山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

つらつらと

2006年09月30日 | 日記
携帯見つからず。休止届けをして、交番に遺失物届けを出して三日。ドコモではその番号を維持しようと思えば3万円以上はかかると言う話だった。この傲慢な態度に激怒したくても怒る相手がわからない。「3万払うか解約しろってことですか?」って聞いたら向こうもカチンと来たようで態度が悪くなった。もうどうでもいいとウィルコムを使うことにした。連絡の取れる人は今日メールしたけれど、残っていたデータがかなり昔のものだったから困ったものだ。ちゃんとバックアップを取っておくべきだった。でもまあそれでも連絡が取りたければなんとかたどり着けるくらいの人たちの連絡先が残っていたから良かった。ナンバーポータビリティが始まるまでとりあえず解約は据え置きです。

変更のメールを送るといろんな人から返事が帰ってきて、かれこれ4時間も携帯とにらめっこをしていた。久々の休みでこんなことをしているのもどうかと思うけれど、動き回る気力も体力もないからこうして英気を養おうと考えることにした。大学生の頃はしょっちゅう携帯番号が変わっていたから、別に携帯を帰ることに対して抵抗はなくて、教えるのがめんどくさいなぁと言う程度だったけれど、こうして人と会う機会がめっきり減ってしまうと、連絡先が変わることは本当に嫌だ。仕事場ではめんどくさい連絡が減ってとっても助かっているけど、そろそろ仕事にならないと怒られてしまいそうだし。メールの中ではどおゆうわけか沖縄関連の話がいろんなところから出てきて、大学の後輩や先生が沖縄に言った話や、沖縄から友人が来る話なんかをいろいろとした。去年の日記を読むと先生が来たときさんざん遊び倒したことを書いていたけど、今年も先生は遊び倒して帰ったようだった。携帯に電話をくれたようで、やっぱりなくしたみたいだね、バカじゃないの、見たいな会話で終わったことが目に浮かぶ。本当に早く沖縄に行きたいもんだ。

昨日は決算なんで打ちあがった人が多くて店が忙しかった。合間を縫って吉野家に飯を食いにいったんだけど、自転車のかごに財布を入れたまま飯を食うなんて馬鹿なことをまたやらかした。慌てて取りに行くとまだそこに財布があってすんごい安心したけれど、この安心はなくてもいいものだから、自ら心配するようなことをして一人安心してるバカな自分がバカらしくなった。そう考えると何事もないように暮らしているということはすごいもんだ、なんて話の飛躍を吉野家のカウンターで上司とふたり話していた。15歳の頃に財布とズボンが紐でつながって、ジーパンの左ケツポケットは携帯、右のベルトループには束にした鍵、右の股間ポケットにはタバコとライターを入れてから10年間変わらずこのスタイルで来たから、この春にスーツなんて窮屈なものを着せられて、すべての決まりごとが崩れてしまったことが近頃の失敗の原因だ。順番にポケットを触って必要なものを確認したり、忘れて帰りそうになったときに紐にぶら下がった財布や、ジャラジャラと音を立てない鍵に気付いて難を逃れてきたと言うのに今はその防御策がないんだから仕方がない。新たな策を考えないと。服によってポケットが違うなんて本当に迷惑だ。早くジーパンの生活に戻りたい。

最近は本当にもう沖縄に行こうかなと考えている。ここにいても望むよな能力も金力も経験も得ることが出来ないとわかってきた。思ってもいなかった出会いや経験がやめることを拒んではいるけれど、こんなところで遠回りをしている場合じゃないと感じるようになった。準備準備と準備だけで疲れてしまうよなことはしたくない。とりあえずやってみるか。まだ若い。なんとかなるさ。

デザインの裏側に

2006年09月17日 | 日記
見えるかわかんないけど、羽田首相をハネダと読んで全く誰か分からないくらいに昔の張り紙で、10年以上前のこんなチラシが帝国ホテル横の高架下にたくさん張ってあった。今日は寿司を食べに24時間営業のすし屋に行ってさんざん食ったけどこっちのチラシのほうがインパクト大。右翼と呼ばれる人たちのデザインセンスは独特でひきつけられるものが結構ある。結構いろんなところで見かける。このデザインも書いてあることから政治色を抜けばいけそうな気もする。でもやっぱり書いてあることがこれだからこのデザインを余計に際立たせるのかもしれない。大学の講堂で「革マル死ね」という落書きを見つけたときも、なんか日本らしくていいなぁと。今の落書きや張り紙に日本らしさはあるのか。ただこんなことを書いて愛●党の人に追いかけられるのだけは嫌だ。

