山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

謙虚に

2007年07月31日 | 日記
タテジマヤッコの幼魚。沖縄の海で初めてこの魚を見たときは、心臓がドキドキするくらいに夢中になった。今回の滞在中には二回泳いで、一回は水納島裏まで行ってスキンをした。小さいミドリイシなんかの珊瑚がたくさんあって、だいたい7年位前に着底したものだと言っていたけれど、7年でこれじゃあ大変だと思いつつ、少し回復気味にある海を見てうれしくなった。その晩に友人と飲んでいるうちに、環境問題がどうだこうだと話し出して収集がつかなくなった。二酸化炭素の削減がどうだこうだと話していて、自分は二酸化炭素さえ抑えれば温暖化が止まると信じ込んでいる今状況に疑問を感じるし、その安易さが何でもかんでもセクハラだと騒ぎ立てたり、「海辺のカフカ」で図書館に女子トイレがない・・・と騒ぎたてていた人たちのような苛立ちを感じる。自分が働いていたお店も、割り箸を止めて塗り箸に変えていたけど、それが一番いいことだと信じているのが嫌で、竹林や森林をちゃんと管理して(それが出来ないとあきらめたからこうなったのだろう)、割り箸を生産していくことの方が、あなたたちの言う大気中の二酸化炭素の削減には有効なんじゃないのかと思ってしまう。その際の逃げ道は”コスト”という言葉なんだけど、二酸化炭素とコストを正確に計算できる人なんてそうは居ないと思うし(出来る人が居るとは私は思っていない)、二酸化炭素が温暖化の原因になっていると言い出した気象学者の大気中の二酸化炭素量の収支計算はすでに崩壊しているし、温度の上昇が大気中の二酸化炭素量の増加を引き出していないと(炭酸飲料を想像して納得した)、化石燃料を使い始めるまでの温度の上昇と二酸化炭素量の変動を説明することは出来ない。と考えると、他にも原因があるわけだ。でもはじめは一つから。出来ることからはじめるしかない。その謙虚な心を忘れないように(自戒)。

生駒山

2007年07月30日 | 日記
生駒山に建つ鉄塔が昔よりも増えている感じがしたから、父親に聞いてみると、地上波デジタルで増えたかもしれないと言われて、そんなことに気づいた自分が少しうれしかった。奈良や大阪の東側で育った人はいつも生駒山を眺めて過ごしていたんじゃないだろうか。生駒の山が視界にあることが当たり前で、札幌に引っ越した頃にいつもそんな目印になるようなものを探してしまっている自分が居たくらいに、無意識なところでその存在をいつも確認して生活してきたんだろう。前日結婚した兄も、自分が高校生になる頃には家を出てしまい、すでに10年別々に暮らしているけど、弟である私は常にその存在を意識していた。ブルーハーツを聞いたのも、ニルヴァーナを聞いたのも兄の部屋に落ちていたものだったし、マウンテンバイクに乗りたくなったのも、サッカーをしたのも、バンドをしたのも、理科が好きだったのもすべて兄の姿を真似たことがきっかけだった。酒もタバコも女の子もすべて兄で予習してから実践する。それが当たり前だったからどうこう考えたこともなかったけれど、それがあるべき姿なんだと思っていたことに、私が大学に入り、兄が愚考を重ね始めた頃気がついた。要は、予習しちゃいけないと初めて気づいたのかもしれない(笑)。結婚式の日、いい家庭を見せ付けるという言葉に驚いた。きっと私のそんな後追いなところをちゃんと気づいていたのかもしれないと。気づくのがあたりまえか。何か物事を感じたり、気づいたりしたときに頭の中で誰かに語りかけるように考えるけど、その対象が恋人であったり、両親であったり、兄弟であったり、尊敬する人であったりするけれど、結婚式以降兄に語りかけていることが多くなっていたせいもあってこんなことを書いている。でもそれは忘れ物だらけの兄の姿を見ていつもの兄の存在に一気に引き戻され、一時的な感情であると今日一日で気づいてしまい、今日以降また兄のことについて書こうと思うことはきっと珍しくなるだろう。次は親を困らせる方法じゃなくて、ちゃんとした親になる方法を見せて下さい。

2007/07/25

2007年07月25日 | 日記
帰ってきました。釘を踏んだことで大きく予定(想像していた)が変わりましたが、化膿することもなく、破傷風になることもなく無事生還です。それでも少しびっこをひいて歩いてはいますが。

今回の沖縄滞在の大きな目的である、今後の就職については大まかな方向は自分の中では決まりました。とにかく今は沖縄で働くには早いということです。私が居た瀬底島でさえ、わけのわからない飲食店が立ち、観光客はもちろん移住者もどんどん入ってきている状況で、正直何がなんだかわかりません。あと給料が信じられないほど安い。その給料では、次に何かをやろうとしても身動きが取れない程度のみみちい金しか手元に残らないでしょう。ということで、沖縄の会社も受けてはみますがそのときは給料重視。とにかくこの沖縄ブームのほとぼりが冷めて、物件を手放したいと言い出すときまで体力をつけておきます。

