山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

やりたくなければやらなければいい

2015年03月26日 | 日記
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150325-00031782-gendaibiz-bus_all

それをやると決めた試験官と、受かった新入社員が企業活動をして、運営できているならそれでいい。就活生もそんなにバカじゃない。バカもいるけど、賢いやつは割り切ってる。唖然とするやつが選考を進むのであればそこにいかなければいい。社会に出れば、自分が唖然とするような人間ばかりで構成されている組織がたくさんあって、そこが成功していることなんてたくさんある。まだまだ自分の価値観が狭いことを知る機会だ。放っておけばいいのだけど、この時期はこんな記事が増えて、やりたくなければやらなければいい、選択肢はたくさんあるのに、まるで就活をしないといけないような風潮を助長する内容、代案を示さないこの態度に腹が立つ。この記者は就活に失敗して恨みでもあるのかな(笑)僕はその口で、ついていけなくなって就活辞めて、言いたいこと言って採用してくれる会社に行ったらブラックでした。まあツラかったけど、ブラックだとは思ってませんが。

テレビと転換期

2015年03月18日 | 日記
ここのところ良く日記を書くのは、子どもが生まれてからテレビを見なくなったから。結婚するまでもあまりテレビは見なかったけれど、妻と過ごすようになってからはだいたいテレビがついていた。女性はすごいもので、テレビがつきっぱなしでも同時にいろんなことをする。私はテレビを見ながら違うことを話すことすらできない。内容に興味が無くて流してみているようで、話しかけられても返事ができないほど集中してしまっていた。そう考えると垂れ流しの情報というものは、それなりに効果を発揮しているということだろう。このメディアは本当にインターネットにとって変わられるのだろうか。情報を選ぶのにも疲れてきて、やっぱり選んできてくれた情報だけを流すテレビがいいや、なんてことになるような気もする。これだけ褒めといてなんですが、無くなったら無くなったで全く困らない。ずいぶん有意義になったような気さえする。ずっと前のことだけど、学生のころには毎日のようにここを更新していた。あの頃もほとんどテレビを見ない生活をしていた。沖縄の宿舎で一人になる時間が多かったし、いろいろと考えなければならない時期にそういった生活をでき
ていたことはとても良かったことだと思う。今もこうしてここに向かい合うようになったということは、また転換期を迎えているのだろうか。

やってみたいこと

2015年03月15日 | 日記
奈良に新しくホテルができる。この情報を知ってから頭の中をよぎるのが、今までに培ってきたことがここで役立たないかな、と、いうこと。18で奈良を出て転々とするたびにいい所だったなと思う。そして観光業に携わるにつれ、残念だなと思う。何とか巻き返したい、それに力を貸せるならとても面白いのにな、と考える。沖縄に戻ってくることは明らかだけど、経過地点として故郷に戻るということもとても面白い。これで成果を得られたのであれば、精神的な充実感はなおさらだ。

現状が嫌なわけではないので、動かないとは思いますが、やってみたいことではありますね。やってみたいけどやっていないことの方が、断然多いので・・・。戯言です。

解釈の変更

2015年03月08日 | 日記
子どもが生まれてガラッと様変わりした生活。母親は妊娠している間に母親の準備をしているが、父親は生まれてから認識が芽生える。そんなことが書かれていたことを思い出すほどに、妻は親として先輩のように息子のことを教えてくれる。ここは妻にはできないことで挽回するしかないな。

 仕事で認められてそこそこの収入を得る。社会的にもそれなりのステータスがあって、あとはプライベートで好き勝手にやっている。それが当面の目標だった。それを元にペンションへと踏み出そうと考えていた。でも「そこそこの収入」と「それなりのステータス」ってところが肝心で、どこまでいっても「そこそこ」でも「それなり」でもない感じがしてきた。上には上が居ることを実感できている謙虚さなのか、欲が深いのか。そんな風に考えていた矢先に子どもが生まれると、「あとはプライベートで勝手にやっている」比重がかなり重くなりそうな意識改革が行われてしまいそうだ。しかし子どもにはしっかりと働く父親の姿も見せていかないといけない、という自制心がせめてもの救いなのかもしれないけれど、でもそこも突き詰めると、夢を実現している男の姿としてペンションに取り組む自分の姿を・・・なんて先送りしてきた自分の決断にも差し迫ってくる。結局いつペンションやるんだって話なんだけれど。

 こんな風に子どもが生まれることでもう一度自身の夢について考えることは、ある程度想像できていた。でも、子育てをするために会社での仕事を続けるという選択肢へと自然と流れるのだろうと思っていた。ところが子どもに対して何をしてあげたいかと馬鹿正直に考えると、なぜこの地に自分が居るのかという意味も込めて、ペンションをやっている姿を見せたい気持ちがある。ただ、「沖縄の地に美味しい食事と楽しい酒があり、海とふれあい、また自分が頑張るべきところで頑張る力を養ってもらえる空間を作る。」という夢は、自分のテリトリーがまだ小さい頃にペンションと設定したけれど、ホテルでも実現できるんだよね。この転換はずるいのか、成長か。

私信

2015年03月03日 | 日記
久しぶりの連絡。

寒くて目覚めてしまったけれど、蹴飛ばした布団を見つけてもう一度被ったときのような温かい気持ちになった。

大学の研究室の後輩からアドレス変更のお知らせ。普段だったら放っておくのだけれど、ふとした仕事の合間で携帯を手にしていたからなんとなく返信。先輩の出産の知らせに驚き電話で近況を聞いた。

修士課程ではほとんどの時間を狭い研究室で過ごすことになるので、良くも悪くも深い関係になる。幸いなことに私の回りは温かい人たちで、アットホームな関係を築いてくれた。最後の最後に大事件が起きて、それもなにかこう引き裂かれてしまったような感覚で卒業した。修復するには時間がなさすぎた。そのまま私は研究とは関係のない世界に進み、気がつけば10年。共通の事柄がないみんなとはぱったりと疎遠に。

そんなみんなが、それぞれの思うところで、思う生活を営んでいると言う知らせにうれしくなった。

大好きだった恩師もパパとして奮闘している話を聞いてとても嬉しかった。遊びに熱心で、仕事(研究)をしているオーラを出さない、機能美が好きで良いものを身に付けている、底抜けにやさしくて、面倒見がいい。褒められるだけ褒めてみました。ここをたまに見てくれているらしく、気をよくしてなにかもらえないかと企んでいます(笑)

私も父親になりました。先生みたいに遊び上手な大人にはなれていませんが、頑張ってるアピールがヒドイ大人を見ると、かっこよくないなと思うと同時に先生の事を思い出し、若い人間からも好かれるような大人でいてるか?と自問してみます。難しいですね。

いつかまた会えるときを楽しみにしています。今回連絡が来て、たいそうなことではなくて、ふとした瞬間にきっとそんなときが来るんだろうなと思えました。

北海道時代の事を思い出しながら文章を書いていると、お腹が空いてきた。北海道に行きたい!!