山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

2007年08月29日 | 日記
途端に文章が書けなくなった。迷いばかりが頭に浮かび、書き終えた端から「いや違う」と消去してしまう。

酔いの醒めかけた何か物寂しい空気を払拭したいのか、それとも物寂しい空気を強めることで、自分を際立たせたいのかは分からないけれど、他人にはあまり言えないような話なんかをすることが多くなってきた。高校時代の友人と話していると、話していたつもりが話していなかったことがお互いに多くあり、きっとあの頃それぞれの中に自己防衛のための境界線があったんだろうと思いながら、自分もそんな防衛線を張っていたような気になってきた。確かに、ずっと遠距離恋愛をしているのは、私が男しか好きになれないことをカモフラージュするために最適な手段であるからだ、ということは未だに誰にも話せていない。なんて嘘をつかないと、カミングアウトになるような話は無いから防衛なんてしなかったのだろうけど(過去に、こうして真顔で嘘をついて、途中で飽きて嘘だと言うことを忘れてしまったり、調子に乗りすぎて嘘だというタイミングを逃したりしてめんどくさいことになっているのに、またこうしてやってしまうくらいに、自分へのイメージが変わっていく相手の姿というのはおもしろい)、あの頃の私たちは、誰にどのことをどこまで話すなんてことが非常に重要視されていたような気がする。今となっては全部話すか、何も自分のことは話さないかになってきているけれど。

毎日隣に居るから話せることも、遠く離れたからこそ話せることもある。久々に会った人と懐かしく話しに盛り上がり、今だからこそ話せる裏話や、今考えてみるとこうだったなんて、もう直せないと思っていたけれど、愛着もあるししまっておいたものが、修理されてもう一度使えるようになったような喜びを感じることもある。それでも私が懐かしいと思うのは、近くに居なければ絶対に話すことの無いような、例えば道にウンコが落ちていたなんてことを話していた時間であったり、そんなくだらないことを話そうと思ってしまうようなその相手の存在であったりする。

今こうして書いた文章を読み返して見て、どうしてこんな話をしているのかと考えてみると、きっと自分に「今」がないからだと思う。懐かしい話や先の話ばかりしている。今という部分にウエイトを置いた生活を作らないといけないな。

あと、読み終えて文章が書けているじゃないかと思わなかった人は、文章が読めていないと思ってください。それは私が冒頭に書けないと書いて、文章を書いてそのことに触れていないことが、やっぱり文章を書けていないと思ったからです。


あれから

2007年08月23日 | 日記
こんな風にスピーカーを置いて音楽聴いてみるといいですよ。Sonic Youth[Screaming Fields of Sonic love]を聞きながらシコシコと就活情報集め。たまたまディスカバリーチャンネルで見てしまった人に寄生する寄生虫の映像を思い出しては、鳥肌が立ち気持ち悪くなる。早くこの呪縛から取り除かれないことには、静かに本を読むことさえ出来ない。ちょびさんからの書き込みで去年の誕生日を思い出して見たけれど、あんまり思い出せない・・・たしか店のメンバーと上野に・・・そうだ、一緒に仕事をつづけることができなくなるかもしれない状況で、思わず泣いてしまった日だった。みんな元気にしているだろうか?携帯一つでいつでも連絡は取れるわけだけど、あの人たちは私よりずっと頼もしくて、やさしい人たちだからきっと大丈夫だ。あの頃よく泣いていたような気がする。店長になって、私が赴任する前からずっと働いてくれていた女の子の最後のアルバイトの日、人が足りなくて最後のお見送りも出来ないような厳しい営業にしてしまったことが、がんばってくれているメンバーへの感謝と、それを踏みにじるような人間への憎悪と、それに立ち向かうことの出来なかった自分のちっぽけさと重なってしまい、上司と二人きりになった瞬間思わず涙がこぼれていた。あれから一年。成長したなんて程遠いし、巻き戻しに必死になってるような気がするな。今日はとりあえず体から過去の栄光を取り戻そうと筋トレ。でも筋肉が柔らかい・・・チカラコブもなんだかすぐに握りつぶせるところが頼りない。しかもやたらと食べる割には体動かさないからメタボリックな不安が付きまとう。まあ、私がそんなことを言うと怒られるだろうけど。

