山口日記

その日を記し、
その日を残し、
来るべき日を見据え、
来るべき日を迎えるために。

あうあう。わうわう。

2018年04月23日 | 日記




会社のプラグラムの一環で、専門的な講習を隔週で東京に通いながら受講することになった。業界では有名な集団で、ホテル情報、コンサルティング、人材紹介、人材育成なんかをやっているので、どこどこの誰かと必ずつながる。その類はあまり好物ではないので、わざわざ広げることは無いけれど、十年前に夢途絶えたホテル計画メンバーとは密接に繋がっているようで、散り散りになった仲間がどうしているのかと聞くのはなにか懐かしくもあり、新鮮でもあった。




強烈な他ホテルの現役先輩が講義をしてくれたのだけれど、どうしてわざわざこんなことをしてくれているのだろうと不思議に思う。せいぜい支払われる報酬なんて、彼等にしたら動機にはならないだろう。それだけのリターンがなになのか、しばらく探りたいと思う。




なかなか難しい、マニアックで専門的な意味ではなく、内容を実践するにはそれなりのポジションに居なければならず、当然参加者もそのクラスの人間が来るのだろうと思っていたが、意外とそうでもない人が結構いた。正直残念だ。気兼ねなくやりたい放題やらしてもらいたい、肩を貸してくれるくらいの気持ちで、自分が一番下の人間くらいだと思っていたからだ。先日、この業界に入って同期じゃ物足りないでしょ、と上司のひとりに言われた。思っていても言えない言葉を不意に投げかけられて、やっぱりそう思って仕事をしている人はいるのだとうれしくなった。だから少しでも上に登り、少しでも上位の人と仕事をしようと励んできた気持ちが報われた気がした。




今は帰りの飛行機の中、仕事をするほどでもないけれど、この講習のことをレポートではない視点で記録に残しておきたくて、日記を選ぶことにして書いている。耳栓をして、アクビをすると変な音がすることを発見。口から音が入ってきているようだ。器官的な管で耳につながっていることが理由なのか、骨伝導でそうなるのかはわからないけれど。ひとりニタニタしながら口をあうあうやって音の変化を楽しんでいる。息子を思い浮かべてしまう。いつかこんな遊びも教えてあげよう。一緒に遊んでくれるうちが私の賞味期限なので、その間は存分に楽しんでもらいたい。
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感謝しながら

2018年03月10日 | 日記

感情的になることもなく、ただ自然と過ごした故郷での時間。昔の仲間と飲み、家族で食事をして、祖母に会いに行く。そんなことが、ごく自然とできる今にちゃんと感謝しなくてはならない。故郷に帰っても、独り、話し相手もなく、帰る場所もない日が来ることを考えると。その日は確実に来る。少しずつ弱っていく祖母を置いて立ち去る自分を少し責めながら、こうして帰ることを許してもらえることに感謝しながら。
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そこから見る景色

2018年03月07日 | 日記


久しぶりの大阪出張。変わらず集まってくれる友人が居てくれることが本当にありがたい。一人飛行機で仕事をしようかと思ったけれど、満席な上にうるさい学生とおっさんだらけ。よっぽど赤ちゃんが泣いている方がマシだ。本当に神経が疲れる。仕方がないからイヤホンをつけてなんとなく日記に向かう。

出張が好きだ。ホテルに泊まるのが好きだし、自費では泊まれるハズもない高級ホテルにビジネスレートで泊まれる。もちろん経費。ここはラグジュアリーと呼ばれるホテルブランドで働いている甲斐がある。しかし、よそ行きのアイテムを持ち合わせない田舎者が、高級シティホテルにチェックインするのはなかなか恥ずかしい。しかも身内で身元が割れているわけだ。あいつワイシャツがユニクロだぜ、バッグなんて無印だったぜ。と、言う具合にだ。。。ホテルマンはゲストのことは言わないモラルを持ち合わせているが、身内となるとメッタ切りなのである。そこも含めて立ち居振舞いを意識する良い機会でもある。と言う具合に一大イベントなのである。

