山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

ダンス

2007年01月27日 | 日記
銀座で働いた日々も突然終りいきなり店長と呼ばれる日がやって来た。何も出来ないのに店長だって。こそばい響きだ。今日は引き継ぎで軽く飲みながら色々はなしているといきなり酔っぱらったおばさん登場でカラオケに連れていかれ、なぜか一緒にダンスを踊らされ帰ってきて仕事をした。仕事がらあんまりそおゆうの断れません。地域密着な営業をしてるんで。にしてもきつかった。ダンスはきつかった…

夢見心地

2007年01月24日 | 日記
函館に着いたのはいいけれど全くのノープラン。期待以上の歓迎されなさぶり。それでも夜中に先輩の家に行ったり、研究室の後輩と飲んだり函館をプラプラしたり。それにしても寒かった。冬ってあれだ。東京はあったかくていい。あと車もいい。車のある生活がしたい。飯もうまかった。たまに行くといい街だ。奈良から北海道に引っ越したときのように、函館にずっと住んでいるかのような感覚になって、東京に居たことが夢のように感じてしまう。それでも共同生活をした家も自分の愛車もない現実に戸惑ってしまう。飲んだくれの後輩たちを見ていてもなんとも思わない。こいつら子どもだなぁなんて全く思わなくてすごい自然な空気。社会人だからなんて関係ない。そのままでいい。どこに行ってもやっていけるよ。ただちょっと金の出入りが激しくなるだけ。帰りは疲れきって函館を出たら青森でまぶたを開けて、まばたきしたら八戸に着いて、一服して目を開けると盛岡で、夢かと思ったら仙台で、時計を見て顔を上げると上野でした。もおよだれがすごいったら。なんでかコートのボタンも取れてるし。しゃぶりまくってたのかな?そのまま東京で朝の6時まで飲んで帰って遅刻です。次の日も遅刻です。社会人失格。あら、やっぱりどこに行ってもやっていけてないわ。ごめんね後輩たち、俺がやってきたような生活をしてるとこんなことになりますよ。

函館へ

2007年01月18日 | 日記
3連休をもらった。奇跡のスケジュールなのか、なにかの間違いなのか、これから先の悲惨な生活を暗に意味するご褒美なのかはあまり考えずに48時間起き続けて疲れきった体を休める暇もほとんどなく起き上がらせ東京駅に向かった。チケットを買うと残金が1000円で煙草を買うと850円でジュースを買うと700円。社会人初の旅行のあまりの情けなさに悲しくなりながらそれでもカードを使わなかった自分を褒めながら恨んだ。現金主義ですので。まあそんなこんなで函館です。

富士山

2007年01月12日 | 日記

タイマーズのCDを借りることが出来た。デイドリームビリーバーを聞きまくっています。先輩の家に言ってモンキーズのEPを見つけて聞いたけれど、キヨシロウの方が好みです。今朝は9時から研修があって久々に京急に乗った。北品川の風景もすでに懐かしいものになっていて、青物横丁あたりをうろうろしていたことを思い出した。あの頃は確かに生活リズムを調節するのでいっぱいいっぱいになっていて疲れていたけれど、こころはウキウキしていた。意味なく散歩をして見つけた桜並木は今でも心に残る風景だった。あれからもうすぐ一年が経ってしまうものかと考えると驚くばかりだ。今ではあのころに出会った仲間も会社を辞めてしまったり遠くに行ってしまったりしてしまった。今も相変わらずな生活をしているのは数少ない人間で、私はその一人になってしまう。それでもとうとう店長というポジションにつくことが出来た。正直小心者の私にはプレッシャーの方が大きい。不安だね。でもウキウキしてる。そんな気持ちで徹夜の研修。腹が立つのか、うんざりなのか、楽しんでいるのか分からない・・・なんて考えていると突然目の前に富士山が見えた。確かに今朝は新橋の高層ビルが朝焼けに照らされてやたらとキラキラきれいに見えて、きっと北から澄んだ空気が流れてきたんだろう、なんて考えたところで、まさか関東一円がここまできれいな空気となって富士山まで見せてくれるなんて考えても居なかった。もしかしたら今まで気づかなかっただけなのかもしれないけれど、立会川から見える富士山は美しかった。これから新たな一年が始まる。何もかもが目新しいもので、聞こえるすべての音が私を震わせ、触れるものすべてが私を突き刺すような一年となる気がする。きっとこれまで以上に喜び悩み、苦しみ幸せを感じることだろう。


早すぎるけど

2007年01月11日 | 日記
春にはと思っていたけれど昨日いきなり内示が出た。これで一応店長です。東京の端っこの小さなお店に移動で、昇進。でも喜んでる暇もないくらいにやることが山積み。12月忙しすぎて感覚が鈍ってるから。さてさてどんなお店になるのでしょうか。

