山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

お手数お掛けしました。。。

2016年08月22日 | 日記
視力の低下が心配で眼科に来てはいるけれど、なんだか今日はよく見える。そんなもんだと思いはするが、健康だと安心するために病院に来るようになったら、病院を集会場にしている老人に仲間入りだ。私は46番、今は21番。猫ひろしならフルマラソンを完走してしまうくらいの時間を待たされるのだろうかと思い日記に向かう。

昨日は遅くまで仕事が終わらず疲れていた。トランクのドアにぶつけて切ったまぶたは「なんかやったんだ」と、言われたり、誕生日の夜に遅くまで残る私に「なにか期待してるの?」とウイットに富んだジョークのお祝いに感心したり。仕事を終えた彼らが途端に子供のようにはしゃぐ姿に、この職場も捨てたもんじゃないなと感じた。

ひとり神妙な面持ちで話しかけに来た部下は、ここを離れて個人店で働きたいと言う。





charge myself

一人でも多くの人に、沖縄の地で海とふれあい、美味しい食事を食べ、楽しい酒を呑んで、また自分が頑張るべきところで頑張る力を養ってもらう空間。

シンプルに分かりやすく、親切かつ丁寧に。

未来のこどもたちにこの旅を。









働くあなたたちにもそんな空間と時間を提供したかった、と、悔しい思いで話をした。なんだか少し明るい顔をして、頑張ってみると帰っていった。私は悲しい気持ちなのにね。

倒産を経験して、課題に取り組める場所があるだけでありがたいということを学んだ。お店がないのにやる気はあるというのは、渡航予定がないのにDFSにいるような、、、違うな、視力が1.2なのに眼科にいるような、、、それも違うか。そもそも例える必要もなく、やる気をぶつける場所がないのはもどかしい。だから目の前に課題があるのにそれを避けて横にスライドするのは嫌いだ。ぶつかって、ぶち壊して乗り越えて、くだらねぇとつぶやいて、次に進んでください。

やっぱり、私の目は元気です。手間とらせてすみませんでした、先生。偉そうなこと書くのもそろそろやめます。

怒り

2016年08月11日 | 日記
自分の怒りがコントロールすることができずに苦戦する日々。今に始まったことではないですが。腹が立つこと納得がいかないことが起きたときの対応能力のなさが原因。例えば、一車線の道をゆっくりと走る車の後ろに付いて運転するのはなんの苦もない。なのに二車線の右車線をゆっくりと走り続ける車の後ろでは怒る。運転しているのが年寄りなら諦める、若者なら気づいてくれてくれることを期待して軽くあおる、携帯をいじってたらまた怒る。そんな感じ。納得できるかできないかのラインがある。そのラインが狭すぎるのが怒りやすい原因なのか。もしかしたら大変な知らせが来てしまって動揺して携帯をさわりながら運転をしているのかもしれないと思えば許せるのかもしれないけど、そうは思えない。

怒らない=どうでもいい

こうゆう感覚がある。今怒らないと、この事についてこの人はこだわりがないのだろう、怒ることでそんなに思い入れがあるのか、と思われることを期待している、そうであってほしいと思っている部分がある。逆に人の本気度合いを探るときにそんな杓子で見ることもある。

そんなこの頃。