山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

ホットスポット

2006年03月31日 | 日記
オフラインでも一応ブログライターで書いておいた日記を更新したり、メールをみたり、いつものサイトをチェックしたりしたくなったので秋葉原に行って無線ランカードを買いに行ってホットスポットを確認して帰ってきた。午後の予定までは時間があったから比較的ゆっくり出来るであろう図書館の位置をロビーの可愛い女の子に聞いて、隣駅だったけど見えてるし歩いても10分てところだったからリュックにPCを入れてスニーカーを履いて出発。外はまだ肌寒いけど春の日差しが気持よくて散歩をするには持ってこいだったし、桜の花をもう少しゆっくり見たいと思ったからいつもよりさらにゆっくりあるいた。図書館について受付のこれまた可愛い女の子にネットをしたいというと席を案内してくれた。さっそくPCを立ち上げてみたもののいっこうにオンラインになる様子が無くて困ってしまって、さっきの女の子に聞いてみるとそおゆう契約をしないといけないことを丁寧に説明してくれた。困ったときに助けてくれる可愛い女の子にとことん弱い自分は、お礼をしたいとその場で夕食の約束を取りつけて携帯を交換して意気揚々と図書館をあとにしたと言うのは嘘で、丁寧にお礼だけいって会釈だけして出ていった。

やっぱりおんらいんにしたかったから電器屋を探そうとまた歩き始めると、川沿いに何本かの桜が咲いているのを見付けて散歩に切り替えることにした。川をわたり商店街をぬけてオフィス街を眺めて路地を抜けてとしていると2時間が過ぎていた。さすがに足も疲れてきたから家に戻りこうして日記をかいている。自転車がほしい。

2006/03/19

2006年03月19日 | 日記
高校の友達に切れてしばくぞって言ってしまってそいつにそんなんやくざやぞって言われて同じこと中学の時の担任に言われたことを思い出した。納得できるけど大嫌いな担任と友達がかぶった。何に切れたって、いくつになってかないもしないはずの夢追い掛けてんねん、そんなんくずやん。て言われたこと。おれにはまだってかこれから先も、社会的なんて言葉で片付けたくないこととか、現実をみてなにかをあきらめるなんてことを肯定するようなこととかを胸はって誰かに言うような人間にはなりたくない。それが現実であったとしても。ガキの抵抗やと言われたとしても。おれがそういう人間になっていってるとしても。それを心のどこかで思っているけどあきらめないといけない時が来るんやと妥協していると思ってた友達に妥協じゃない絶体やと言われたことがいややった。おれがおかしいんかもしれん。でもロックが好きやと言って公務員になるおまえよりも、ロックがやりたいと思ってロックをやりつづけようと努力してるあいつをおれは大切にしたい。そんなおまえにあいつの文句を言わせてほっとけるほどおまえらのいう大人じゃ俺はない。自分の子どもに小さいときからそんな話をして育てるんか?そうやって育てられた子どもがいい人間になると思えるんか?社会的にはいい人間になるって言うしそれが絶対的にいいって言うやろうけどお前そんな人間やったっけ?頭に血がのぼった。それを差し引いても今日は悲しかった。話したくないって思った。それ以上話す意味が見付からなかった。ほんとに嫌な思いをした。おまえもそおだったんだろう。それはお互いに大切にしたいものを侮辱しあったからやと思う。もうこんな話はしたくない。大切にしたいものなんてちがうやん。でもそれは違うんじゃなくて絶対的な順位があるという。もおやめよう。

仙台港

2006年03月15日 | 日記
苫小牧でフェリー乗り場が分からずに出航20分前に〔西港フェリーのりば〕とだけ書いた看板を見付け、これで違うかったら終わりだな、と、ネットで往復ともに関空-函館のチケットを買って当日空港に行くまで気付かなかった日以来の大ポカをするじゃないかと鼓動が早くなった。乗り場に着くとターミナル前にヤクザでもしないんじゃないかってくらいに車をヤクザ止めして、受け付けに走った。そうしてなんとか乗り込んだフェリーも無事仙台港に着いてくれたし天気も良いし空いてる船旅はただただ活字を読むくらいしかすることがなかった。ピラフを頼んで谷崎純一郎の〔刺青〕なんか読んで、目の前の店員の女の子の背中に女郎蜘蛛が居たりして、なんて変な興奮はしなかったけど、馬鹿な想像はしてみた。明日の朝名古屋に着くまでこんな馬鹿な生活がつづく。