関西に一人で帰ると、どうしても二十歳ごろまでの自分に会いに行くような、もしくは問い詰められるような、若かりし日の自分と対峙する瞬間が突然訪れる。こんなハズだったのか?とか、そんなもんか?とか、それでいいんか?とか。なにかと彼は口が悪く態度がデカくて偉そうで、まるで自分なのだ。そんなやつを言いくるめられるくらいの仕事はしてやろうと決意を新たにするのだけれど、どこか後ろめたさも有るわけである。5歳の息子をだっこしてチャンピオンベルトを巻きリングに立つ、笑顔のボクシング中山選手を見ると、おれは息子にこんな景色も後ろ姿も見せられてないな、とやる気になりながら、そのすごさを感じることができる。
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嘘をつく

2018年03月05日 | 日記


ここに来るとがむしゃらに働いた居酒屋時代を思い出す。銀座から八丁堀の家に帰る途中、食わないと倒れる、と思い立ち寄った店。おかわりもして満腹になる頃には、今日こそ倒れて休ませてくれ、という願いに変わっていた。それがなかなか倒れてくれなかった。なのでひたすら食べた。

息子が嘘をついて怒られないようにしようとする。心底腹が立つ。が、嘘をついているうちに何が本当だったか分からなくなる様子は面白いし興味深い。いつしか本人のなかでは疑いようのない本当になっているのである。私もヘマをしたときなんとか誤魔化せないかと考えてしまう。小心者の私は怖じ気づいて本当の事を言う結末を迎える。なので、息子にも嘘をついた方が損することを教えたいので嘘をついたときは正直に言うまで根比べをする。可愛さを武器に切り崩して来るときが強敵で、ついつい笑って許してしまいそうになる。息子の見えないところで嫁がニタニタしていようものなら尚更だ。

正直に実直に育ってください。
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壁ではなく

2018年01月30日 | 日記



猟奇的な殺人犯を死刑にしたからと言って遺族に平穏な日々が訪れることはないけれど、のうのうと生き延びていることは遺族を憎しみに引き込んでしまうだろう。加害者がもがき苦しむことが、遺族を慰めることはないだろうけれど、もがき苦しんでいないことは、遺族を苦しめることになるだろう。

生きていくために、死と言うものがもっと身近にあったとき、ひとはもっと優しくなるのだろうか、残酷になるのだろうか。

身近な人間が自殺した。引き込まれないように考えることをやめた。息子と言う強烈な生を授かった今、死について考えることはあまりにも怖くて、自分のリアリティーのキャパを越えてしまった。しかし、時間が経ち色褪せていくはずの出来事が、大きく膨らんで行く。

明日死んでしまうかもしれない。若い頃は、死んでしまうということは、なかなかたどり着くことができない「壁」の向こう側に行くことだと考えていたけれど、死ぬかどうかなんてバスケットコートのラインみたいに極めて平坦で、越えてしまう事になんの抵抗もないようなもので、ボールが転がるみたいに気づいたら越えちゃってたなんてことも起こり得るものだと経験した。自分はよく生きているなと過去が怖くなる。死んでいたのかもしれないと。
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まだまだ行けるもんだ

2018年01月22日 | 日記


飛行機から見る大陸はただ広く、町があり、明かりがあるが、人気を感じることがなかった。東京にいた頃は、これだけの人が居るように見えるのに、なんだか小さな町に思えた。不思議なもので、離れて見ると大きく見えて、近くで見ると小さく見える、なんてなぞなぞみたいな世界。

命をかけて家族を守り、人生かけて仕事をしよう。大袈裟に聞こえるけれど、仕事に命をかける必要はないし、家族に比べれば仕事なんて大したことじゃない、ととらえれば、なかなか良いスタンスなんじゃないかと思う。まあ、家族を守るために命を落とすようなことも今のところないけれど、無駄死にはしないけれど、そうなればそうするだろう。

