山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

飛行機の中から

2015年10月20日 | 日記
すごく久しぶりに一人東京へ。みっちりとトレーニングのスケジュールが組まれているため泊まるホテルの人にしか声はかけていない。これが私のいけないところかもしれない。ただ、時間も無いのに都合よくスケジュールをねじ込んでこられるのも好きではないので、私もやらないようにしている部分はあるけれど、大学を卒業して10年、ろくに連絡も取っていない人間が多すぎて、遠隔地に自分がいるとは言え、薄情だと思われても仕方がない気もする。ま、大学の友達は活力が有り余っていて、中途半端な気合いで会ったら完全に押し負けてしまうという恐怖感から、なかなか手を出せないというのも正直なところである。

最後に東京に行ったのが嫁とディズニーランドに行ったときだろう(笑)西葛西に住んでいても足を踏み入れようとは思わなかったくせに、沖縄に住んでから二回も行った。そんな感じで、もう自分が住んでいた町だという認識はほとんどない。東京に住んでいたころは居酒屋で朝から晩まで働いていて、ホテルのことなんて考えたこともなかった。今こうしてホテルの中でも高級とされるようなところへ出入りするようになり、やっぱり場違いな感じがしてきている。さらには沖縄はバブルは好調で、一層高級志向な人たちをターゲットにするように動き出している。どこか自分がいるべき場所なのかと疑問に考えてしまう。居酒屋にいたころは、ブラックカードのおじさんも来たりして、別に客層がどうこうなんてあまり考えることもなかった、ホテルで働くようになり、何かぼったくっているような感じがしてくる。実際に飲食店として考えると、宿泊ありきの考え方で様々要求される内容は、価格と商品とサービスというバランス感覚を狂わせる。要は宿泊代で儲けられるから食事代を安くして、ということだ。広い視野で考えれば、食事つき宿泊がいくらかと考えられれば問題ないのだけれど、リゾートは安いときは15,000円の部屋が高いときには7万8万で売りさばかれる。しかも完売する。原価も手間も何もかも同じ物。レストラン育ちの私には衝撃的な世界だった。売れるんだったら原価率も人件比率も関係なくいけるだけ値段をあげてしまうのではなく、適正な原価で何度でも使ってもらえるように価格を抑えて販売しようと思うのが私の考え方だった。年に一回使うかどうかの世界ではそんなことをしていたら確実に負け組みになってしまうのは明らかで、やっぱり私はそんな世界で勝負が出来るかな、と悩んでしまう。株や為替を一番高いときに売りさばいて利益を出しているような人(やったことないから良く知らないけど)と同じような感じがする。それで稼ぎきって抜けられる人は確かにすごい才能を感じるし、こういう人が金を稼ぐんだろうなって納得をする。私には出来ないし、やれるとも思えない。そうゆう世界に足を踏み入れてしまったのかな。この部屋はいつでも1ち万円です。そんな売り方をしているホテルもある。そんなところを今回見てこれたらいいなと思っている。バブルのはじけた沖縄で生き残れるようにもそれが必要だと思う。もちろんマネージメントの仕事をしている限り、売上と利益を最大限にする努力はするけれど、本当に自分ががんばらないといけないのは儲からなくなってから。儲かるうちは、売り切って儲けられる才能がある人のいうことを聞いてがむしゃらに儲けます。思い返せば状態の悪い店舗でこそ自分の力が発揮できたように、ピンチのときに何が出来るかが私のやるべきことなんだと思う。人がやらないこと、できないことをずっとやってきた人間なので、人が無理って言ったときこそ自分の出番だと思っている。今もとんでもない人員不足が起きている沖縄でしっかりと人を抱えられている状況こそが、自分のやってきたことだと思っている。それでも、明日それが崩壊したとしても不思議ではない状況にしっかりと身を引き締めて対応しなければいけない。毎年毎年役職が変わり、やる仕事も毎年毎年変わるので仕事にマンネリすることもなくそろそろ次の職場へ・・・なんて考えてる暇もなかった。環境をどう変えることが出来るかが私の仕事であれば、環境を変えるために職場を変えていたらそれは矛盾してしまう。しかし、私は今の自分の状況に場違いな感覚を感じている。さてどうしたものか。

