山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

今日の脳みそ

2006年06月30日 | 日記
これまで本当にたくさんの日記を書いてきた。何のために書くのかははっきりとは伝えられないけれど、誰かに伝えたい何かがある。未来の自分に伝えたいんじゃなくて今こうしてここを読んでくれているあなたや、これからここを読んでくれる人に伝えたいことがある。だからこうして公開してほとんど個人が出来るような状態でつづけている。今でこそ更新が減ったもののこれだけ日記を書くくせにろくにメールも返さない人間だ。一時期はメールを返さない、電話に出ないことがあると即喧嘩になるような時期があってその頃は確実にものすごい速さですべてのメールを返信していた。信じてもらえないかもしれないけれどその頃の私を知る人であれば分かってもらえるだろう。そんな状況でなくなって日記も日常の一部として取り込まれていってからはここにそのメールや電話のすべてを乗っけるようになった気がする。要はこんな話をいつでも出来る人を失ってしまったのがきっかけで、今となってはここはここで確固たる存在意義を持ってしまった。昨日の日記のようなもは本当は書きたくないのだけど、どうしても書かなくちゃ気がすまないくらいの時間を過ごしたときは思考よりも出来事を書いてしまう。出来事の羅列なんて誰も読む気がしないし、自分で読み返しても対して懐かしくもない。あのときこんなことがあって何を考えたのが書き記したいことで、あの時こんなことをしてどう考えたのかが知りたいことだと思う。おそろらく多くの人は相手の考えることを一番知りたいと思う。透明人間になるよりも、億万長者になるよりも、女になるよりも相手の思考が読み取れる力が欲しいと思う。少なくとも私はそうだ。分からないからそこに興味を示すのが大前提であることは間違いないけれど。

人に迷惑をかけること、人を悲しませるよな事が間違ったことで、一切そんなことがなければ何をしてもいいと思っている。天涯孤独の身になってしまえば別に自分に対しては何をしていいと思ってるし、一生隠し通せるのであれば嘘だってついたっていいと思ってる。まあ私には隠せるだけのテクニックを持ち合わせていないから嘘を突き通すことは出来ないから嘘つきだと心配することないけど。なんでこんなことを書くのかと言うと間違ったことをしたときにそのことは自分のこれからの自分の人生にとってもよくないと説教する人が大嫌いで、間違ったことをするときにあらかじめ言い訳を作っておく人間が大嫌いで、そんな人間を近頃よく目にするから。どうしてこう人生だとか人間性だとか何とでも取れるような言葉を連呼して人を説き伏せようとするのか、間違ったことさえも気付いていない人間にそんな言葉を連呼してどうしようと言うのか、人生なんて言葉は過ぎてから使う言葉でこれからの人生なんて言葉はゴキブリの人生というのと同じくらい掴みようのない言葉でそんなもののために何か努力しようなんて思えるはずもない。どうしてもこれからの人生と言う言葉を聴くと理想とする道を順調に進んでいくことが目的のような気がして嫌になる。「人生にとって何が大切か」なんて誰に言われたら納得でるんだろうか。自分の父親でもなんだかむず痒い。いや父親だからむず痒いのか・・・そんなことを考えると脱線しすぎるからやめておこう。まあともかくそんな小さな間違いに対していつでも大義名分をかざしてわけの分からない人間観を説くような人間が嫌いだ。あと、言い訳を先に考えて間違いを犯す卑怯者。これは最悪だ。本当に話していてうんざりした。そんなことでしか何かを抗議することが出来ないか弱きもの、なんていったらなんだか守ってあげたい気持ちにもなるかもしれないけれど、目の前でそんなことが起きたらただただあきれるばかりだ。ようは昨日書いた無断欠勤はプチストライキで、嫌なことがあってそれを講義するために欠勤したのだけれど、どうして来ないのかと大騒ぎになってから「だって~」。言えよ。先言えよ。泣いておもちゃ売り場から動かない子どもよりも幼くて、そんなかわいさなんて微塵もないくらいにかわいげがない。いい迷惑だよ本当に。休みの日に起きてすぐに喫茶店で同期の人間をなだめて上司に連絡してまたなだめて。近い将来母親になるらしい。大丈夫か?環境は作るものであって与えられるものじゃない。一人の行動が与える影響が小さいからといって何もしないのであれば絶対に自分にとっていい環境が訪れることはない。環境を求めて転々とする人間はいつまでたってもいい環境にめぐりあうことはない。ここはいい環境だといえる人を見て運が良かったとうらやましがるか、良く作り上げたと見上げるかの違いだ。環境を変えてよ。なんてじっとしてすねているバカを見つけたら石を投げてやってください。

