山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

2020/04/19

2020年04月19日 | 日記


ホンダがコロナ感染者搬送用車両の提供と、フェイスシールド製造を行うことが記事になっていた。さすがだなと思わせる記事は、ホンダユーザーであることをちょっとだけうれしい気持ちにさせてくれる。企業的な負担としては小さいけれど、効果は大きかったんではないだろうか。こんな取り組みの積み重ねが企業を強くすると感じた。運転は、タクシー会社という。企業と企業を結びつけた仕事をしたのは誰なんだろうと考える。役所であれば大したものだ。ホンダであればそこまで仕掛けるようなことを考えていたのかと知りたくなる。

コロナ前に書きはじめたが

2020年04月18日 | 日記


職場の会話が騒音に思えてくると、果てしなくストレスに感じる。耳につく横柄な大声や、エンドレスにリピートされる解決しない愚痴、他者を重んじることができないくだらない同調。ホテル業においてバックオフィスほどホテル業とかけ離れた場所は無いのではないだろうか。お客様のことを考え、他社を敬い、謙遜の心をもって仕事をしている人の対極の場所だ。もう気に食わないことに腹をたてて怒鳴っていたようなことができる立場でもないし、時代でもないけれど、言わずに見過ごすことも腹が立つし、静かに的確に指摘できるほどの技術もない。そう、静かなる炎を心の内に灯しているような人間になりたい。火炎噴射器のようにぶち撒けて、自ら火傷を負ってきた私には、緻密に念密に炎をエネルギーに変えるような内燃機関が必要で、いつまでもぶち撒ける相手を探しているようではいけないのだ。

コロナの危機は12年前のホテル倒産の記憶を呼び覚ます。若気の至りだったのか、話のネタ程度になっていたあの記憶は、当時よりも現実味を帯びて私の近くに居座り始めている。もしかすると、もう彼等を守れないかもしれない。悔しい思いの横では騒音のような会話が繰り返される。なにを守っているのだろうと疑問になる。保身のために私は考えているのだろうか。今考えていることは、きっと誰かの役に立っているはずだ。そうでなければならない。エゴなのだろうか。同士と信じる人達と議論はするけれど、なぜか孤独だ。決定権を持つ機関はいつも遠くで、目の前で痛め付けられていく現場とは気持ちを共にすることはできない。この事は共存できない事象なのか。できるけれど切り捨てられるのか。抵抗することはマネジメント能力が低いと判断され、無能に切り捨てることができる人間がクレバーだと扱われるのは、それが社会の基準なのか。第三案と期待できる策にたいしても、労力と引き換えに却下される。大きなリターンが期待できようとも。もう、この業界から離れようかとか、他も一緒かそれ以下かとか、いろいろ考えてみたけれど、資本主義の雇われる側にいる限り変わらないかと逃げることを諦める。

結局、覆しに覆され、当初の私たちの要望の通りホテルを休業することになった。これが通らなければ希望退職を提出してホテル業界を去ろうと考えていた。四十手前にしてそんな決断はなかなかできないけれど、こんな時でもないとそんな決断もできないだろうと考えていた。3月の時点でほとんど宿泊客はいなくなってそれは少なくとも5月末まで続くだろうと予測を立てると赤字を抑えるには休業しかなった。ただ、もしかして沖縄はこのまま感染拡大を免れるのではないか?という期待感がかすかに漂っていた。しかし私たちのビジネスが成り立つということは、常に感染リスクを高めることになっていることも理解していたので、営業拡大路線に走り感染者が出た場合の緊急時対応のの方が被害が大きくなると考えられたので、どちらにしろ今は営業を続けることは賢明ではないという結論に至った。もう進もコロナ、退くもコロナ。ホテル閉めてお家でテレビ見て世界平和を守るしかなかった。なのに営業拡大路線に進もうとすることがどうしても理解できなかったし、納得のいく説明もできなかった。結局閉めたし。副産物として、アホみたいに安い値段で売られた商品を買った人が、こんなチャンスは逃すまいとキャンセルを拒み、代替え商品の提供を要望し、その対応に苦戦することになった。結局は安売りが自分たちの首を絞める。でも薬物依存のように安売り依存に走るのがレベニューマネージャーの習性。ちゃっかりクローズ対象期間(GW)も安売り商品を入れてくれていたので(無許可で)、そりゃ作業が難航した。

アフターコロナはいかに単価を上げて販売することができるか。サービスを削り落とし、高稼働を叩き出す宿泊特価と戦っていかなければならない。今はその作戦を練ろう。