲れてタクシーで奈良町に向かい、通学路が観光客でごったがえしている異様な状況と、takutoが言っていたようにフランス人が沢山いることに驚き和食屋で家族と一緒にご飯を食べた。当然幼い頃の私の話に及び、家に帰ってからは幼い頃のアルバムをひっくり返して見てみると、全体的にはかわいいはずの幼少期に、奇跡的なほどおっさんっぽい私がスイカのウエストポーチを着けて熊の乗り物に乗っている写真が出てきて思わず笑ったのがこの写真。プロフィールはこれを使おうかな。
疲れきって那覇空港にたどり着いたとき、また帰ってくる場所が沖縄でよかったな思う。今回奈良のよさをまた感じたけれど、こうしてこの地に戻ってこれたことは一つの努力なんだと思う。能動輸送と受動輸送で言うと、私は能動的にこの場所にとどまらないと追い出されてしまう人間だと思う。これからもこの地で頑張っていく。そう決めた自分を再確認した日でもある。