あと一つ考えたことがあって、無理だと思うことをやらない限り何も変えられないのかもしれないということ。無理だと思う限界は自分が出来ることの限界で、自分の出来ることの範囲内でしか何もしないのであれば何かが変わることはないのかもしれない。出来ないと思っていたことが出来るようになることを成長と言うのであればやっぱり無理をしないといけないのか。年を重ねるたびにその限界値を正確に定めてしまうようになってしまっている気がする。そう考えると出来ることを毎日確実にやることで何かを変えることが出来ないのかと考えてしまうけれど、毎日確実にやることはやっぱりさっきの言葉でいうと限界を超えていて無理だと思った(私の場合は継続ということほど困難なことはないし、多くの人もそうだと思う)。それでもやっぱり大きく限界値を超えることは無理ではなくて不可能なわけで、ちょっと無理かな、と思うことくらいをたくさんやるべきなんだと思う。これからも無理していこう。へんな意気込みだ。

近頃のこと

2006年06月29日 | 日記
久々に何もない休み。こんな日に何かをするのかボーっとするのかで差がつくのかもしれないけれど、私は出来る限りボーっとする。こんな日に久々に友人にあって仕事の愚痴でも言おうものなら時間の無駄だし、それをしない自信もない。それに単純に出来てるから一日休めばしんどかったことももう過去の出来事になってしまうし。

一昨日、同期の人間が移動になるということで送別会をした。メンバーが朝鮮族系の中国人ということで上野の韓国料理屋へ朝の4時に集合。辛いものを食べると発汗作用が想像をはるかに超えて刺激されるためほとんど何も食べずにチャミスルを一気飲み。一口料理を口に運んだときはおいしくて次を口に入れようとしたら既に顔面から汗が噴出していて、やっぱりダメだと思ったときにはもう遅くて汗を止めるのに必死でチャミスルをすすった。私を知る人であれば嘘だと思うかもしれないけれど、辛いものもおいしいと感じている。しかしそれを差し引いてもお釣りが来るくらいに汗が出る。これは本当に損をしていると思うし悔しい。自分の家であったら思いっきり食べて飲んで風呂に入れば済む話だから、そこまでしてでも食べたいときにしか食べない。そんな話を延々としようとしたわけではなくて、乾杯乾杯としているうちに気がつくと上司と同僚二人がぶっ倒れていた。まあ疲れていたしよくある話だと思って適当にほっといたら全員で吐き始めた。それもよくある話だから、とりあえず自分の酔いをさまそうと壮健美茶を一気飲みしてお店に戻ると店中の人があきれるくらいに全員が吐いていた。それでもよくある話だから一人ずつ店の外に運び出してから店の人に謝って外に出ると人だかりが出来ていた。そりゃあ3人の男がゲロまみれで道端に倒れていたらびっくりするし、一緒に飲んでいた人間だけでも20人くらい居たわけだから、野次馬が野次馬を呼ぶように人が集まってしまったんだろう。それでも面白いのがそんな時間に集まる人間は殆どが外国人だった。上野で飲むのも初めてだったからそのあたりの地理も分からないし、まるで外国で日本人が羽目をはずしたような恥ずかしさがあった。さてどうしよか・・・。大学であれば学校で寝かせることも自分のうちで寝かせることも出来るし、誰かに迎えにきてもらうことも出来たのだけど、こんな状態でタクシーに乗せることもできないし第一家も知らないし、打つ手が見つからない。そしたらタイミングよく消防車が来て救急車が来て・・・生まれて初めて救急車乗ったよ。こんな状況に驚いてしまった女の子がとっくに救急車を呼んでいたらしい。始末書覚悟。もうどうでもいい。とっとと運んでくれと思ったらあれって付き添いが居ないとダメなんですね。救急隊員も病院との交渉で「意識酩酊の患者一名、しっかり人がついてますので」と言う。俺も横で点滴一本打ってもらおうかと思うくらい酔っ払っていたのにしっかりした人だなんていわれても困る。本当に散々だった。その後の話はお店の運営を疑われかねない状況だった。さっさと出世してこんなバカどもと同じ場所から抜け出したい。