ビールとピザの朝一番

2006年09月16日 | 日記
サラリーマンとOLから解放された土曜日の朝の東京は、いつもの重圧感も閉鎖感もなくなっていて、まるでさわやかな風が吹き抜ける渓谷のような感じさえするほどひっそりとどっしりと構えている。そのなかをへんなナチュラルハイな二人が自転車で駆け抜けていく様はおかしなもので、そのまま朝の6時からビールのピッチャーとピザを頼みに行く。モーニングメニューにピッチャーがあることに驚いたけど、朝の一杯のコーヒーを求めて入ってきた人には申し訳ないくらいに楽しくてうまいものだ。ありがとうジョナサン。

疲れ

2006年09月15日 | 日記
疲れてくるといろんなところに不具合が出てくる。まず体。もともと皮膚が弱いから仕方がないけど仕事上手荒れがひどい。お金を払うときなんか恥ずかしくなるくらいに荒れてる。今日はその対策として手袋を買った。マダムが運転するときに付けるようなやつ。マダムは運転しないか・・・。まあどっちでもいいけど、しろいさわり心地のよさそうなやつ。薬を塗ってこれを付けてこれから寝ようとしていますが、とりあえずキーボードは打ちにくい。こんなもので治るのであれば易いもんだ。不思議なことに疲れてくるとこの手荒れもひどくなる。やっぱり抵抗力と言うのか、アレルギーだったらおかしいけどそんなものが狂ってしまうのだろう。まあこいつをつけて寝ればそんなことも考えなくなるだろう。次に思考能力。物忘れがひどくなるし、計画的に物事を進められなくなる。非効率なことをして、さらに疲れるなんてそんなバカなスパイラルを描いていることもある。昨日もお金を下ろしに行ったのに、お金を取らずに出て行ったし、お弁当を温めてもらっているのを忘れてコンビニから出て行くし。お金はATM君が預かっていてくれるそうです。知ってましたか?明日には入金しておいてくれると言うことで一安心。それを聞くまでは情けなくてため息しか出なかった。兄にも心配されて恥ずかしかったし。今も携帯を店のどっかに置いて見つけられないし。疲れているからといのがすべての原因ではなくて、自分のいい加減な部分をさらに増強してくれます。あ~こんなくだらない日記を書くくらいなら寝よう。

今日の寝床

2006年09月13日 | 日記
日記を書こうとしたら昨日一日分が抜けていることに気付いた。いつも日付をまたいだ生活をして寝たのか寝ていないのか分からないような睡眠では一日をどこで区切ればいいのか分からなくなる。今も店の畳に座布団で仮設ベッドを作って寝ようとしたけどいつの日記なのか分からなくなってしまった。そんなことを考えていると大学時代の親友から電話がきた。お互い労働時間においてめちゃくちゃだから一通り文句を言ってみたけれど、それでも楽しんでいることは間違い無いようだ。ただ給料が違うけど…。まあ今日はいろんな事が勉強になった。お店はとにかく掃除につきる。

今日の頭の中

2006年09月11日 | 日記
この日を迎えるといつもこのことを思い出す。あまりにくだらない日記だけどすべてが事実で、笑えないほど心に残る一日だった。今思い浮かべると浮かれすぎた生活の中に突然の雷雨が来たような感じがした。今朝もすごい雷がなっていたけど、あの雷にも負けないくらい強烈だった。今の私たちの生活の中で生死をかけるような瞬間はまずない。だからもう人が死ぬと言う話になった時点でテレビの中の話になってしまう。今私は給料に含まれているほんのわずかな助成金をカンボジアの子どもたちのために毎月募金しています。このNPO団体も会社の一部だから有志といっても半ば強制的ではあるけれど、私は自戒の意を込めて普通の人の3倍の金額を募金することにしています。今日食べる食料のために働く子どもに何を教えることが教育か。ここで出会ったことさえも見えない振りをして生きていくことに負い目を感じることはしたくない。そしてその活動を続ける人々の姿に惚れました。真の意味で言うのであればかつかつ生きていく以外の金はすべて募金するのが私の話す筋道なのかもしれない。でも私にも描いた夢があるからそれはできません。また言い訳を・・・。とにかく彼らが大人になったときどれだけのことが出来るのだろう。生死を常に背負った人間が力を持ったとき何が起きるのだろう。そう考えます。戦後の復興を支えた祖父母たちもまさにその環境だったのだろうと思います。貧しさからは物欲しか産まないのか。きっと違う、わずかな給食を友達の兄弟のために分けてあげるような子どもたちが大人になったときを想像したらワクワクしませんか。まあそんな子どもたちの横を政府の人間がレクサスに乗って通り過ぎるような状態だけは何とかしたい。