追記:これこれすごいよ。コンピューターに少しでも興味があるなら見て見てください。

一応ね

2007年08月22日 | 日記
昨日の朝は、嘔吐と下痢で始まった。なにかに当たったのかと思って思い切り吐いては見たけれど、さっき飲んだばかりの水しか出てこなかった。母はやたらと「霍乱」だと言うけれど、そんな言葉を聞いた事もなかった。調べて見て思ったけれど、要は胃腸系の不調を総称した言い方なだけだ。そんな感じで一日ごろごろするしかなかった。今日はいろいろと買い物をして、必要な荷物を取ってきたりといろいろしてなかなか気持ちのいい一日だった。今は生駒を越えたあたりでものすごい雷が鳴っているのを、家のベランダから眺めて楽しんでいる。平和だ。保坂和志にも書ききれないほど何にもない生活を送っているかもしれない。それでも一応誕生日・・・。

松の葉も、紅葉の葉も・・・

2007年08月21日 | 日記
ブラウザをFirefoxに乗り換えた。過去に同居していたmodsに薦められて使っていたけれど、GyaoなんかIEに対応することしか考えていない(あえてそうしているのだろうけど)サイトなんかを見るのに不便だったからいつしか使うことを止めていた。でも最近はIE7がやたらとフリーズして使うことが不便だったことや、Thanderbirdを使い出してから、その機能性とデザイン、存在意義なんかに少しあこがれのような、それを使うことに対する自己満足のような感覚からMozillaの評価が高くなっていた。Mozillaの存在意義をここに書こうとしたら分からない。きっと少し大多数とは違うことだけで満足してしまうような、ナリパンクと似たような感覚に酔いしれているだけだろう。それでも、マウス操作だけでいろんなことが出来てしまう機能性は私には魅力的で、それだけで満足感を得ることが出来る。

今朝は起きてすぐに母から琵琶湖に行こうといわれた。琵琶湖の西側に祖父が所有する土地があることは以前から知っていて、そこを見に行こうということが大前提である申し出だった。まるで土地持ちのように思われるかもしれないけれど、そこは大阪で万博があってからしばらくして、次は滋賀で万博が行われるからこの土地を買っておきなさいという、今となっては誰が聞いても詐欺まがいな申し出を真に受けてしまった遺産だ。ナビもついていない私の車で高速を乗り継ぐような旅は面倒なことで、行きしなに地図を買っての小旅行となった。宇治を抜け、大津を通り越したその場所は思ったより風情があっていい場所な上に、浜水浴場(なんて読むのか分からない・・・海水浴場に対する淡水の言葉であることは分かるけれどね)も近くにあって”リゾート”と呼ぶにふさわしいと言うには及びないが、ただの田舎とも違う佇まいだった。さらに驚いたことに、そこは昔私と付き合っていた女の子と行ったこともあれば、papaiya、小僧、若社長とパンイチで泳いだこともあるような場所であることだった。母親と二人遠出することでさえ驚きの出来事なのにいろんなことが重なって少し興奮気味なって、すぐにでもここでペンションでも開きたくなったけれど、関西の人間が泊りがけで琵琶湖バレーにスキーにしにいくことも、わざわざ淡水の琵琶湖に夏を感じに行くことがないということを売り出し中の廃屋(廃業した店舗)が気づかせてくれた。そんな短時間の抑揚もありながら、母と二人石山寺のそばにあるシジミを食べさせてくれるお店に入った。鮎やシジミといった食べ物は何か近畿を思わせてくれて気持ちのいいものだった。帰りには少しだけ瀬田川で釣りをして、石山寺を見物して天ケ瀬ダムを抜けて宇治を通り奈良に戻った。石山寺ではこっちの紅葉の葉っぱが東北のものに比べて小さく、淡くきれいであることに魅せられ、丁寧に手入れされたのであろう松ノ木に感動した。この小細工といえば聞こえが悪いけど、全体として見てはダイナミックで、細部に目をやれば小技の効いた凝り具合がいかにもわびさび(この言葉を使うのは抵抗があるけれど、他に思いつかなかった)があるようで気持ちのいいものだった。これは他の土地には無い誇れるものであろうということを、奈良公園の四季を例えに挙げながら母親と話し、二人だけで山口家特有の自己満足を通り越した自己陶酔に酔いしれながら帰路に着いていた。なぜ私が仕事を辞めたのか。それをもう一度気づかせてくれる一日でもあった。ただ最近は、お菓子を食べたり、運動不足であったりとメタボリックな兆候を見せ始めた私のおなかに、少なからぬ、いや多大な不安を抱きながら、将来も不安になりながら、悶々とした日々を過ごしている。