とまあ散々な送別会をして倒れたやつらは仕事もせずに(しないといけないのに)バカみたいに寝て、看病した人間は二日酔いと戦いながらそいつらの分までがんばって次の日の朝、つまり今朝まで働いていた。朝は朝でぶっ倒れて夜になってから現れたバカな同僚と家に帰ると、そいつオートロックの鍵をなくしやがった。1000円払えば開けてくれるというのにうちにあがりこんできてどうしようとつぶやく。5畳もないくらいの部屋なのに50センチくらいの床にあまった敷布団をひいて寝かせることにしたけどふざけるな。本当に散々だ。そして朝(昼過ぎ)起きるとそいつはちゃんと出勤していて、少しは見直したけれどやっぱり納得いかない。まあ移動してしまう人間としたら何か今この時間が、卒業してしまう前のような、イベント前夜のような空気が流れているのかもしれないと納得することにした。だとすると移動しないことをいいことにいつもどおりの対応をした自分を少し後悔した。そんなことを考えながら布団からは出ることが出来ずに携帯を見ると電池がなくなっていて、すぐに充電してみるといきなり店から電話がかかってきた。なにかあったな、と、ある程度の覚悟をして電話に出ると、一緒に看病してくれていた同期の女の子が出勤していないらしい。今日の休みはあきらめた。今もそこに巻き込まれている。普段の生活を完璧に、人が出来ないレベルで過ごすよりも、大変な状況、危機的な状況の中で動ける人間になりたい。普段の生活が堕落しているのも理由の一つにあるけれど、ここと言うときに動けない人間を見ると腹が立つ。そう思ってがんばろう。

自問自答

2006年06月24日 | 日記
こなすことが出来るようになったことを成長と言うのであれば成長したのだと言えるだろうけど、向上心がなくなったといえば私は成長していない。それ以上に向上心を失った身の回りの人間に苛立ちを感じ、対処法を見つけられない自分に問いかける。どうやって向上心を取り戻し、周りをそれに引き込んでいくのか。そんなことを考えながらも、保坂和志の描く「日常」に引き込まれていった自分が居て、自分の所在地を見失う。「日常」に向上心がないとは思わない。人は安きに流れる。その中で自らに課題を課す。それができない人間に与えられた課題を全うする意思を感じることは出来ない。何が良くて何が悪いのか。