医者嫌い

2006年03月10日 | 日記
久しぶりにPCが復活。

単に学校に置いてあって取りに行くのがめんどくさかったのと、取りに行ったけど電源ケーブルを忘れたから結構長いこと使えなかった。

携帯もいいけど壊れてるからね。

画面が移らなくなる。

ウィルコムにする。




最近コメントに医者に行かない話をしたから書こう。

既に書いたと思って見返してみたけど書いてなかった。

めちゃくちゃ長くなるよ。


あれは2001年の9月。

札幌にも慣れてきたかな~、なんて思った頃に函館の強制収容所へ送り込まれた。

それは一応進級できるということの証だったからめでたいことだけど、やっぱりあんまり気持ちのいいもんじゃなかった。

それでも、函館に移住させてもらえない、いわゆる留年が決まった友達のことを考えるとそんなことも言っていられない。

函館への引っ越しを控え、あまりにもひどい一人暮らしの残骸を箱につめるだけでかなりの労力を要し、やっとの思いで引っ越しまでこぎつけたパパ(papaiya)とモッズ(同居人)と3人でその日の夜に函館に向けて出発する予定だった。

それぞれ車を持っていたから、まずい山○火で腹ごしらえをしてから3台連なっていざ出発。

何でかその日、誕生日であったリッキーも一緒に函館に行くことになった。

彼はフランス語選択で入試したことで、入ってからの英語をみんなに心配されたにも関わらず、見事合格。

でも教養が足りずに留年。なんてこった。

一番長い時間を過ごした友達だったから本当に悲しかった。

一緒に住んでいるモッズよりも、一緒に食った飯の回数は多いと思う。


その時点で、台風が来ていて、中山峠は閉鎖されるかもしれないと、急がば回れ的な考えで5号線で函館を目指すことになった。

本州では考えられない距離の遠回り。たぶん50キロくらい違うんじゃないか?

ひどい雨と街頭のない暗闇のせいで視界が悪く、ただでさえ300キロはある道のりが非常に遠く感じられた。

それでも休憩を挟みながら長万部までたどり着いた。

残り100キロ。

少し腹ごしらえをして、いざ出発と意気込んで進んでいくと警官が立っている。

「トンネルが崩れたから江差のほうに迂回してください!!」

「結構遠いんですか?」

「距離はわかんないけど、日本海側まで抜けてもらわないといけないからかなりあるよ。」

一同唖然。

誰かがガソリンがもたないかもしれないからスタンドはあるのか聞いたところ、これまた結構な距離をいかないとないかもしれないらしい。

腹ごしらえをした休憩地点まで10キロほど引き返してガソリン満タン。

行くしかない。

迂回地点では相変わらず警官が誘導している。

ただでさえ人気のない北海道の道をさらに迂回して延々山の中を走る。

雨はいくらかましになったもののなんだか熱っぽい。

疲れからなのか風邪をひいたらしい。

それでも運転する。


小川を越える小さな橋をわたるとゆるい右カーブがある。

対向車線にトラックが見えて、幾分狭くなっている橋ですれ違うのは嫌だなと思って少しスピードを落とす。

後ろには二人がついてきていて、さすがに二人も疲れているだろう。

トラックがカーブを抜けて橋を渡り、右にそれていく。

それていく!?

いやいや!カーブ終わってるし!!

え!?車の下ってそんなんなってんの!?