コウモリ

2007年08月19日 | 日記
夕暮れ時になるとコウモリがフラフラというのかヒラヒラいうのか、人の動体視力では追いかけられないような奇妙な飛び方をして、電灯の周りに集まってくる虫を食べに集まってくる。奈良では珍しい姿でもなくて、生駒山の近くでは信じられないほどの数のコウモリを見ることも出来て、石切辺りで一度、電線すべてにコウモリがまるで映画で見たまんまのような姿でさかさまにぶら下がっていて、電線が太くなったように錯覚するほどぎっしりとぶら下がっていた。おそらく体調は20センチもない程度だと思うけど、沖縄ではさらに様子がおかしい。なんと言ってもその大きさが異常で、カラスなんかよりも優に大きくて、まさに吸血鬼のような形相をしている。でも、本当は温厚な生き物で、フルーツバットと呼ばれる主に植物性の食生活をしている種類になる。それでも目の前に現れるとぎょっとするけど。

友人たちと飲んでは終電で帰り、そんなコウモリを眺めながら歩く自分の故郷は奇妙なもので、どうしてこの街を出ようと思ったのか、どうしてどこか戻ってはいけない場所のように考えていたのか全く分からないようになってしまう。きっとこの街ほど自分に住みよい場所はないのだろうと思う。仕事もせずにこうして故郷の街を歩き回ることがあるなんて想像もしていなかったけれど、こうして現実としてその状況を迎えてみるとごくごく自然なことであるような気がする。

高校から大学へ

2007年08月13日 | 日記
土曜日は、朝の8時からテンションの高い友達の電話で起きて(前日のデートがやたらと楽しかった余韻が朝になっても冷めていなかったようだった)、そのまま高校サッカー部のOB戦に出かけた。到着とほぼ同時に試合が始まって、いつ振りにサッカーをするのかも分からないくらいなのに、いきなりフィールドで出場する羽目になった。もともとのポジションはキーパーで、サッカー部のくせに足でボールを扱うことが下手糞な私は何もすることが出来ず、ただただ息が上がって、近くに居た自分よりも若いOBを見つけてすぐに交代した。慌しく始まってしまったけれど、このグランドにたつのも大学一年生の時のOB戦以来のことで、さらには学園祭前の夏休みという私にとっては一番大好きで、一番思い出のあるこの時期にここに居ることがどれだけ懐かしいことなのかは頭で分かってはいたけれど、ごく自然な時間のように感じられた。自分に馴染みのある人間は先生方と数人の人間だけで、大勢で盛り上がるということはなかったけれど、とてもいい時間を過ごした。それにしても先生方はほとんど外見も変わることなく顕在で、時間を感じさせない人が多くて、それも「懐かしい」と思わせない原因で、記憶がよみがえるというよりも、その時に戻ってしまって、それが当たり前かのように感じられた。

