新しい人たちと出会い、これまで関わってきた人たちとの関係も沖縄に着て変わった。近くに居たから成り立った関係はなくなり、距離ができたからできた関係もある。何度も土地を変えてきた人間にはよく分かることだと思う。たまにだから臭いことも言えたり、近くだから本当のことを言えなかったりする。こっちにきて一ヶ月。沖縄に一ヶ月行ってくると言えば結構な事ができそうな気がするけれど、こうしてここに腰を落ち着けようとしてこっちにくると、一ヶ月なんて短い時間だ。
たまに連絡をくれる後輩がなんのために生きてるんだろうと悩んでいたようだ。なんども「死ねないから生きている」と言っておいたのに伝わっていないようだ(笑)。己の成長のためにとか、まわりに生かされているとかいろいろ考え方があるだろうけど、人間そんな崇高な生き物じゃないと思う。60億もの人間がそんな崇高な生き物であればとても面白いとは思うけど。身近に死を感じたとき特にそう思うけれど、そこに運命だとか意味だとかは存在しないと感じることはこれまでにも書いてきた。そう願いたい気持ちも分かるけど、そんなことでは片付けられない死のほうがはるかに多い。人間なんてただの化学反応の塊で、神様が粘土人形に命を吹き込んで生まれてきたことが事実でないことはわかりきっていることだし、子孫を残すために生まれてきたとしたら、自分は両親の自己達成の産物でしかなくなる。だから人間の存在理由なんて、そこに風が吹いたのと同じで、それ自体に意味を求めるてはいけないと思う。それでも生きているんだから何をしようってところから始めればもっと気楽に始められるはずだ。どんな風が好きなんだ。東京を直撃する台風でも、南極で吹き荒れるブリザードでも、軒先に流れるそよ風でも、洋上で人知れず吹きぬける風でも、蝶が羽ばたいた風でも。何がよくて何がよくない、何が強くて何が弱いでもない。どんな風が好きなんだ。私は部屋を吹き抜ける風が好きだ。人に何かを感じてもらい、その感覚が心地よいものであればなおいい。自分も根暗だからけっこういろんなことを考えるけれど、今はそう考えてやってます。