山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

報告

2009年03月22日 | 日記
いろいろお騒がせしましたが、沖縄でがんばることとなりました。

結局、それしか自分を納得させることができなかった。待遇や環境には満足できていないけど、満足できていたこともない。大きなことを言うつもりはないけれど、ただ続けること。仕事だけではなく、今の繋がりを大切にします。また、自分自身を整理するためにも文章を書きます。

さて、沖縄に“帰り”ますか。

私信

2009年03月18日 | 日記
下の文章がずっと携帯に残っていた。去年の10月、新しい職場に向う決意表明みたいなものを友人への手紙として書いた文章のようだ。この日記というのは、眠る直前に布団の中で書くことが多いので、完成されずに眠ってしまい携帯に残っていたり、書いたものが消えていたり、しっかりと投稿されたりとさまざまな運命をたどっている。後述の文章はその中でも幸運にも4ヶ月以上後で救出された。ずっとメールの画面に、「送信メール 1」と表示されている意味が分からずほったらかしていたものを今日放出します。

=====================================================
《d.f.さんへ》

特別だ、異質な時間を過ごすものだと思った今の仕事も一月が過ぎた今では当たり前になりました。過去の幸せだと思っていた時間も、思い上がっていた自分が居るようで恥ずかしく思うことがあるくらい、小さな日常に目が向くようになりました。社会生活を経るごとに収入が減る私には、そんな当たり前に気付かせてもらえる生活が必要だったんだと思います。先日、久しぶりに那覇の街を出て珊瑚礁の海を見たとき、海を求めて東京の公園を歩いていた日と今を比べてやっとここに意地でも留まろうとした自分が正しかったと思うことができました。来月からは料理人見習いとして働きます。
=====================================================


今思い返してみると何を言いたかったのだろうと思う。これから迎えるであろう困難に、打ち勝つことで得られる自分の成長に期待を募らせていたのだろうか。まだ、頭の片隅には事業の再開という期待が見え隠れしていたのだろうか。運命論のように、今の自分は必然的にここに向うのであろうと考えていたのだろうか。

今日は沖縄の企業から内定を一つもらった。しかし、条件が示されておらず、何が内定か、と、言われるような状態だ。早く条件提示しろ、小出しにするな。


2009年03月18日 | 日記
10年以上前から、通学路にあるビルの上には、等身大の馬の置物が横たわっている。奈良公園の南円堂付近の静かな通りを抜け、下り坂に差し掛かったところ辺りからこの馬のケツを望むことができる。こんなくだらいものの方が、変わらず残っていてくれることに懐かしさを感じることができる。

紫煙よ、しばしさらば。

2009年03月17日 | 日記
もうどうでもよくなってきた17日目。なんと禁煙。これまでの禁煙記録24時間以内。今回はニコレットも買った。食べたとたんに気持ち悪くなって余計に煙草を吸う気がなくなった。現在最後の煙草から26時間(たぶん16日の午後10頃に二口ほど吸ったのが最後。その日も3本しか吸ってない)。これは風邪であまり煙草を吸えなくて、体から否応なしにニコチンが抜けたことを利用した思い付きです。完全に辞めたいと言うよりも、どの程度体に変化が現れるのかが知りたい、というのが本音。先日金属アレルギーが見つかって銀歯が体調に何らかの影響を与えているかもしれない、と言われてから、この慢性的な気だるさは、やる気のない私の特性ではなくて、外的要因によるものではないのかと疑うようになり、銀歯をはずし煙草を絶ってみたいと言う思いが沸いてきていた。もしかしたらとんでもなく快調で爽快な体調を与えられたとしたら、そしてその体調が本来健康とされる人の日常的な状態であるとしたら、この世の中はどれだけ活力に溢れているのかと感動し、これまでの気だるい時間を恨むことになるだろう、と言う具合に。とりあえず初日は煙草を吸いたいと思うこと以外たいした変化はなし、ニコレット服用数1個。明日の目覚めが待ちどうしい。うまいこといったらまたちゃんと走ってみるか。一昨年にはいつか石垣島トライアスロンに出るなんてここに書いてるからね。あんまり気合い入れずにのんびり行きます。

2009年03月16日 | 日記
ついに帰省した1日目。昨日は友人の結婚式。立派なパパになった友人や、相変わらずな友人、そしてどうしようもない私、結婚していく二人といろんな人間が居る。それぞれが考えて動いた結果こういった状況になっていると考えて人を見てると、確かに人をあらわしているかのような気がしてくる。

電車に揺られながら眺める景色は限りなく灰色で、空の色も薄い。すでに沖縄に帰りたいと考え始めている。ここに戻ると初心に戻るのだろうか。どうして沖縄の仕事に就いたのかを改めて思い起こさせてくれる。返事よ早く来い。英語の勉強でもして待っていよう。