お腹見せちゃいけないよ。

最後は居なくなってしまいました。


そうなんです、橋を渡ったところに台風のせいかぬかるみができていて、そこにタイヤを取られて低くなった路肩にトラックが横転していったんです。

結構あっさり落ちていきました。

ほんとに。

ほっておくこともできず、車を止めて見に行くと、白い煙を上げて一段低くなったところにトラックは横たわってました。

助けないと。

その一心でトラックによじ登り、落ちていた棒でドアを抉じ開けようとがんばってみたけど運転手がうめき声を上げだして、どうやら運転席で足を挟まれてしまっているらしく、動かすと痛いらしい。

周りでは後続の車も全部止まっていて、野次馬のトラックの運転手が同情のまなざしでレスキューと警察を呼んでいた。

始めは気付かなかったけど、どうやら少し前にも同じようにして落ちてしまったトラックが横たわっていて、そっちはルームランプがついたまま運転席側の窓ガラスと一緒に運転手の姿もなくなっていた。

横転したトラックから弾き飛ばされて下敷きになっているかもしれない。

さっきまでの救助活動とは打って変わって恐怖に襲われた。

一刻も早くここから立ち去りたいと思った。

パパとモッズから後から聞いた話、何が起こるかわからないトラックの上によく登ったなって。

確かに。気が動転していた。

そして、ギャラリーもたくさん居ることだしここは退散することにしようということになった。

幸い、自分が先頭で止まっていたからなんの問題もなく出発することができた。

しばらくすると数台のパトカーとすれ違った。

冷静にしようという気持ちとは裏腹に、鼓動の高鳴りが収まらない。

道も悪いし休憩を申し出た。



今となってはどこだかわからないセイコマに入った。

「アメリカで飛行機がハイジャックされてWTCに突っ込んだらしい。」

何を言ってるのかサッパリ。

なんだこの展開?

意味が分からない。

ちゃんとした情報がほしい。

そして一人にしないでほしい。

リッキーを助手席に乗せ、FMも入らない田舎道なのでAMのNHKを流しながら出発。

街頭もなく、月明かりもない海岸沿いの道は怖いくらいに真っ暗で、淡々とした口調で11機がハイジャックされている模様と訳の分からないことをAMラヂヲは話してる。

訳が分からない。

熱が出てくる。

死ぬんじゃないか。

ほんとにそう思った。

函館についたころには世界大戦でも始まっているんじゃないかって。

走行距離は既に400キロを越していていつ函館に着くのか想像もつかない。

延々と運転を続ける。

今では分かってる。

長万部から熊石に抜け江差で再び太平洋を目指す道のり。

厚沢部を抜け、きじひき高原から見た函館の夜景は後にも先にもこれほどほっとさせてくれたことはない。

函館では契約のために来てくれていた母親に会い鍵を引き取り何もない部屋に布団だけをひいて、リッキーとパパと3人でねた。

水道もガスも使えない家で。



次の日、モッズもパパもオレも風邪を引いていて、向かいにあった病院に行くことにした。

数日後には3人でフィリピンに行くことになっていたから用心に越したことはない。

その病院の待合室で初めてビルに突っ込む飛行機の姿を見た。

まるで時代遅れの人間のようにテレビの前で騒いだ。

怖かった。

診察に回されると、注射を打つからうつ伏せに寝てくれと言われた。

もともとほんとに注射が嫌いで何とかならないのかと思ったけど、そんなことをいえる年でもないので我慢して寝転がると。

うつ伏せっておかしいやろ。

何でケツやねん!!

筋肉注射。

痛い。これは痛いしはずかしい。

あまりの痛さに下半身に思いっきり力を入れてしまった。

そしたらその瞬間足全体がつった。

えびぞりになりうめく。

早く注射をぬいてくれ~!!!

看護婦が笑ってる。

次の瞬間体中が熱くなる。

しびれる。

おかしい。

絶対おかしいって!!

そう訴えかけると

「じゃあもおこの注射はやめときましょう。クス。」

オラ!オラ!オラ!コラァ~~!!!!

なんじゃそりゃ!!

こっちはどんな思いでここに来てると思ってるんだ!?


友達の留年に悩み、自然の驚異を感じ、生命の危機を目の当たりにし、世界の終わりを考えた朝に、エビゾリで痺れて笑われ者かよ!!