刺さるよりも抜くときの方が…

2007年07月21日 | 日記
「マキロンならケイトあたりにキリンが持てます」いい間違いか替歌なのかもよく分からないフレーズを友人に唄われながら、貫通するかという勢いで釘を踏みつけた私の足を消毒する。そう、昼に海に行こうと用意をしているときにコンクリートからつきでた鉄片を踏みつけた。詳しく書こうと思うとまだその痛みを思い出して体から力が抜けるので止めておくけどとにかく歩けない。化膿しないように消毒をこまめに行い抗生物質を塗る。朝になってもそれほど腫れていないので、たぶん大丈夫だろう。今日は結婚式だというのに災難だ。友人は海にはカツオノエボシ(人がショック死してしまうほどの毒を持つクラゲ)が居たことことを思い出して、怪我しないで海に来てたらカツオノエボシに刺されてたんだよ、と妙に納得の出来る言葉をかけてくれた。実際カツオノエボシは外洋に居ることが多くて、時たま沿岸まで流されて来るくらいの珍しい生き物だから、これだけついていない私であれば逆にそれに当たらないことの方がおかしいと感じてしまった。まあいいよ。しこたま本を買ったあとだし暇はしないし、仕事を辞めたらはじめに筋肉トレと読書をしようと思っていたからちょうどいい。

水族館にて

2007年07月20日 | 日記
沖縄に来てひたすらだらだらとしている。まさかこんな時間が再び訪れるなんて思ってもいなかったことが、あまりにも愚かでバカな考えであり、そんな状況から抜け出したことをうれしくかんじた。洗脳されていると言われる私の頭も、徐々にそう言われる部分を認識しはじめたようで、同じ場所、同じ人、同じこと、同じ話、同じ時間という鏡で自分の変化に気付き、やはり自分のどこかが成長したのではなく、損なわれていると感じ始めてくる。午前中は新しく本を読み始めたのだけど、上巻の1/4あたりで突然女の子が惨殺されて、そおゆうあえて意味の無い死を描写することで産み出される感覚とその意図が本当に嫌いですぐに読むのを止めて新しい本を買いに行くことにした。ベルセルクでも黒犬騎士団(?)が、グリフィスを助け出したガッツを追いかけるときに繰り広げる惨殺劇にはさすがに気持ち悪さと言うのか恐怖と言えばいいのか、とにかくそんな良くない感情が圧倒的な力で襲ってきた。新しく買った本は保坂和志のもので、絶対にそんな描写はないと確信して買ったのだけど、谷崎潤一郎がどうしても気になって、本を買いにきた理由を考えると少しずれている気がしたにも関わらず買ってしまった。そんなことをして、独り昼を食べにいつも行っていた食堂に行くと(過去にも書いているけど、ここの食堂のおばちゃんたちは沖縄の母ちゃんみたいなもので、自分が飲食の仕事をしようと決めたきっかのひとつになるような存在だ)、このまま沖縄に居ればいいさ~と笑ってごまかせないくらいに刺激的な言葉をかけたうえに、ウチに居候してウミンチュやりなさい、とこれまた刺激的な言葉を投げ掛けてきた。うろたえながらも笑ってごまかし平静を装うが、すでに頭のなかでは船の上で網を引き上げていた。でも最後はゆっくり考えなさいと言ってお別れをした。なにか収まらない気持があるわけでもないけど、また独り水族館に向かった。何を見るわけでもなく家の水槽を眺めるようにしてゆっくりと進み、気が付くと大きく見せられた女の子の背中に釘付けになっていたりもしたけれど、大きな水槽の前でこうしてゆっくりと日記を書いている。大体の方向性は定まってきた。8月には始動します。

明日

2007年07月17日 | 日記
今日はなぜか天王寺で呑む。まさに新世界。おもしろいな~あそこらへんは。通天閣があんなにきれいになっていたのは知りませんでした。さてさて明日から沖縄です。のんびりするぞ~~~。

ゆっくり

2007年07月13日 | 日記
意外とあっさり引越しを終わらせて愛知県三河に向かった。東京にいても誰に会えばいいのか、会社の人と何を話せばいいのかなんて考えてたらめんどくさくなって出発することにした。そのおかげで転出届をもらうのを忘れたけれど、お世話になった店長、私が辞めることに私情?会社ごと?を持ち込まない店長だった人にだけ挨拶をして新幹線に乗った。三河には大学時代の大半をだらだらと一緒に過ごした友人がいて何かと関西に帰る前は寄り道している。三河では三河なりの楽しみをして翌日に備えて早く寝ることにした。翌日はいつもののりでのんびりと下呂温泉に行こうと言うことでいざ出発。意味なく江差や恵山に行ってたころを思い出すような目的のない旅ではあったけれど、意外と下呂温泉がよくて途中の景色に感動しながら楽しんだ。こんなことをしていていいのかと途中何度も思ったけれど、この一年休んでなかった分を休んでいると考えるようにして回避した。ちなみに衰えた私の体とは対照的に、鍛え上げられた友人の体は見事で、腕相撲において初の敗北を覚悟しましたが、勝っちゃいました。自分の衰えを身にしみて感じ、今後のリハビリをもっとがんばれるようにと負けを覚悟して勝負しましたが、これじゃあねぇ。なんて言うと怒られるのでこの辺にしときます。とにかく下呂温泉への道中の景色は一年ぶりに東京を出た私には新鮮で、やっぱり育ったところが田舎だから田舎がおちつくなぁと。それから再会はどっちかの結婚式でと、途方もない時間を約束したような言葉で別れを告げた。三河から京都はすぐで、何の前触れもなく懐かしい景色と匂いに包まれてしまった。そして今に至るわけだけど、帰る場所があるってどれだけ助かることなのかと新ためて実感した。ゆっくりあせらず。誰もが言う言葉を信じてやっていきます。

故郷から

2007年07月13日 | 日記
帰って来た。
帰ったわけでもなく、帰るわけでもなく。
京都駅に降りたとたん、恐ろしく懐かしい香りに襲われる。
別に京都に思い出なんてないけれど、ただそこの匂いに。
またゆっくりと書こう。
とにかく今はステレオでModest Mouseをかけているのが気持ちいい。