山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

工事中

2017年11月19日 | 日記
息子が謎の発熱。弱っている子どもを見るのはとてもつらい。病院に行っても原因不明。9度を越す熱にさすがにしんどいのか、目を覚ますと抱きついてくる。早く元気になってくれると良いけれど。

36歳、故郷奈良を出て半分半分の年になった。温室の中のショーケースで育てられたサボテンくらいに、チグハグで過保護に育った私は大学で北海道に渡った。極端に離れた場所で、同じような境遇のサボテンたちと出会って、雪の中で世間を眺めていてた。とは言っても大学と親と言う温室の中でヌクヌクとしていた。それでも故郷に居た頃よりは外気に触れる機会は多くなった。行けるんじゃないかと思った就職活動で、やっぱり自分のヘボさを感じた。やっぱり温室が恋しかった自分に情けなくなった。思いきって飛び出してみる機会にはなったけれど、その後飛び出してみたら、なかなか次元の違う人間が居るもんだと思い知らされたと同時に、そんなやつは全体の1%くらいしかいないことも分かった。99%は相手じゃないと。1%を見て生きようと。これは優劣ではなく、共感できる人間と解釈するようにしようと変更したけれど、当時は見下すような部分もあった。院卒学歴というくだらないプライドがそうさせたのだと思う。飲食の世界に進むと、本当にいろんな人間が居た。これは良い経験だった。

ここに来て他社に声をかけてもらう機会が増えた。隣の芝生はあおい。そして調子に乗ってしまう。

Lil peepが死んだと言う。驚きはしなかったというか、やっぱりかというのか、そんな当然のことを本当に回避できなかったのかという逆の驚き。テレビで危ないシーンが流れても、安全対策がとられているとどこかで安心しているけれど、本当にそのまま事故った感じ。

高校生の頃、カートコバーンの病んだ魂を読みながら、自分も、朽ちていくよりも燃え尽きた方が良い、なんて考えていたけれど、あの頃にリアルタイムにリルピープに触れていたらどうなっていたのだろう、と怖くなるくらいリアルに迫ってくる危ない魅力があった。それで死んだ。あのころの私なら燃え尽きたように見えたのかもしれないけれど、今は朽果てたと感じる。彼が触れてきたリアルがどんなものに写っていたのかは、私には到底想像もできないけれど、彼の死は私のリアルに色濃く影を落としていった。私の悩みなんて見えなくなるくらいに。

対極的な状況に、ますます堅実に生きなければと思う。



過保護

2017年11月01日 | 日記
お母さんが昔話をしてくれなかった。そう言って息子が目覚めた。昨晩はお母さんが先に眠ってしまったようで、その後ひとりでなんとか眠ったのがよほど辛かったようで泣いていた。妻は妻で悪夢にうなされていたようで、思い付く限りの宗教の言葉を発して逃げようとしたけれどかなわなかったのがよほど怖かったのか、寝ぼけながら般若心経を覚えようとググった結果、なぜかスマホのホーム画面を般若心経の画像を設定したまま眠ると言う奇跡を起こし、今日は朝から笑いが止まらない。

息子とふたり動物園に出掛けたり、ふたりでジュースを飲んだり、ボールで遊んで心底笑っていると、ふとした瞬間にそれを失ってしまうことを想像して怖くなることがある。事故や事件のニュースを見たときに良くそんな気持ちになる。絶対に失いなくないと思うと過保護に際限がなくなってしまう気持ちも分かる。かわいい子には旅をさせろとは良く言ったものだけれど、死んでしまったらもともこもない。