夕方からlostage、スパイラルコード、ミートイーターズのライブを見に行くつもりだったから、早く帰ろうかと思っていたけれど、高校の時に事故で死んでしまった先輩の墓参りにちょっと行ってから帰ろうと思って、後輩を含め5人で墓のある桜井を目指した。道中は本当に楽しい時間で、懐かしい話も別々になってからの話もたくさん出たけれど、人の記憶というものは本当にそれぞれ違うものだと感じさせられた。先日の兄の結婚式もあり、兄弟の記憶というものはここまで違うものかと思わされたばかりだったからなおさらだった。それでも私に対する記憶は共通して「怖い」というものだった。自分でもそれは分かっていたけれど、あの頃の自分に出来たことは、規律をつくりそれを破るものは徹底的に痛めつけることで、話し合いなんてものはほとんど必要だと思ってはいなかった。十代の人間なんて欲(とりわけ性欲)でしか動いていないと思っていたから、話したところで人間性や将来の人間像を深く掘り下げるようなことはお互い不可能だったはずで、そんなことをするくらいだったら、勝利の味や自分の成長(やっぱり精神的というよりかは肉体的な成長)を感じ、その陶酔感に対する欲求を深めることでサッカーに向かわせることが手っ取り早いと考えていた。こう書くとほんとに高校生の自分がそんなことを考えていたのかと思われるだろうけど、それはやっぱり正解で、こんな言葉に出来るような常態で考えていたわけではなくて、ただ漠然に自分が強くなりたい、勝ちたいと思う欲求をかなえるためだけに動いていた。まあ「怖い」という印象は、そんな行動から生まれた印象ではなくて、ただただイライラした気持ちを部員にぶちまけていた時の行動が、その印象を作っていたことは間違いだろう。そんなことを思い出しながら、おぼろげな記憶では墓にたどり着くことは出来ず、地元の友人に場所を聞いてやっとのことでたどり着いた。この先輩の事故死は共通して皆の中で消化しきれない記憶であり、何かを強烈に突きつけられたけれどそれが何かを理解することが出来ず、それがおそらく死というものなんだろうと思うことしか出来なかった。そんな時のことを少し思い出しながら、普段はやさしくて、ピッチに入ると厳しくなるけれど、本当に怒ってしまうとどこか大人気なくなる先輩の姿を思い浮かべながら、仕事をはじめたけれど辞めたこと、これからどうしようかと思ってること、今日サッカーをしたこと、みんな元気でやってることを報告して帰路に着いた。

帰りは行きの車内よりもテンションが上がり、後輩の憧れの先輩(私たちの同期)に直接電話して、なぜか下ネタ気味な言葉を交わし周りの人間を沸かせてくれた。そんなこんなで奈良に帰ってきた頃にはライブの開場時間となっていて、今回は行くのを止めにした。それでもまだ用事があって、大学時代の友人パパイヤがこっちに帰ってくるということで、ライブが終わり次第合流する予定だったのを始めから参加することにした。朝から運動してお日様の下で過ごしたこともあってビールがおいしいわ、酒がまわるわ、久々に「関西のノリ」に圧倒されるわで楽しい時間を過ごし、蹴球小僧の家にパパイヤと泊まることになった。次の日は学生時代を再現しているかのような一日で、朝からパチンコに行く二人を見送り、私は家で「蒼天の拳」を読みながら、函館時代の元同居人から送られてくるカラフトマスの到着を待ち、到着したらすぐに一人で切り身にさばいて一個ずつラップにくるみ冷凍して、片付けようとしたらゴミ袋がないから放置して漫画に戻り、負けて帰ってきた二人と昼飯を食べに出かけ、魚をさばいたお駄賃として昼飯をおごってもらい、夕方からそのカラフトマスをみんなで食べてビールを飲んで解散した。なんだかおかしな二日間ではあったけれど、今までの自分を振り返るような時間だった。一つ一つの出来事はたいしたことはないけれど、こうして丁寧に振り返ってみても、自分のルーツを探るような時間であったからこうして記してみる。

