山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

吐息

2009年02月26日 | 日記
今朝目を覚ますと、今受けている会社の選考日程が決まっていないと言う旨のメールが届いていた。そんなメールをもらってどうしたらいいのかと考えてみたけれど、何も言われず待っているよりはいいと考えることにした。そのまま近所にオープンした神戸を売りにしたカツ丼屋に歩いて出かけた。最近は一気に気温が上がってTシャツでうろついている。なぜかいつも高校生がうろうろしていている近所では、夜中の2時に細い路地の入り口に携帯をいじくりながらうんこ座りをしている女子高生も珍しくなく、この間はあくびをしながら曲がった角に、携帯の画面に照らされたあまり人相のよろしくない女子高生の顔が浮かび上がっていて、思わず「びっくりした~」とつぶやくとよりいっそう目つきを鋭くしてこっちを睨んできたのだけど、よりいっそうかわいくなくなったのでげんなりして黙って通り過ぎて行ったこともあったけれど、今日は健康的な女子高生が笑顔で通り過ぎていったのでなんだか安心した。カツ丼屋はうまかったのだけど、家族経営の従業員の吐く息が嫌悪を漂わしていて、緊張しながらも一生懸命なアルバイトの男の子がひとり浮いているような感じがして嫌だった。お店の空気はそこにいる人間が吐く息で変わります。やっぱり従業員のモチベーションは大切だと再認識。これからもあの店には行くだろうけど、早く仲良くなって欲しいものです。

遠くで

2009年02月26日 | 日記
中学の担任の先生が死んだ。過去にも書いたけれど私にいじめの濡れ衣を着せ、大切な人を奪おうとした人間だ。あれから10年以上が過ぎ、怒りや恨みと言った感情は無いけれど、確かな傷跡を残した人間がそのことをほったらかしにして逝ってしまった。なにかむなしさが残る。教師という人間をまっすぐ見れなくなったのもこの人間のおかげだ。あのときのことをどこか頭の片隅にでも残っているだろうか。今後あの人間のことを許すことも理解することも拒絶することも無いけれど、今日の空が曇っているのが遠い大陸で吹いた風が原因のようにその死は私に何らかの影響を与えている。そして悩み眠りに付くことができない人間の脳裏に浮かぶ人間が気持ちよくビールを飲んで眠りにつくことができる現実を受け入れられるようになり、ビールを飲んで眠りにつく側になっていくのかもしれない。

新芽

2009年02月25日 | 日記
最近元気がないと思っていた店先の鉢植えに、特大の新芽が出ていた。こういう奴いるよな~と思いながら写真に収めた。目立つことをせず、急ぐこともせず、しかし着実にしっかりと次の準備をしているやつ。私のあこがれです。周りの人間は私のことをそういうタイプの人間と思っているのか、次はどこで働くのかと、あたかも決まっているかのような口調で聞いてくる。嘘でもいいから胸はって答えたいです。

今日はどうしたら一番たのしいかを考えて職探しをしていると結局眠ることができなかった。採用されるとうれしいと思える会社をピックアップすると、共通するキーワードがいくつか出てくる。まずはサービス業であること。資本至上主義の臭いがプンプンするような金融関係の仕事や、仲介するだけでなんの生産性も感じられない仕事は一切引っ掛かることはなく、自由競争が成立し、自然淘汰が行われるところに魅力を感じる。公務員系の仕事につく友人が多くいるなかで言うのもなんですが、安定と引き換えに何か大きな楽しみを失っていそうな仕事も気が進まない。適度な緊張感と報酬のバランスがとれている会社。こう書くといやらしいですが、そのバランスの報酬面の重さは、沖縄に来て相当軽くなったので、ここを見てくれているみなさんからしたらやじろべえもひっくり返るくらいのバランスです。後は土地。これが今回一番厄介な問題です。なんとしてでも沖縄に残りたいと言えばそうですが、なんでも我慢するから沖縄に居させてくれとは違います。ここですよね、おれの甘さ。は~。誰かが戦後最高の好景気と煽れば、100年に一度の不況だとわめきだす。メディアも見る目を養わないとあてにならないようであれば、見なくて自分で考えても変わりはない。戦中の態度を翻して反戦論を唱えたように、評論家はバッシングをはじめる。なんかくだらない。世の中変えてくれとは思わないけど、ここで楽しみを見つけて、楽しめるように生きていきたい。ただそれだけ。

もう一度芽は出るのか、芽を出すだけの根は張れているのか。

疑問視

2009年02月24日 | 日記
毎日書いてるな。それだけオンラインであることがうれしいと言うことかな。でも別に新たに何か情報を得ると言うよりも、今まで見てきていたものの更新分をまとめて読み漁るのが楽しいぐらい。

沖縄は昨日の夜あたりから蒸し暑くなっていて、出勤前にシャワーを浴びた今日はTシャツ一枚で国際通りを歩いて観光客を眺めながら、観光客気分を楽しんだ。冬の寒さと言うのは絶対的な温度もあるけれど、秋や春と比べた相対的な温度差も大きなものだ、と、二回目の冬を迎えダウンを着た時に思った。だから観光で訪れた人がTシャツになるのも出発点の温度と比べればおかしなことでもない。北海道に住んでいたのに沖縄の冬が寒いとはどうゆうことかと不思議がられることがあるが、室内環境は断然北海道のほうが暖かいことは信じてもらえない。まあ天気のことを書き出したり、話し出したりしたらたいして話すことが無いのは承知の通りです。そういえば今日は向かいに座ったお客さんが(今はオープンキッチンの調理場で仕事をしている)、亀井静香ばりのだみ声と話し口調で威圧的というか攻撃的な感じのする人で、まあ普通に接客をしながら内地から来ただとか世間話をしていると年齢の話になり、27だと伝えると、はっきり「ふけてるな」と一言。二言目にははっきり「40くらいだと思った」と付け加えた。言われる内容は多々あることでいいのだけれど、言い方がカチンと来てしまった。そして老けている人は年をとってから若く見られると言う定説を疑問視してしまった。私は実年齢よりも見た目年齢のほうが先行して進んでいるのは無いか。ようは老けている上に、老け込んで行っているではないか、と。ま、どうでもいいけどやせてきたこのごろはいっそう老けて見えるそうです。その反面腹筋が再び割れ始め、顔とは対照的に体はスリムさを増しています。