こうやって4年がたってもふつふつと沸き起こるほどの怒りと屈辱の瞬間。

私は風邪で病院に行くことをやめました。

今ではその病院から腕利きの医師が抜けてしまって大変らしい。

ざまあ見やがれバカやろう。



そうしてテロに怯えながらフィリピンに向かったのが2001年の9月11日~12日でした。



疲れた。

できれば見返したくないけど

2006年03月09日 | 日記
《抑止》の技術、一人一人の散歩者の頭上に二十トンのダイナマイトを爆発させる力(原水爆を含めたすべての武力を人口で割るとその量になるらしい。もっとも私の生まれるより前の話であるからかわってはいるだろうけど、全人類を何回も絶滅させるだけの武力であることにかわりはないだろう)に頼る相互脅威の技術はよりいっそう不名誉なものだ。拳銃を身につけ、カフェのなかでそれを振りまわすような連中、それは自由人ではない。それはよた者だ。ところで、彼は、安全装置に指をかけて死の行動を解き放すことはのぞんでさえいない。彼にとって、それができ、かつその行動を抑制することができるといことだけで十分なのだ。こういう行為がきわめて陰微で卑劣な彼のよろこびなのである。今日、全人類がここまできているということを知るのはたいへん悲しいことだ。


まさか私がそんな文章をかけるはずはなくて、ミシェル・バタイユ『クリスマス・ツリー』の一節を引用してきた。フランス語から訳されていることや40年も前の作品だからなかなか読みづらいところがあった。フランス語で読めればなぁなんて思ったけど、日本にも優れた作家がたくさんいて、日本語で読めない人もたくさんいるだろうからよしとした。どうして引用したかというと忘れたくなかったから。メモ。話の重要な部分は他にたくさんある。ただこの一文に釘づけになった。何度も読んだ。くだらない。あまりにくだらない状況に気付きもせず命を曝してる自分が居て、もっと愚かなのはそのことにも気付いていない自分なんだろうなって。近いうちに日本が戦争をはじめたときここを見返せるようにメモ。

2006/03/08

2006年03月08日 | 日記
どうしたらこんなに鼻の穴からねばねばした液体が分泌できるんだ?何が入ってる?何がしたいんだ?薬も効かない。もしかしたら効いていてこれなのかもしない。目と鼻の間には結構大きな空洞があってそこにも鼻水がたまっているだろう。ダイビングの時に鼻が詰まっていてそこの空洞がメキメキ音を立てていた。水圧で陥没したら彫りが深くなるかも、なんて考える余裕もないくらいに痛かった。牛の角も口や耳や鼻とつながっているらしく、風邪をひいた牛が立ち上がると角にたまった鼻水が流れ出てくるらしい。ウソか本当かは知らない。オレの脳みそは鼻水に浮かんでいる状態だろう。たぶんその回りでウンパルンパが歌い倒していて鼻水を作ってるんだろう。でないとこの量の鼻水を作ることなんて不可能だ。めくるめくおとぎの世界。それが鼻水だ。



頭がおかしくなった。おもしろくない。根くらだ。自意識過剰だ。知ったかぶりだ。寂しがりやだ。全部正解。日記で伝えたいことなんて無いし信念もない。ただ手軽に記録を残すことができる。なら公開しなくていいじゃないか。そうだ。おれはいろんな人の日記や文章を読む。盗み見してるわけじゃない。2ちゃんみたいに無責任に知ったかぶりをするのは最高に卑劣な行為だ。噂の対象となったことがある。友達にいわれて2ちゃんねるを見るととんでもない憶測があたかも事実のように、しかも見当違いの事実を自慢げに書き込んでる。情けない。情けないもの同士罵りあいもしていた。本当に悲しくなる。こんなくだらない世界があるんだなぁ。匿名。確かに透明人間にでもなれたかのような感覚である。何を言ってもオレはここにいるのに誰もおれだとわからない。優越感だけを感じ劣等感に腹を立てるか無視する。そんな世界でいくらしこしこ議論しようが何の説得力もない。団地妻たちの噂話のほうがよっぽど勃起する。おれはしこしこブログに日記を書き、ある程度のプライベー
トもさらし、書くということに張り合いをもって続ける。別に優越感を持ちたいわけでもなく、ただ見られるということで書くことに対して張り合いが出る。そのために公開する。日記を書くとだいたい50人近い人が訪れているようだ。50対1。張り合いあるじゃないか。プライベートなことで50人を目の前にして話すことなんて普通の人にはない。おもしろいじゃないか。