転々と

2009年03月13日 | 日記
13日目。いろんなことを考える。鼻風邪を患っているせいもあり、ポジティブな考えは浮かんでこない。それでもネガティブかというとそうでもなくてMISHIKAのファーストがしっくりくる。とりあえずはこの土地に根を張ることを考えてきたけれど、これまで[歩く花]のように楽しんできたやりかたがすぐに忘れられるわけもなく、まだ見ぬ土地に魅力を感じることも多々ある。沖縄に残ることに意固地になっていないか。そう問いかけるもそれが最優先事項であればしかたがない。しかし、人間としての自分の成長を求めるのであれば、かならずしも“ここ”である必要はないだろうし、故郷である必要もない。起業することが目的かと言われるとそれがそうでもない。自分が思う空間を作ることと、自分が起業することは限りなく近いかもしれないが決してイコールでもない。さて何をしますか。そして人との関わりである。距離が離れることで近づいた人間関係も確かに存在し大切なものではあるけれど、手の届くところにいつもいる人たちと長く暮らしたことがここ10年ない。転々としているから仕方がない、そのかわりに多くの人と出会うことができたとも考えられるけれど、ずっと一緒に居ると言うことが分からない。それが結婚という話から遠い位置に居る原因なのかもしれない。こんな話をするのも、ついさっき大学の友人とそんな話をしたところだからだ。

墓穴

2009年03月11日 | 日記
昨日やっと一社目の面接が完了。これが今一番の本命なので何か気が抜けてしまった。会社説明の後、希望部署の担当者と面談。これまでの経歴を話し、どういったことができるかを簡単に説明。反応はあまり良くないと思いきや、統括責任者のスケジュールを確認して即座に二次面接を行うことに。現れた担当者は30代半ばから後半の都会から来ましたと言わんばかりのスーツの着こなし。いやみのない冗談と笑顔。久々に飲食でバリバリやってます系の人と出会いました。パソコンをある程度触れることに興味を示してくれた上に、その人も町場のレストラン出身ということでホテル経験にこだわらず評価してくれました。ただ一つだけ失敗があります。英語→日常会話程度と記入してしまいました。こんなの結構適当でいつもそうしてたのですが、そこを拾い上げて話が進み、私も必死で、前職の上司はフランス人でした(←ホント)と言ってしまったので、そうとう話せるような印象を与えてしまいました・・・。これはまずい。沖縄は米軍関係者が多くホテルを利用するから実際に英語を使う機会が多い。採用されるならホントに勉強しないといけない。あ~困った。ということで簡単な飲食接客英会話の本を買ってまいりました。少し勉強します。あとは結果待ち。

ということで、沖縄の就活一端休止で実家に帰ります。関西でも数社受けてみようかと。自分の位置感覚や雇用条件といったところで、沖縄ナイズドされている部分を少し修正しないといけないし。ちょうど昨日幼馴染から電話があって、いつもの調子で思い込みの激しい私を少し現実に引き戻してくれました。

無職で実家に居るのは気が進まない。

荒れへんやん

2009年03月10日 | 日記
皮膚科にて金属アレルギーはそれほど心配ないとの診断結果が出ました。まあ弱いながらにアレルギー反応はあるから、合金類は直接肌に身につけないほうが良いとのことです。時計がチタンで助かりました。ネックレスをつけてたときに首が荒れていたのはそのせいだろうし。まあ一安心です。さてさて、ニッケルとコバルトってどこにある?

蛇足

2009年03月09日 | 日記
ついに9日目。いよいよがけっぷち。自炊をする精神的な余裕もなくなってきました。就職活動をしなくては、と焦るも、それは県外へとでる準備でもある。県内の企業はひたすら連絡を待ち、明日面接を受け、また連絡を待つ日々が始まるのだろう。たまらなく苦しい。この島から出ることが意味することは私にとっては敗退であり、あきらめであると言うことを分かってくれる人は以外と少ない。一時避難であると考えるようにと言う人は多い。しかしそう考えられるのであれば、わさわざ転職して給料下げて沖縄に来ることはしなかった。片道切符で来たはずだった。

何を書こうが頭に浮かぶのは中断したホテルのこと。悔しいなんてものではない。笑って話せるときはオープンできた時だけだろう。沖縄には計画途中で諦めたホテルがいくつかあるようだ。計画だけならまだしも、建物が建てられてから何十年も放置されているものもある。みごと復活を遂げたホテルもある。そんなでかい金と、大勢の人を巻き込んだ計画が頓挫するなんてだれが考えるのか。しかしそこに落とし穴がある。潰れない、失敗しないと言う傲慢な考えから失敗は導かれ、緊迫感を持った危機管理から成功が生まれるのだろう。首は切られんだろうと余裕こいてるひとはきっと危機感のない会社にいて、問題にぶち当たるまでの蛇足に乗っかっていると思った方がいい。

跳んで

2009年03月08日 | 日記
無職日記7跳んで8日目。写真みたいな感じです。内容的にはキンクリには到達しておりません。気づくことは沢山あるけれど、出来ることって限られているのでしょうか。おもしろいことを沢山しよう。