接客業に従事しているとは言え、実際にお客様と接した時間というのは私の仕事生活の中では非常に少ない。半分以上を裏方の仕事で過ごしてきた。それは前にも書いたように、人がやらないことをしてきたからだ。接客業では裏方は敬遠される。なぜなら接客業がやりたいのに接客ができないという当たり前の理由だ。この当然の過程で私は接客業から遠ざかって行き、接客業の人が出来ない仕事を引き受けるうちにマネージャー、支配人と変化していった。ここになにか条理に従わない状況が存在することに気付く。接客を突き詰めたものが上位職についていく訳ではないということ。私はここが接客業たるものが虐げられる理由だと思っている。接客を突き詰めたものが上位職に就くべきだけれど、任せられる仕事は接客ではないため、接客をしたい人間は上位職を目指すことをやめる。こういった状況は技術を求められる職人的要素を持つ職種ではどこでも起こりえることで、飲食であればこれに耐えられず組織から外れ自身でお店を始めることが多い。こうしたことの循環で、接客スキルとリーダーシップ(人間性)を持ち合わせた尊敬できるサービスマンが産まれてこないと感じている。だから少しでも今接客に従事している人間に、マネージメントという観点を持ち合わせて欲しいと思う。そんなに高度なものを求められているわけではないけれど、食わず嫌いで敬遠しているだけなので、少し触れるだけで組織から求められる接客以外の仕事はこなすことが可能だ。でも現場の人間は驚くほど裏方の仕事を嫌う・・・。この循環。簡単なようで簡単ではないですね。私は接客の道に入ったときから、自身が接客や料理といったスキルを極めていこうと考えてはいなかった。向いていないことが始めてすぐに分かったし、それが出来る人、やりたい人はすごくたくさん居ることが分かった。だったら自分はこの人たちが最高のパフォーマンスが出来る環境作りのスペシャリストになろうと思ったのも働き出してからすぐのことだった。ちょっとした知恵や工夫を現場に盛り込むことで、驚くほど従業員たちは喜び、パフォーマンスが向上した。物を置く場所や、メニューの作り方など決してそんな難しいことではなく、みんなやろうやろうと思ってやらないことを少しずつやって行った。ある店舗ではだれも掃除しないからとんでもない状況になっていたのを、本当に朝から晩まで掃除をして片付けたことで、最終的には利益率の向上と人員確保にまで結果が結びついたことがあった。汚していた張本人たちがきれいにして喜んでいる姿を見て、そんなもんかと思っていたこともあるけれど、片付けたくない訳ではなく片付けられない理由がそこにあって、その原因は掃除が出来ないだけではなくて、いろんなところに影を落としていたということ。やってもやっても違う問題が発生してみんながあきらめていたことが、掃除を発端にして解決していくことができた。そして、何でもいいから正しい状態に直す過程で、その問題の原因にたどり着くことが出来ると分かった。まるでもうどんなお店でも超優良店に出来ちゃう凄腕コンサルタントみたいな書き方になったけれど、これは分かりやすい短期的な問題解決の事例。10年良い状態を保とうと思ったらこれはまた難易度が上がって簡単なことではない。今も毎日毎日問題に直面して、考えて対応して(対応に追われて)いるのが現状です。

社会人になってやっと10年の若造は、そろそろここで何かしら自身のスキルを形に結び付けたいと思っているようです。これだけの文章を書きながら思っていることは、自分は何をやったのだろう、何が出来れば達成感を得ることが出来るのだろうと疑問を解こうとしています。違う環境でも自分のことが認められるだろか、という疑問の中には、認められたら自分のスキルは確かなものとなり達成感を得ることが出来るだろうし、更なる次のステップへの土台となると思う。このままここでやり続けていたら、他では通用しないガラパゴスの進化のような人間になってしまうのではないかという不安もある。ただ、このままで良いと言う人間にはなっていないかが一番怖い。子どもが生まれてから、子どもが可愛すぎてもう仕事は適当でいいか、と思う自分がいるのも事実です。