2006/03/06

2006年03月06日 | 日記
風邪はますます悪化。メロンなど差し入れ大歓迎です。今はおそらく熱が出てる。数字で見ると萎えるから計らない。


『人間失格』を読んだ。だいぶ前によみかけたままだったし、短いからはじめから読みなおした。

すべての人が自分だけが不安になり恐怖しているのだろうかという疑問を抱き、そしてすべての人が抱いているということにまた恐怖する。疑問さえ抱かぬことを無垢として、悪魔のようにもしくは神聖なものとしてまた恐怖する。他が恐い。己を演ずることで防衛し、他を蔑み笑うことで安心する。それが打ち砕かれたときまた恐怖する。演じ疲れたとでも言いたいように酒で垢を洗い流そうとし、女に背中を流してもらう。あんまりきれいに垢を落としてしまう女にまた恐怖し、見当ちがいなところを洗う女を蔑み笑う。男は隠れることで逃れ、女は触れることで麻痺させる。恐怖を捕らえてしまった人間は人間失格である。

なかなか小難しいことを書いてみたけどようはなんやようわからんちゅうことですわ。

殴り書く

2006年03月06日 | 日記
暖かくなってきましたね。

私は風邪気味です。

でも布団の中で春からの生活に胸を膨らませてます。

ふと横を見ると散らかった押入れがあって引っ越しという現実に引き戻されますが。

昔からよく風邪をひきます。

このブログで調べたらすぐに風邪を引いたときが分かるでしょう。

タバコも酒もやめられない。

酒は弱いからいいとして、やっぱりたばこはまずいなぁなんて思ったりもする。

同居人は一二を争うヘビースモーカーだったのに禁煙に成功。

何度も試みていたのは知っていたから今回もすぐに断念するかと思いきや続いてる。

冗談抜きですごい。

オレはといえば一日以上禁煙した日なんてここ数年ないけど、やめようと思ったことは何度もある。

禁煙して!とマジギレされた彼女がタバコを吸っていたなんて笑い話も持参です。

年取って禁煙する人が多いのは、吸っているのが怖いんじゃなくて、すえない体になってくるんだろうと予測。

いまでさえ寝起きは悪いし手は震えるし、それは高校のときからだけど。

ま、やめる時がくればやめよう。

吸い続けることに美学は感じないし。



携帯が壊れた。

昔の携帯をもらってだましだまし過ごしているけど、充電はすぐになくなるし、とってもストレスフル。

引っ越したら携帯を変えようと思うけど会社選びに一苦労。

ボーダフォンはいまいちパットしないし、ドコモは対応悪いというか天狗な態度。

いくショップが悪いのかもしれないけど、数万払うか解約するしかないですね~。とか、引っ越したら会社はドコモ北海道から変わるんで番号も変わります。なんて解約しろといわんばかりのバカ対応。

真剣に腹が立って「解約したるわボケ!!」って叫んでショップを出てきた。夢を見た。それも嘘。何もしてない。

ウィルコムの評判が知りたい。

あれ一台で東京でやっていけるのであればそうしたい。

ウィークリーマンションだというのに奇跡的にネットが通じていないから、当面の間フルブラウザの携帯で事を済ませたい。

もともとそんなに電話をするほうじゃないから何でもいいんだけど。

長い間田舎暮らしが続いたから、都会限定のサービスにはめっぽう弱い。

無線LANなんて奇跡の代物である。(学校には飛んでいるようだけど)

