山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

一日

2008年04月27日 | 日記
今日は休みだというのに早くに目が覚めた。東側の部屋に移動してから朝早くから目が覚めるのは、朝日が差し込んでくるからで、その度に朝日を浴びながら布団にもぐりこんでいた生活を思い出す。今日は無理やりにでも二度寝をして昼前まで寝た。そしてたくさんの観光客の最新式のレンタカーとすれ違いながら、ポンコツサミーに乗っかって弁当を買いに出かけた。ゴーヤチャンプルー弁当を買って家に帰り、がっついてから部屋を片付ける。しばらく片付けていなかったせいで、洗濯機を二回まわすことになってしまった。そして、コンポの前に散乱していたCDたちをアルファベット順に並べて棚に戻し、掃除機をかけて便所を磨いて、シャワールームにカビキラーをぶちまけて読みかけの本を手にごろごろした。干潮の時間が近づいてきたから竿を持ってビーチへ出かける。職場のみんなに挨拶をして、ビキニの姉ちゃんをサングラス越しに眺めて海の中へ腰までつけてアウトリーフまで歩く。強烈なアタックを受けて思わず大振りに合わせてしまい、バラしてしまう。とりあえずリーフの上で一服して仕切りなおし。今度はしっかり合わせて手繰り寄せようとしたらこれもまた良型で、サンゴの下に潜り込もうとするのを引きずり出して吊り上げる。吊り上げた魚を網に入れて浜に上がると料理人の後輩が居たから今日の晩飯にとその魚をあげる。自分はテキパキと片付けて家に帰り、表で靴を洗っていると、底面にびっしりとウニの棘が刺さっていて気持ち悪くなって洗うの辞めてシャワーを浴びて、鯖の水煮とビールで夕方を過ごす。そして今はモグワイを聞きながら日記を書く。テレビでは遠くからチベット関連の抗議デモに向かって何かを投げて優越感にひったった顔で帰っていく情けない他人の顔が映し出されていて何かどうしようもない腹立たしさに襲われた。優しさの反対は無関心だと誰かが言っていたけどその通りだと思う。関心を持っているだけで満足している人間も居る。今、本当にチベットのことを考えている人は、とんでもない苦悩を抱えているのではないでしょうか。世界に訴える絶好のチャンスではあるけれども、浅はかな人権運動と同等に扱われてしまいかねないこの状態はきっと諸刃の剣的な状況だと思う。どう収まるだろうか。自分は傍観者。誰のことも何も言えないのかもしれないけれど、単純に物を投げてニタニタして帰っていく人間を見て、それだけは間違っていると思うことだけはこれからも変わりはないだろう。

カメラ

2008年04月21日 | 日記
携帯のカメラはものすごい良くなってきてから、それでいいやと思っていたけれど、本場デジカメはもっとすごいことになってるね。防水のカメラを見つけてそお思った。でも、携帯のいつでも何処でもはすごいからな…。

飲み食い

2008年04月12日 | 日記
以前にも書いたように、仕事場に同年代のソムリエが居るからあまり好きじゃなかったワインを飲んでみようと思うくらい、少しお酒にも興味がわいてきた。実際これまで何かにこだわって酒を飲んだこともないし、凝り固まった考えで蒸留酒かビールしか飲んでこなかった。今でも部屋でゆっくりとした時間を過ごすことが出来るときに、ウイスキーの香りを嗅ぐと本当にリラックスできて、その味がとても楽しみに思えてくる。ただ、まだまだ若いのか食欲旺盛で酒を飲んだら食事の絶対量が足りなくて、次の日の朝には腹ペコになってしまう。それでも、沖縄料理を食べるとどうしても泡盛が飲みたくなって飲んでしまうのだけど、そこには仕事の観念が持ち込まれて少し残念な気がする。今はどんな沖縄料理がホテルのゲストに求められているのかということをひたすら考え、調べ、食べてまた分からなくなって、口を半開きにして次は何を食べようかと悩んでいる。沖縄料理がもつ臭みは確かに泡盛を誘い、泡盛がその臭みをうまさと認識させてくれて沖縄らしさを出している。その臭みを臭いものだとして捕らえたらきっと沖縄料理はまずいという印象になるだろう。実際臭いだけの沖縄料理屋はたくさんある。私の中ではその臭みをうまみに変えるのは、沖縄での生活であり、海であり、太陽であると思っているから、今朝まで東京に居て、その晩には沖縄のうまさを感じようと思うと、東京の街と、空と空気にあわせた臭みを演出するしかないと思う。だから今の沖縄料理店は和食に沖縄食材を用いただけのような印象を受けてしまう。でもそれで夜には沖縄を楽しめるのであればベストな方法であると思う。ここがむずかしい。リピーターの多い沖縄では、ディープなところ求めてくる人が確かに多いから。中途半端なものを出したら、「高い金を取ってこのレストランは沖縄もどきを食べさせるのか」なんて言われてしまいそうだし、それだけは言われたくない。じゃあ食べやすい沖縄とディープな沖縄の両方のメニューをおけばいいじゃないか。そおはいかない。そこには顧客層を広げたいだけの意図しかこめられておらず、こちらからのメッセージとはなっていない。お店を作るって難しいですね。料理人が確固たる自分の方向性をお店にぶつけるのが本当の姿なんだろう。リゾートホテルは、ご飯が食べたいと一列に並んだゲスト皆さんに満足してもらわないといけない。街場で飲食をやってる人間には想像しがたい状況だ。あれが食べたいからどこに行こうという発想ではなく、ここで食べるけどどう満足させてくれる?という気持ちでご飯を食べにくるわけだから。簡単に言えばおいしい句無ければならない従業員食堂みたいなものか。変な環境に身を置いたものだ。

