下の文章がずっと携帯に残っていた。去年の10月、新しい職場に向う決意表明みたいなものを友人への手紙として書いた文章のようだ。この日記というのは、眠る直前に布団の中で書くことが多いので、完成されずに眠ってしまい携帯に残っていたり、書いたものが消えていたり、しっかりと投稿されたりとさまざまな運命をたどっている。後述の文章はその中でも幸運にも4ヶ月以上後で救出された。ずっとメールの画面に、「送信メール 1」と表示されている意味が分からずほったらかしていたものを今日放出します。
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《d.f.さんへ》
特別だ、異質な時間を過ごすものだと思った今の仕事も一月が過ぎた今では当たり前になりました。過去の幸せだと思っていた時間も、思い上がっていた自分が居るようで恥ずかしく思うことがあるくらい、小さな日常に目が向くようになりました。社会生活を経るごとに収入が減る私には、そんな当たり前に気付かせてもらえる生活が必要だったんだと思います。先日、久しぶりに那覇の街を出て珊瑚礁の海を見たとき、海を求めて東京の公園を歩いていた日と今を比べてやっとここに意地でも留まろうとした自分が正しかったと思うことができました。来月からは料理人見習いとして働きます。
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今思い返してみると何を言いたかったのだろうと思う。これから迎えるであろう困難に、打ち勝つことで得られる自分の成長に期待を募らせていたのだろうか。まだ、頭の片隅には事業の再開という期待が見え隠れしていたのだろうか。運命論のように、今の自分は必然的にここに向うのであろうと考えていたのだろうか。
今日は沖縄の企業から内定を一つもらった。しかし、条件が示されておらず、何が内定か、と、言われるような状態だ。早く条件提示しろ、小出しにするな。