選んでくれてありがとございました。不意に、採用パンフレットを作るために紙面で取り上げた従業員に言われた。そんな風に私が見ていたことが嬉しかったようだ。私も嬉しい気持ちになった。そんなつもりが無かったので、意表を突かれたが、これが評価につながるのかと責任も感じた。

なにか憂鬱な気持ちに支配されることが多かったこの頃の中で、嬉しい出来事を言葉にすると、まだまだ行けるもんだと思えてくる。
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能力

2018年01月21日 | 日記


自分は何について長けているのか。人に対して強いのか、物事を進めることが強いのか。学生時代、勉強と言う面では劣等感しか無かったけれど、就職してからそういった面での劣等感はなかった。学力が必要とされるようなことをしていなかっただけで、マネージメントに入ってからの同世代東大卒の上司にはさすがにシビれた。学力というよりは、知識の多さと解決策の提示速度と数、修正能力が想像の遥か上をいっていた。敵わないな、と。第一印象で人を見る力に自負はあるし、自身のリーダー力というのも、ある程度実感できる。なにかしら長というものをやってきたけれど、そういった力があれば必然的にやるから、やっているから有るわけではないけれど、あるのにやっていないことはない。と言い切っている人が居て、なるほど納得いったところがある。それまでは誇示でしかないとおもっていたけれど、履歴書のリーダー経験と言うのもそれ以降見るようにしている。とまあ、転職活動時に、これ、と言った能力はない。だけど何かアピールしなければならない。かと言ってない。と、なかなか転職できない。
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ナサケナク

2018年01月03日 | 日記


明けまして、やっと休みのこの夜に寝付けなくなり向かうはここ。提案も行動もない人間が、行動を起こした人間の粗を探して陰口を言う姿を目の当たりにして怒りに震える。それが定年間近の人間が若い人間の行動に対して行ったことだからまた救いようのないクソ野郎だと腹が立つ。しかしこの頃は私がアウェイのようなので荒立てて動くことはなかったと言うのがまたナサケナク、自分もクソ野郎だと腹が立つ。失敗してもいいからやってみなさい、と口では言うけれど、先輩方々は粗を探して分かったような口をきくのがお好きなようで、やって損したと後輩に思わせるのがお上手でした。最近は仕事にそんなにムキになっていない。残念ながら息子と居る時間が作れる程度の仕事量しかやらない(やれない)。期待以上の成果を示す快感よりも期待程度でストップさせるようになっている。意識的に上手くそうしていると言うよりも、そうしたときの評価よりも息子と居たいと純粋に思う。

ここからは、中国福州に向かう飛行機の中。上のようには書いたけれど、やっぱりゴリゴリ仕事は進める物だと刷り込まれた過去の習慣は怖いもので、結局そこそこ仕事はしてしまう。採用が上手くいかず、中国まで遠征して採用活動をするにあたり、そのフロー作りに参加している。採用は面白い。接客と同じようにそれぞれの人のストーリーに踏み入れていく行程は刺激的で責任があり、そしていろんなことを気づかせてくれ、教えてくれ、考えさせられる点で自身が成長できる機械を与えてくれる。本気になっている人間と向き合っている時間が成長する時間だとしたら、自分が本気になることで回りも育ち、本気になり、そこに向き合うことでまた自分が成長することができるサイクルができる。同級生や同郷メンバーが、歴史の中心になったり、新たなカルチャーを作ってしまったりするのはそんなことが理由なのかもしれない。

先月は台湾での採用活動で、久しぶりに沖縄から出てアジアの国に足を踏み入れると、やはり異文化に触れるというのは大切であり、沖縄が日本だと言うことがよく分かった。中国よりなところはあるけれど、やっぱり日本色は強い。だけど、アジアへのアクセスは非常によく、便利だ。香港のような都市に変貌するときが来るのかもしれないと考えてしまう瞬間もある。

