何が役に立って、何が役に立たないかなんていったい誰がわかるのだろう。役に立つか立たないかを事前に考えるとことは重要なのかもしれないけれど、そこに面白みは存在しないのではないか、と、考えてしまう。ヒトは無駄が好きだ。無駄のない人間を見ると尊敬はするけれど、自分の何かを賭してまで連れ添おうとは思えないのではないか。それはもしかすると、無駄の多い人間を見つけると、自分が優位に感じて偉そうな気分に浸れるからなのかもしれない。システマチックでロジカルな整合性のとれた人間が、無駄の多い人間を軽蔑するのだとしたら、その考えも間違えなのかもしれない。自分はほとんどが無駄でできている事は承知している。今何をしているのかと尋ねられて答えると、「どうして?」という質問を多く受けることがそれを物語っている。やりたいときにやりたいことをやってきたらここに居たんだから、どうしてもこうしてもない。やりたいことをやりたい時にやらないことが無駄だと考えてきたのだから。と、偉そうに言ってみるのは簡単だけど、どうしてあの時ああしてしまったのだろうと考えることは多々あるどころか、そのほうが多いのかもしれないくらいにある。世の中にもう一人自分が居たら、間違いなく最も嫌いな人間がもう一人の自分だろうと思う。それは半分近くが後悔でできた、無駄の多い人間だから。