山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

欄外

2008年02月26日 | 日記
昔、母親が「歴史は欄外が面白い」と言っていたことを、天気予報の左上に記された沖縄を見て思い出した。欄外にあるから面白いのか、本当に欄外が面白いのか考えてみたけれど、きっと本文に導入されてしまうと、その存在価値は上がるだろうけど、面白味は半減するだろうと思う。私も今朝、欄外から本文に移動してきた。久しぶりの東京は相も変わらずあんぐりと私を飲み込んでくれているようで、たいした印象もなくただ東京という街の一部分に成り済ましている。

正直ここしんどい。

無駄

2008年02月24日 | 日記
何が役に立って、何が役に立たないかなんていったい誰がわかるのだろう。役に立つか立たないかを事前に考えるとことは重要なのかもしれないけれど、そこに面白みは存在しないのではないか、と、考えてしまう。ヒトは無駄が好きだ。無駄のない人間を見ると尊敬はするけれど、自分の何かを賭してまで連れ添おうとは思えないのではないか。それはもしかすると、無駄の多い人間を見つけると、自分が優位に感じて偉そうな気分に浸れるからなのかもしれない。システマチックでロジカルな整合性のとれた人間が、無駄の多い人間を軽蔑するのだとしたら、その考えも間違えなのかもしれない。自分はほとんどが無駄でできている事は承知している。今何をしているのかと尋ねられて答えると、「どうして?」という質問を多く受けることがそれを物語っている。やりたいときにやりたいことをやってきたらここに居たんだから、どうしてもこうしてもない。やりたいことをやりたい時にやらないことが無駄だと考えてきたのだから。と、偉そうに言ってみるのは簡単だけど、どうしてあの時ああしてしまったのだろうと考えることは多々あるどころか、そのほうが多いのかもしれないくらいにある。世の中にもう一人自分が居たら、間違いなく最も嫌いな人間がもう一人の自分だろうと思う。それは半分近くが後悔でできた、無駄の多い人間だから。

そもそも

2008年02月23日 | 日記
天井の高いだだっ広い空間に座らされて、小さな器に少しづく盛られた料理に目が行くはずがない。天井が低く仕切られた狭い部屋だからこそ、小さな器に盛られた小さな料理に目が行く。忙しそうに駆け回る店員もカウンター越しに見つめていれば、まるで自分のために働いてくれているような満足感を与えてくれる。おいしさというものも本当に人それぞれで(つくづく感じさせられる)、それぞれの確固たる物があるのかと思いきや、体調や気温それに評判や思い込みといったものにも大きく左右される。はてさてどんな店を作るのか。そもそも、こんな店を作りたいという思いから店が生まれるはずなのに、店が出来ることが先に決まっているこの状況はどう解釈するのか。mars boltaが爆音でかかる琉球レストランでも作ってやろうかしら。

やりすぎ

2008年02月19日 | 日記
一九六七年、かねやま、30万。

…てめえが40年かかる値段をこっちは一月で稼いでんだよ!偉そうにすんじゃねえ!

…どうせ私は普通の上等「轟」がお似合いです(一升千円以下)。

ぼやき

2008年02月18日 | 日記
なんだかワルぶった大人の世界なのか、大人が子どもの遊びをしているのか、大人が真面目に遊んでいるのか、子どもが大人の遊びをしているのか、もしくはこれが大人の大人による大人のための世界なのかよくらからん事態です。

バレー

2008年02月17日 | 日記
今日はバレー祭り。適度な運動は爽快でいい。勝つという感覚も久々で気持ちがいい。プリプリのネーネーがバレーしてる姿もいい。休日っていいなぁ。
これからうちあがってきます。