画像だらけ

2007年08月10日 | 日記
《ここをクリック》。お家に置いてあった[BURN TO SHINE 2]を久々に見てブルブルした。一発目からやりすぎ。その映像があったからリンクしておきます。パートなんてものは頭の中にないんでしょうな。wilcotortoiseもブルブルした。いや、ギターの人がブルブルしてた(笑)modest mouseが一位になったり最近は大変ですな。各バンドリンクするのはなかなか大変だけど、こんな簡単にいろんなバンドが見れていいんだろうか?こんなのが普及する前はバンドの映像を見るのにどれだけ苦労して、見れたときどれだけ喜んだことか・・・。メルヴィンズが開始早々ベースで客殴ってる姿なんて見て大興奮してたのに・・・。

マッスル

2007年08月08日 | 日記
ここ一年以上体が衰えていく一方だったので、この時間があるうちにもう一度作り直そうと思っていて、ついに昨日姉がくれたビリーズブートキャンプをすることに。まさか姉が居るとは思わずパンイチになってDVDを再生して、いきなり始まるそのステップから一部始終を姉に見られることに。なまっていた体にはあれはきつい。でもまじめにやったら効くのは当たり前だ。汗だくになってついていけなくなる姿を笑いながら見ていました。おかげで今日は三角筋と上腕二頭筋が筋肉痛です(笑)体は非常に大事だ。ぶくぶく太った人や、異様に痩せている人はやっぱり間違っていると思う。そりゃそういう体質があるということは分かっているけれど、生活を見ているとそりゃそうなるわ、と思う人がほとんどで、そしてその生活が私には良いものには見えてこない。私の場合はこれからが勝負だけど。イギーポップやヘンリーロリンズまで行かないにしても、やっぱりそこそこ健康的な体でロックやってたかっこいいし(ロックしてないけど)。ということで、今日もカフカくんのようにプリンスを聞きながら筋トレに励んでいますというのは嘘で、make believe[of course]を聞きながら、谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読みきって、女ってこぇなぁ、男って馬鹿だなぁ、と自分の過去を少しばかり振り返りながら、またパンツ一丁になってビリーは見ずに少しだけ筋トレをした。動画が送れるなんて知らなかったから挑戦。・・・いつまでこんなことをしているんだろう?

小旅行

2007年08月06日 | 日記
精一杯遊んだ。

金曜日の夜中に、高校の同級生が集まって長野県諏訪に出発。東京からも集まって総勢11名のゴルフツアー。高校の仲間内でゴルフがはやっていて、東急に勤める友達のコネを使ってちょっとリッチだけど割安なゴルフをしようと始まった企画だったけれど、仕事が終わり次第徹夜で車を運転して、東急とはまったく関係のないゴルフ場でゴルフをし、東急リゾートを通り過ぎて東急とはまったく関係のないキャンプ場のコテージに一泊する、東急とはまったく関係のない小旅行となりました。仕事をしていない私は夕方も寝て徹夜の運転に備えていったけど、金曜まで働いていたみんなは相当疲れていたでしょう、結局私の車は私一人、というよりかは寝入った人間を残していかれて一人目的地を目指すことに。スコアはよくなかったけれど、天気にも恵まれ気持ちのいいゴルフ。ちょっとはまりそうです。それからは全員で買出しに行ってBBQ。これがめちゃくちゃ楽しかった。相当腹が減ってることもあり、群がるようにして肉を食ってビールを飲んで散歩をして、しゃべって、はしゃいで眠りについた。あんまり楽しくてテンションがあがってしまい、久々に体を張ってはしゃいで小川に飛び込んだりしてみましたが、次の日の朝には恥ずかしくなってしまうようなことも懐かしく、それもまた楽しかった。星を求めて湖畔を散歩をして、辺りに明かりのなくなった木製の橋に寝転びながら星を見る。こんな時間は学生の頃で最後だと本当に思っていた。再びこんな時間が訪れるとは本当に思って居なかった。保坂和志が描くような世界がここにもあるような気がした。日記のように出来事を一つずつ並べていこうかと思ったけれど、あまりに書きたいことが多すぎるくらいいろんなことがあった。来年もまたやろう。そう言って終われたこともよかった。希望としては来年よりもこの冬にボードをしたいけど・・・。