くだらないことばかり書いていないでちゃんとこれからのことを考えないといけない。簡単に整理すると、プレイヤーではなく、コンダクターになる。なったほうがいいし、ならないといけないし、なりたいと思う。と言うこと。早く返事来ないかな~。

濁り酒

2009年02月22日 | 日記
パワーストーンを頂いた。かなり胡散臭い感じがするけれど、生年月日と干支以外は何も言っていないのに接客業の人を対象とした組み合わせで作ってくれていたそうで、偶然にしろこれはつけておこうと思う。左手からパワーが・・・とは言わないけれど、心配してくれる人が居ることは幸せであり頑張ろうという原動力になります。ということで早速一社エントリー。うまくいくといいけれど、そうは行かないのが最近の常ですからね。昔から沖縄には嫌われてきてるからなかなか自信が持てない。そんな中懐かしい連中と連絡を取ったりして、前提にある価値観が共有できる人と久しぶりに話してほっとしました。海外旅行から帰ってきていつもの定食屋に行った時の様な安堵感です。最近は、ここは異国の地であるとはっきり割り切っています。だからほんとに帰る場所だけは用意しとかないといつかまいってしまいそうです。なんかいつもと文体が違いますが、これから先輩にあたるソムリエの方が勤める南の島のワイン屋さんで、なんでか置いてあったので買ってきた濁り酒飲んで寝ることにします。

文明開化

2009年02月20日 | 日記
転職活動のためにウィルコムのデータ通信に再加入。以前使っていたデータカードがあったから安く契約できるだろうと思って店に行くと、定額プランが1/3の値段になっていた。これならまあ納得できるだろう。次に引っ越したとしてもすぐに使えることも大きな利点だ。ということで久しぶりにキーボードから日記を更新。形態は場所や体勢を問わずに打てることがいいけど煩わしい。こうしてキーボードの前に座っていると少し文明社会に復帰した感じがする。でもタイプミスが多すぎるところがブランクを感じさせて少し悲しくなってくる。いろんなソフトのアップデートも多くてこのか細いデータ通信回路は常にフル稼働。頑張っていただきたい。

これからはまた更新を増やしていこうと思うけれど、どんどんネガティブな意見が増えていくと思う。それでもまだ腐りきっては居ないので心配無用です。まずは沖縄本島に居残ることをかけてネット上で職探しです。

海へ

2009年02月03日 | 日記
再び職場を変えることを決断。今回は精神的なダメージを隠しきれない。第一に人間関係に失敗した。紹介からの入社と言うことで期待させたのか煙たがられたのか特別視されていることは分かっていたが、それよりも私が心をとざしていたことが原因だろう。極限まで下がった給料で“がまん”したと考える私は、極端に言うとあなたたちとは違うんですと言わんばかりの言動をとっていたのだろう。冷静に見極めようという視点も、どこか覚めた態度になっていたのだろう。反省する点は多々ある。もっともショックで私を苦しめたのはオペレーション能力の低さだった。ケアレスミスが多くそれに気付くまでにも時間がかかった。ブランクのせいだと思っていたけれど、短時間で詰め込んだものは短時間で失われ、年齢とともに覚えも悪くなることを実感した。というよりも覚えが悪いことを改めて思い出した。この何年かで傲慢になり単純作業やルーチンの難しさと大切さを忘れてしまっていた。こんなことも出来ない人間に何ができるのか、このままでは本当にだめな人間のままではないかと言う不安を感じ、さらに回りから蔑視されるプレッシャーが悪循環に拍車をかけ、何をす
るにもオロオロする日々が続いた。私のフラストレーションは次第に外に向かい、自分を守ろうと環境に文句を言うようになっていった。実際に改善しなければならない環境要因も多々あるけれど、ケアレスミスを多発しオロオロしている私に改善できるはずもなかった。また挑戦して失敗するのではなく、不注意から来るミスであることがなおさら自分を攻め憤りを感じた。意地でも改善すればいいじゃないか。何度も何度も自分を叱咤激励したけれど、オロオロは悪循環をやめず、環境に飲み込まれ、陰口まで言うようになってしまった。そう、この陰口と言うのが今回私を最も苦しめた環境要因だった。店内では誰かが誰かの陰口を言うことで連日賑わっていた。敵の敵は味方とでもいえばいいのか。まともなことを言っても私のケアレスミスを拾い上げて陰口を言っているところも、連日陰口を言いながら表面上つじつまを合わせるところもたくさん見た。もう中学生以来の人間不信に陥るところだった。でもそれが思い出させてくれたこともあった。その人間不信こそがペンションの夢への原点だった。逃げ場所を作りたかった。またもう一度努力するまでの休憩所であり準備室で
ある場所。海へ行こう。ここには手の届くところに海がある。