写真は関係ない

2007年01月05日 | 日記
どうしてこんなにも現状に不安になるのか分からない。かといってそのことを誰かに話そうとしたわけでもない。誰かに心配されるときれいごとばかり並べて安心させようとしてしまう。否定されると反発するくせに不安になる。そんなものか。中学生のころ思いつめてフロリダのバスプロ養成学校に行かせてくれと言ったときのように岐路に立っているのかもしれない。そのとき行っていたらどうなっていただろうと今でも考えることがある。別に華やかな生活が待っていただろうとかうらやむようなことないけれど、きっとそこそこやって同じような悩みを抱えていたんだろうと考えると状況は変わっても自分自身はあんまり変わっていないような気もする。でもそういった決断は良い悪いは別として、自分の何かを変えることは間違いないと思う。どうしてこんなことを考えるのかと言うと街で沖縄の海を写したポスターを見たとき、本当に胸が締め付けられた。物理的に何かでわしづかみにされたような感覚。視覚的な刺激でそんなことが起こるのかとも思うけれど実際にその場に立ち尽くしてしまった。どうしてそんなに沖縄なのか。よく効かれるが明確に答えることはできない。いつからそう思ったのか、どうしてそう思ったのか。本当に分からない。ただ中学生のころそう思ったと言うことはそれ以前にもう何かを感じていたんだろう。かといって小学生のころに言った記憶というのはほとんどなくて、冬の海だったこともあってそれほど海に感動した記憶もない。大学院に行ってすごした沖縄生活も沖縄のこんなところに惹かれてたんだとかそんな理屈を見つけることはできなかったけれど、幸せな時間だった。経験のため、力をつけるためとここに来ることを選んだけれど、今ここでしか経験できないと言うものを大して重要視することもできず、土地と言うものを感じることもできず、ここでこのしなくても良いんじゃないかと思うことが今の私を悩ませるひとつの原因だ。そこに明確な理由を求めるくせに、沖縄と言う土地に明確な理由をもたない自分がいる。ただ、空と海と大地に包まれていたいのかもしれない。考え事をするときはいつもそんな場所にいたかもしれない。学校に行かず奈良公園をひたすら歩いたこともあったし、意味なく一人石狩浜に車を走らせたこともあった、函館では目的もなく端っこを目指して車を走らせて、沖縄ではいつも海に囲まれていた。決して街をうろつくようなことはしなかった。だから運転が好きだった。車じゃないといけないようなところに車はすぐに自分を連れて行ってくれた。車は自由だ。車に乗るまでは自転車だった。いつも遠くに行きたがってた。こう書くと逃げているんじゃないかと自分で思ってしまう。さてさてどうするか。今日の休みはやたらと考え事をする日だ。とりあえず移住する資金だけは溜めよう。そして車を持とう。その目処が立ったらさっさと移住しよう。それがきっと来年の春だな。昨日の思いつきも捨てたもんじゃない。結局昨日考えたことに行き着くということはそれが答えだ。そう信じて明日から再始動。この春にはきっと良い知らせとなるような結果が出ると思います。

助走

2007年01月04日 | 日記
年越しどころの騒ぎじゃなかった。訳もわからず入店が続き、気がついたら発注時間が過ぎていて、座敷にはテレビで見たことがある人たちが沢山いた。方やホールでは学生らしき団体が大騒ぎしている。ずんぐりむっくり不細工がサイドだけを刈り上げ、ジャケットとネクタイを着崩してくだらないことを喚いている。衝動的にグラスを投げつけてやろうかとグラスを握る手に力が入ったけれど、こんなくだらないことで去年のがんばりを捨ててしまうようなことはしたくなかった。一月一日はそんな感じで迎えて、気がつくと昼になっていた。片付け残しに気づいていながらも体が動かずそのまま客席で眠ってしまった。こんなに正月を感じない正月はない。ただの一月であり正月ではなかった。助けに来てくれた同僚が紅白のラジヲを聞きながら「故郷を思い出すよ」と言ったとき、私も故郷で迎えた正月を思い出していた。こんなことで人間らしい人間になることができるのか。やっぱり行事と言うものは大切にしなければならないと再認識した。そんなことをして迎えた今日、来年の春にはこの会社を辞めようと思った。それ以上は何かを失ってしまいそうで、それ以下は何かをあきらめてしまいそうだからその日付を入れた。それまで駆け抜ける。行けるところまで行く。そして沖縄に行こう。今年は助走の年。踏み切り線まで一気に駆け抜ける。