駅に近いから家まで飛んできてないかなってちょっと期待。

ウィルコムなら携帯とPCをつないでできるみたいだし。

遅くっても仕方が無い。

瀬底での生活を思い出せば不便だなんて言えたもんじゃないだろうし。

今の生活はすごい恵まれていると思った。

ケーブルでネットやって有料放送も見て、二人で割り勘でなんでもあり。

広いし安いしこれ以上ないのかもしれない。

今度は狭いしネットはないしうるさいだろうそ騒げない。

今なんて音に気にして生活するときなんて殆ど皆無。

都会に行けば田舎が恋しくなるのかなぁ。

っと、田舎者根性丸出し。

恋しくなったとしても沖縄だろうけど。

ごめんなさい函館。

だって寒いもん。

おやすみなさい。

軽音楽部

2006年03月05日 | 日記
軽音の卒パがあった。・・・みたい。

バイトが何でか延期延期で引っ越しが進むのはいいけど、卒パだということをすっかり忘れていた。

忘れていたというよりも、もともとあまり眼中に無かった。

後輩なんてほんと一人も知らないし、面白いと思うようなバンドが居るとも思えなかった。

入って2年もかけてコピーばっかりしてるようなバカを見に行く気にもならないし。

金曜の夜に社会人がそろうわけも無くて何もできないし。

そんなわけで卒業生だというのにまったく行く気がしなかった。

正直なところ去年に、ハルマサとツヨシとチャパと一緒に軽音を卒業したつもりだったし。

それでまあライブには行かずにいつもどおり友達と飲んでたらハルマサとチャパが来てるって電話がかかってきたからすぐに五稜郭に向かった。

結構いい具合に酔っ払ってたからもうついた瞬間からずっと話していたような気がする。

函館に居たときもそんなにしょっちゅうみんなと顔を合わせていたわけじゃないから、違和感がまったく無かった。

じゃあまた!

とか言いながらいつものように終わる気がしてたけど、二次会へ。

もう気持ちよくなってました。

ヒデとTKと集まると絶対にバカやってしまう。

軽音に入った瞬間から最後の最後までずっとそうだった。

楽しいんだ。

でもTKもオレもドラマーだし、近頃ヒデまで歩み寄ってくる始末。

軽音といっても、ドラマー同士の交流なんて普通に考えたらある分けなくて、そこに関係があるとしたら人と人の関係で、ドラマーなんて関係はない。

実際のところライブの打ち上げで同じパートの人間が集まるなんて機材とかそんな話で盛り上がってるのはあるにしろ見たことない。

そんななかいろいろ楽しかった。

奇跡なのが酒が飲めないヒデが絶対に酒の席にいつも最後まで居ること。

そして酔っ払いに引けをとらないこと。

あれは絶対にすごい。

オレなら無理。

面白いやつだ。

練習には来ないから絶対にバンドは組みたくないけど。

褒めるだけ褒めて、昨日何発はたいたか分かりません。




本当に軽音は終わってしまったなぁと思う。

もう手を加えようとも思わないし、俺たちが居た頃がすばらしいというつもりも無い。

普通にバンドをしていたら何かを教えてもらうなんて事は先ず無い。

それをあえて先輩に駄目だししてもらって褒めてもらってどうやってバンドを続けてライブをするかってことを覚えていく場所。

うっとおしい先輩の言うことは聞き流して、褒めてもらったことばかり頭に叩き込んで。

升田さんやけんさんにどれだけ褒めてもらったか。

へたくそでどうしようもないのに良くあれだけいいところを見つけ出してきてくれたと思う。

ありがとうございます。

手数も少ないし、テンポキープもできないし。

それでも気持ちよくドラムが叩けたのは二人に褒めてもらったことが本当に大きい。

音の大きさでは誰にも負けたくなかったし、ライブでのブチギレ度合いも誰にも負けたくなかった。

せっかく褒めてもらったのに、褒めてくれた先輩に申し訳ない気持ちになるし。

そんな風に軽音でいろんなことを培った。

宇宙塵でも大将にいろんなことを教えてもらった。

ドラムの叩き方とかおかずとかじゃない。

バンドをやるということ、ライブをやるということ、音源を作るということ。

もちろんどれも成し遂げられなかったけどね。

今の軽音にそんなことが起きてるんだろうか。

今日も部室で昔の部ノートを見ながらそんなことを考えた。

楽しかったらいい。

いいよ、でももっと面白いよ。

そんなのつまんないよ。




軽々しい音楽でオナニーする集まりより、ロックとセックスしたいです。





やっぱり去年卒業したみたい。

全然なんとも思わない。

来年の卒パに来ようとも思わない。

正直な気持ち。

2006年03月02日 | 日記
とんでもない服の量に唖然とした。

よくよく考えてみると、服を捨てた記憶が無くて、中学生の頃から今に至るまで、買った服が全部ある。

どうしようこれ。

小さいとか何とかで着ない服が大半だけど、着れない訳じゃない。

あげるよ~これ。

写真で見えてる3倍はある。

フリマでも開きたいよほんとに。

捨てるよりも誰かにあげたくなるのはどうしてでしょうか。