山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

空気感

2020年03月20日 | 日記
 ご無沙汰しております。悶々とした人生は、昇進しようが、コロナが流行ろうが何も変わらないようです。この一年で劇的に環境が変わった。昇進して、上司も変わって、部下も変わって、コロナのおかげでマーケットもガラッと変わって。でも私は何も変わらない。

 動悸が激しくなる程の怒りを感じて仕事をしていて良いのだろうか。それを収めるために麻痺させていって良いのだろうか。じゃあ、怒ればよいのだろうか。アンガーマネージメントだとか、マインドフルネスだとかいうけれど、それは無関心になるような気持になってしまう。アドラーなんか読んで見たら面白いけれど、共同体理論になるともうそれは麻痺させているような感覚に他ならないような気がする。のは、私が稚拙だからだろうか。臭いものにふたをするのではなく、笑顔で蓋を開けてきれいに洗浄してしまうような生き方を選ぶ。特にリスクを取っているわけでもなく、大した成功を手に入れるわけでもないのに、こんな小さな会社内に蓋をしても仕方がない。かき回してかき回して、それでも腐っていたらぶちまけて掃除をして、新しい美味しいものを作ろう。挑戦し続けている人間と比べたら大した事でもない。そう開き直るような気持になってきた。

 休みに息子と遊んでいると、本気で子ども心に戻って一緒に遊んでいる自分がいる。それが特別なことではなく、当たり前のことのように。そして休み明けに息子と離れるときに、息子に何かが起きやしないかと不安になる。この不安は本物で、途中で引き返そうかと思うほどの時もある。これから先、自分と同じようなことをすると想像するだけで怖くなってくる。もう完全な親バカなのだろうけれど、親がこんな思いをしていたなんて想像もできない。末っ子の私は実際そこまで心配はされていなかったとは思うけれど。

 会社での時間と、家での時間の対比が笑えて来るが、仕事での自分を息子に見せるにはまだまだ足りない。もっと暴れないといけない。くだらないことでムスッとしている時間は無い。ナンバーガールの無観客ライブを見たが、面白くはあるが、ビリっと来るものはなかった。90年代のベンジーが歌うガソリンの揺れ方の動画はビリっと来た。IDLESのライブ映像は力漲る思いがした。GEZANにも心を揺さぶられた。ヘルタースケルターに期待したがやっぱりBeatlesは好きになれなかった。今更ながらKORNのドラマーRay Luzierに鳥肌が立った。

 iPadを支給され、とりあえず使いまくってみようと手帳を手放してiPad pencilでメモを取る。見返すときの違和感はあるものの、書くことに対する違和感はなくなっていき、考えを整理するメモとしては紙に書くよりも優れているように思えてきた。無制限に書くことができるページと、固まりで移動することができる感覚は紙にはなく、付箋でメモを取っているような便利さがあった。そもそもメモは見返すことを前提としておらず、見返すと言っても必要な人にリキャップするときはメールに打ち直してしまうので結局はその日以降見返すことはヘマをしてしまったとき以外にはない。PDFへのメモの書き込みもこれでやっているが、これについては携帯性を除いて利点は感じられない。どうしても印刷して書き込んでいきたくなってしまう。そもそも書き込むこと自体をやらないようにしていこうと思っているのでそれも良い機会なのかもしれない。40を間近にして、50代以上のPCを使えない人たちを見ると不安になってきたこともあり、結構頑張って使うようにしている。WEBサイトなどの管理についてはこれまで通りの内容で良ければ格段に簡単に管理ができるようになってきているし、このままITと言われる分野は簡単なものになってくれないかと思っているが、簡単になるとその上を行く機能が追加されるのが常である。難しくなるというよりは、今求められる情報がどこにあるのかを見つけることができなくなってしまう。特にデザインされたものなんてすぐに手に入るし、もうあふれかえってしまっていて、ちょっとやそこらのインパクトでは誰も何も感じてくれなくなってしまう。そのなかで生き残っていくことを考えるともう分からなくなってしまうし、一周回って何がダサいかもわからなくなってきてしまう。もうダサいもかっこいいもなくなってしまえばいい。

 ダウンロードしないといけない動画がが思いの他時間がかかって日記が進んでしまいましたが作業が完了したので。また日記を書きたくなってきた。結局ブログって。。。

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