雨の日

2006年06月16日 | 日記
19日に終わる仕事にようやく終わりが見えてきて、今日はつかの間の休息と言ってしまえばのんきに聞こえるけれどやっと布団で5時間眠ることが出来た。今朝は椅子でいびきをかいて寝ていると、清掃のおばちゃんが来て起きたら既に講習までぎりぎりの時間しかなかった。メトロの値段の安さに驚いて、外苑前駅ってどこだ?と思って出口を出てみるとそこは何度か来たことのある場所でなんだかほっとした。夜にはまた店に戻るために東京駅を歩いているとポスターに「奈良」という文字を見つけて立ち止まってしまった。そこには奈良県でこれから行われるお祭りがカレンダーに書き込まれていて、分かるのは燈火会くらいなもので、つくづく故郷と言うものを知らないと思わされた。そして奈良に帰りたくなった。元気なときに思い出す場所は沖縄で、しんどいときに思い出すのは奈良。奈良に帰りたい。そんなことをボーっと考えながら終電もいってしまった駅の改札のポスターを眺めるスーツの男なんてなんの魅力もないなぁなんて笑ってしまった。

朝になってようやく仕事を終えて外に出てみると、昼間に降り始めた雨は少しだけ勢いを強めていた。今日は雨の日、なんていう止みそうにない気配というのは確かにあって、そういう感覚は嫌いじゃない。小学校に居て雷雨が来たときのようなおかしな非日常的な環境が少しばかりの連帯感を産むように、駅や電車の中には雨の日特有の連帯感が感じられる。そんな電車から品川の駅を眺めていると何十本にも分かれた線路と線路の間にある緑が勢いを増していて、今日の雨でまたこの雑草たちは元気になるんだろうな、と感じるとなおさら雨もいやなものでなくなる。起きてまた雨だったらもっといいところを見つけてやろう、晴れていたら再会を待とう。朝食バイキングに同僚と高いテンションでいって、どんぶり三杯も飯を食ったらそんな思考もなくなって、今はただただスーツをハンガーに吊るす機会を伺いならPCに向かっている。食べ過ぎた。飯いっぱいが一時間の睡眠になればいいのに・・・。さらにやせていく自分の体を休めるために布団にもぐりこんで夢を見ることもなく朝とは呼べない目覚めを向かえ、一日に別れを告げるお客様とともに時間を過ごす一日がまた始まる。

ダッシュ

2006年06月12日 | 日記
私の手帳には12:00~5:00までしか時間が打たれていない。実際に勤務時間は15:00~5:00なわけで理にかなっているわけだけど、そこからはみ出す予定が多すぎる。要はめちゃくちゃだ。今週は特にひどくて手帳を眺めるだけで疲れてくる。あ~乗り切れるだろうか。すでに眠れない日が二日間決まっている。こんなときは早い時間に大量に飯を食って体力を付けてがんばる。遅い時間に食べると食後の眠気が半端じゃないから。高いテンションで突っ走って行こう。ピンポンダッシュみたいに。今ここでピンポン押すからさようなら。

こんな誰でも出来る仕事をバカみたいに長時間やり続けて得られるものってなんでしょうか。まだ自分には見えてきません。ただこんな仕事を不平不満を言わず、実直に、且つスピーディーに大量の仕事をこなせる人間は、何をやらしても信頼できると感じます。何でも屋。そう言ってしまう事が出来るでしょう。主婦です。一日に何百人と来る父ちゃんや子どもの面倒を見るために日々働く。決して家政婦さんにはならない。金のために働くんじゃない、家族のために働く。つくづく母ちゃんはすごいと思う。訳が分かりませんが出勤です。

体内時計

2006年06月10日 | 日記
営業明けにビールを煽って泡盛に飲まれて帰宅。休みでもないのにいきなり自虐的な行為。もうどうでもいい。そう思うことで出来るようになることもたくさんある。今日は研究室の後輩が入店。自分もまだまだだな~と痛感。せっかくの大切な人になんのおもてなしもできない。多くの人をもてなそうとすることは決して悪いことではないけれど、大切な人をもてなすことも出来なくて多くの人なんて出来るはずがない。今日もまた反省。そして明日の営業で今日の行為を後悔してまた反省するんだろう。早く寝ないといけないのに眠れない。起きてから既に24時間以上経過しているというのに眠れない。体内時計が狂ったように早く進んだり、止まってしまったりして、本当の時間の進み方を忘れてしまったんだろう。もしくはそもそも本当の進み方なんて無いのかもしれない。それでも誰一人として見ていないところでも時計は時を刻み、12時間で一回転する。もしかしたら誰も見ていないところでは、子どもが眠るとおもちゃが動き出すように、時計も一休みしているかもしれない。私の体内時計もあんまり無視した行動をするから怒って時を刻むのをやめたのかもしれない。こんなことを考えながらも、本当に身体的にどこかが狂ってやしないのか不安になる小心者の私の体内時計はしっかりと、せこせこと今も時を刻んでいて、今晩あたりにごっそりと疲労とともにその時を私に告げてくれるんだろう。おやすみ。