これからが楽しみだ。香港空港の職員は人種が多種多様だ。沖縄はまだまだそこまでたどり着いていない。英語文化がそこまで根付いていないこともその原因なのかもしれない。英語圏文化を否応なく受け入れざるをえなかった状況がそうさせたのか。カジノや経済特区、香港マカオの良いとこ取りだけを狙っているけれど、しっかりと負の歴史にも目を向けないといけないのかもしれない。

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工事中

2017年11月19日 | 日記
息子が謎の発熱。弱っている子どもを見るのはとてもつらい。病院に行っても原因不明。9度を越す熱にさすがにしんどいのか、目を覚ますと抱きついてくる。早く元気になってくれると良いけれど。

36歳、故郷奈良を出て半分半分の年になった。温室の中のショーケースで育てられたサボテンくらいに、チグハグで過保護に育った私は大学で北海道に渡った。極端に離れた場所で、同じような境遇のサボテンたちと出会って、雪の中で世間を眺めていてた。とは言っても大学と親と言う温室の中でヌクヌクとしていた。それでも故郷に居た頃よりは外気に触れる機会は多くなった。行けるんじゃないかと思った就職活動で、やっぱり自分のヘボさを感じた。やっぱり温室が恋しかった自分に情けなくなった。思いきって飛び出してみる機会にはなったけれど、その後飛び出してみたら、なかなか次元の違う人間が居るもんだと思い知らされたと同時に、そんなやつは全体の1%くらいしかいないことも分かった。99%は相手じゃないと。1%を見て生きようと。これは優劣ではなく、共感できる人間と解釈するようにしようと変更したけれど、当時は見下すような部分もあった。院卒学歴というくだらないプライドがそうさせたのだと思う。飲食の世界に進むと、本当にいろんな人間が居た。これは良い経験だった。

ここに来て他社に声をかけてもらう機会が増えた。隣の芝生はあおい。そして調子に乗ってしまう。

Lil peepが死んだと言う。驚きはしなかったというか、やっぱりかというのか、そんな当然のことを本当に回避できなかったのかという逆の驚き。テレビで危ないシーンが流れても、安全対策がとられているとどこかで安心しているけれど、本当にそのまま事故った感じ。

高校生の頃、カートコバーンの病んだ魂を読みながら、自分も、朽ちていくよりも燃え尽きた方が良い、なんて考えていたけれど、あの頃にリアルタイムにリルピープに触れていたらどうなっていたのだろう、と怖くなるくらいリアルに迫ってくる危ない魅力があった。それで死んだ。あのころの私なら燃え尽きたように見えたのかもしれないけれど、今は朽果てたと感じる。彼が触れてきたリアルがどんなものに写っていたのかは、私には到底想像もできないけれど、彼の死は私のリアルに色濃く影を落としていった。私の悩みなんて見えなくなるくらいに。

対極的な状況に、ますます堅実に生きなければと思う。


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過保護

2017年11月01日 | 日記
お母さんが昔話をしてくれなかった。そう言って息子が目覚めた。昨晩はお母さんが先に眠ってしまったようで、その後ひとりでなんとか眠ったのがよほど辛かったようで泣いていた。妻は妻で悪夢にうなされていたようで、思い付く限りの宗教の言葉を発して逃げようとしたけれどかなわなかったのがよほど怖かったのか、寝ぼけながら般若心経を覚えようとググった結果、なぜかスマホのホーム画面を般若心経の画像を設定したまま眠ると言う奇跡を起こし、今日は朝から笑いが止まらない。

息子とふたり動物園に出掛けたり、ふたりでジュースを飲んだり、ボールで遊んで心底笑っていると、ふとした瞬間にそれを失ってしまうことを想像して怖くなることがある。事故や事件のニュースを見たときに良くそんな気持ちになる。絶対に失いなくないと思うと過保護に際限がなくなってしまう気持ちも分かる。かわいい子には旅をさせろとは良く言ったものだけれど、死んでしまったらもともこもない。

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