筋トレと日記と読書

2008年04月09日 | 日記
筋トレを近頃はじめた。夏はビーチで売り子をします。また生を片手に駆け回るわけですが、今度は薄暗い店内ではなく、燦々と降り注ぐ沖縄の太陽の下、砂浜を駆け回ります。人手が足りないときは監視員もするそうです。双眼鏡でビキニでも眺めてます。えぐいビキニ発見メーリングリストを作成するそうです。視力2.0の私は一番の出来高を叩き出すことでしょう。何をしに沖縄まで来たのか分からなくなりますが、きっとこんなことをしに来たんだろうと思うようになってきました。だって律儀にまた筋トレ再開しましたし。ビーチで私を見かけても知らないふりをしてくれるのが礼儀です。出来高貢献のためにも水着をえぐい角度にしてプリッと私の前を通り過ぎてください。

筋トレをしていると、冷静にいろいろなことが考えられて非常にいい。歩きながら考え事をするのも好きで、デスクワークに行き詰るとタバコを吸いながらブツブツと独り言を言いながら事務所の周りを散歩する。そうすると結構あっさり仕事が片付くことがある。筋トレの話に戻すと、そのときに思いついたことを日記に書くことが多い。そして日記を書いていると、本が読みたくなる。自分の文章に目が疲れてしまって、ちゃんとした文章を欲してくる。そんな風にこの三つはセットになっている。こうして今日記を書いているのも、さっきまで筋トレをしていたからで、そのときにこの関連性とビキニのねーちゃんのことを考えていた。久々の夏。去年はほとんどを室内で過ごし、夏らしいことと言えば、朝方にハナマサでスイカを買って店で食ったことくらいだ。今年は何をしてやろう。夏生まれの私は夏前はいつもそわそわするくらいに夏が待ち遠しい。

謙虚

2008年04月09日 | 日記
言葉にする回路がぷつんと切れてしまった。むしろ考えることを辞めてしまったと言ったほうがいいのかもしれない。それぞれの思惑を持った人間が、それぞれの成果を得るために集まった集団は、いったいどこを向いて、どちらに進んでいるのかさえわからない。それを先導しえるのは、画期的なシステムでもなく、自由競争主義的な成果報酬でもなく、強烈な個であると改めて感じ始めてきた。人が動く限り、他人を動かすのはやはり人であると。結果を人に見せる方法ばかりが先行し、人が他人のために動くということが起き得ない集団になりかねない。もう引かないと決めた私に何が出来るのか。

他人の苦労や成果を認めること
自分の苦労や成果をひけらかさないこと
他人が必要とする協力に精一杯答えること
自分の力のなさを他人のせいにしないこと

謙虚に。ひたすら謙虚に。

言葉

2008年04月05日 | 日記
言葉って刃物みたいだ。いろんな感情の断面を見せてくれるし、他人を傷つけることもできるし、手入れしないとうまく使えなくなるし、自分で自分を気づけてしまうこともある。