休日の過ごし方2

2006年06月08日 | 日記
ついにネットをつなぎました。せっかくの休みだけどやっぱり体は疲れていて、こんなときにしたいことと言えばネットでいろんなところに行きたい。もうその衝動は抑えきれるものではなくなったので奮発してエアーエッジ買いました。しかも一番高いコースで。ついでに金額が変わらなかったので電話も買いました。もうお金のことは分かりません。携帯電話は今もってるやつを解約してやろうかと思ってます。ただ分かっていることは後々金銭的にきつくなることです。

ネットにつながったとたん、詰まっていた排水溝が通じたみたいな開放感があった。つながってしまえばたいしたことはなくて、別にいつも通りに戻っただけだった。働いているのにどうしてこんなに金がないのかとイライラする。早く落ち着きたいもんだ。

こんな文章を書き出してから既に12時間以上が経過している。まったく体内時計が働いていなくて気がついたら全部付けっぱなしで仰向けで8時間も寝ていた(何があろうとベッドで寝るときはうつ伏せで寝る。直そうとして仰向けで朝まで眠れなかったこともあるくらいにうつ伏せでないと眠れないのに。)。それでも全然疲れが取れていなくて、かえってだるくなったくらいだ。こんな生活をあと何年続けることが出来るのだろうか。いや、こんな生活を改善することがいつ出来るのかと考えないといけないのか。入社前に不可能だと考えていた睡眠時間で仕事をして、つい数ヶ月前に不可能だと思っていた仕事量を少しずつこなしていけたように、無理だと思うことを少しずつ出来るようになることが今の課題なんだろう。・・・いつからこんなプラス思考かつ自戒的な考えになってきたんだ。しっかりと洗脳されている気がする。まあ悪いことじゃないか。結局この休みも洗濯をしてアイロンをあててゴミを片付け本を読む代わりにネットをして過ごした。ほんの少しずつではあるがこのホテルの一室が自分の部屋に見えてきた。今日も朝5時まで仕事だというのに朝の7時に起きてどうするんだ・・・。寝起きに酒でも煽って無理やり寝るとするか・・・。

2006/06/04

2006年06月04日 | 日記
朝はまるでなにかに追われるように目覚め、カーテンをしめたままの薄暗い部屋のなかでぼんやり天井を見上げた。こなせなかった予定を埋めようと早めの目覚めを受け入れPCに向かい、いつのまにか部屋には紫煙が立ち込めていて、いつもと違う銘柄のせいか余計に居心地が悪くなる。ナニカガズレテイル。変換ミスにしろ全てが片仮名で綴られている文章のような違和感。知らなかったことでもないし、知っていたことでもない。ただそこに居心地の悪い違和感がある。外に出ると綺麗に飾られた御輿が太鼓の音をお供に担がれていた。こんな空の元で息をするために産まれてきたわけでもないし、こんなやつらのために時間を裂くために産まれてきたわけじゃない。なにかを失うためになにかをえるように、なにかを忘れるためになにかを覚えようとするように、自分のために他人のことを考えているように、自分を隠すために他人になりすます。いつのまにかその他人が自分であるかのように勘違いしてまた違う他人になりすます。今君は15歳の君が思い描いた他人になりきれていますか。サナギであることを望みます。