山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

夏の出来事

2017年08月27日 | 日記
ソーキそばを食べていると銀歯がとれた。銀歯が取れるのは多分この一年くらいで三回目。全部左側。何が起きてるのかと思えば歯医者で顎の関節がおかしいと言われて、噛み合わせが問題なのかもしれないとのこと。今日は腹が痛くて内科に来たけど4時間待ってます。凄い。懲りずに待ってる自分も凄い。iPhoneで仕事をし続けていたので無駄な時間ではなかったけれどここにきて気分転換でここに向かっています。

昨日は休みで大宜味の親戚のところへ家族で出かけた。朝は奈良の両親とSkypeで孫を見せてるふりをしながら、子守りのお手伝いをしてもらった。Skypeをしてる間は機嫌が良い。昼前には出発したけれど、最近は通り雨が多く不安定な天気で今日も雨に降られた。途中屋我地島でランチ予定だったので心配したけれど大きな虹とともに晴れてくれた。古民家カフェのようなところだったのだけれど、半分は韓国からの観光客。予約で埋まっていたのであきらめて帰って行く韓国人観光客もいて、こんなところまで来て違うレストランを探さなければならないなんて、知らない海外の土地での出来事だと想像すると可哀想でたまらず、相席しますか?と言ってしまおうかと思うに留まり言うことはなかったが、かわいそうな気持ちになった。




本当の自分

2017年08月15日 | 日記


本当の自分をとりもどす"もうひとつの日常"がここにあります。

ある取材で来ていただいた方にそんな表現をしてもらった。自分に戻るためには、振り戻す非日常が必要だと考え疑わなかったけれど、この言葉を聞いて、納得ができた。非日常が日常を取り戻す場所だとしたら、なにか悲しい。結局は疑似世界にすがるような、現実世界を否定するような気持ちになるけれど、平行して流れる二つの日常を往き来することで自身のバランスを保つというのは、楽しみが倍になったような嬉しさがある。しかし本当の自分で居ることと言うのはそんなにも困難なことなのだろうか。


フリック

2017年08月08日 | 日記


フリック入力でパソコンを上回る早さで入力することを目標として、この日記を使おうと言う浅はかな企みは、この数行の文章を打ち込む間に打ち直した誤字のせいでもうすでに諦めようかと言う気持ちになってきている。

その時その場所にいることが必要であった仕事から、どこにいても自分と連絡さえ取れれば良いような仕事に変わったことで、仕事を効率化するにはパソコンを手放さないといけないなーと考えていた。一方で、休みの日にチョコチョコメールチェックをする小心者の自分から解放されたい気持ちも強くある。いついかなるときも対応できるという自由を得ることは、いついかなるときも対応しなければならないという束縛を手にいれたようなものだ。

高度経済性長期の日本では、恥もへったくれも無いような仕事の仕方をしていたのだろうか。今、過去の仕事に対する否定を目にするが、ではなぜ一歩抜きに出れたのだろうと考える。やり方とか、工程ではなく、ずば抜けた結果を求めたのだろうかと思う。今の成功者には泥臭い、非効率的なやり方と否定されるような、原始的で体育会系的であったとしても、ひたすらに恥もへったくれもないくらいにがむしゃらに、異常なほどに働いたのだろうかと思う。

今、その過程を学び、再び同じような発明を繰り返していること(すでに発明し終わっていることを知らずに一生懸命発明をしようとしていること)を無くし、前人が切り開いた道はありがたく使わせてもらう事が大切だと思う。だから効率よく過去の発明を学び、無駄な開発をしていてはダメだ。

フリック入力に代わる発明は現れないものか…。