それでそいつを聞きながらいろんな事をしてすごした。外には出なかったけどのんびりした時間を過ごせた。過労で視力が一時的に極端に下がったと友達に聞いた。同期の学生で同業者だ。自分の生活はそこまでぎりぎりのところまで行ってるのだろうか。そこまでやってるのか。人間の体がどこで壊れるのかわからない。体と精神とでは体が先に壊れてしまうようなバランスで作られているのか分からない。気づかぬうちに体を壊してしまった人もいた。私の大切な人であり、私のことを大切に思ってくれている人でそんなことにならないように、というメールをもらった。確かに体があっての精神であり、精神があっての体だ。厄介なことにどちらも壊してしまうとなかなか直るものでもないし。ちゃんと取り返しのつない事にならないようにしないと。当面心は大丈夫そうだ。でもさっきまでJR東海が打ち出してるならのキャンペーンを眺めながら故郷を思い出していた。故郷のことを思い出しているときというのは何か現実逃避をしているときが多い。奈良公園近辺は思い出がありすぎる。こんなにすばらしいところで育ったのかと感じる。住めば都というけれど、住んでいたら気づかないことの方が多い。興福寺の五重塔の下でタバコを吸ってから学校に行っていたと話すと大体の人は変に感じるかもしれないけど奈良人なんてそんなもんだ。
こっそり教えたはずの上司がみんなの前でここの存在を話してしまったから厄介な人がここに来てなければいいけど。すべての流れをここに書くわけではないので勘違いをされては困るけど、勘違いを恐れて文章を書くほど退屈なことはないのでスタイルを変えることはないです。実は嫌いなんて裏もないし表もない。思ったことは口にしてるし。昨日裏で何を考えているのか分からない、瞳の奥で違うことを考えてそうだといわれて驚いたこともこの言葉に反映されている。そんな人間かな。ひとつだけ確かなことは真実をすべて話すわけではないけれど、嘘はつきません。てかつけません。ついたらすぐに見破られる人と付き合っていて嘘のつき方が分からなくなりました。おれも嘘は見破る力はつきました。だまされてもいいと思うのとは別にね。じゃあじゃあ。
で、神戸からきたラディン君と大学の東京組みが久々に集まった。あまり仕事の話はしなかった。なんかやたらと酔っ払ったな。みんなそれぞれ先を見据えていた。今の環境についての愚痴なんて一切聞かされなかった。いややっぱりすごい人間だ。最後は六本木の一蘭(漢字は覚えてない)というラーメン屋にいった。うまかった。うまいと思って食べるラーメンは久しぶりだった。満員電車に揺られるのも久しぶりだったけれど、こうしてまた普段の生活に戻っていくことが、寂しくも悲しくもなく、ピッチに向かう選手のように思えた。かっこよく言いすぎだな。また憂鬱な平日が始まるなんて微塵も感じなかった。明日も仕事だ。課題は明確されている。さてやるか。