山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

追加報告会

2005年06月10日 | 日記
沖縄に来る直前にいろいろなことがあってみんなになんにも話さずに来たから心配をかけてしまっているようです。
まあ心配って言ってもそんなにしてないでしょ!?

まあそんなメールが来たのもあっていい機会だから自分の中も整理するという意味で文章にしてますわ。

さらっと前に書きましたが、別れたというのか結局戻ってきた彼女とはダメだったんです。
お互いの弱い部分を見せ付け合ってお別れという最悪な事態になってしまいました。

みんなの言うとおり断る力が必要だったようです。
つらい時、苦しい時、やたらと過去が光って見えることがあったりします。
そんな過去にお互いが望みをかけてしまった結果です。
実際とその光とのギャップに耐えられなくなったのが向こうが先だったって事です。

かれこれ6年越しの関係でしたが何回別れて戻ったのか分かりません。
毎回毎回「今回こそ!」って思ってはダメなんですね。
うまく続けばこれまでのことも全て笑って話せる苦労話になってくれる、って期待してました。
そうならない限り到底全てを受け入れられるほどのことではありませんし。
だから毎回毎回よく受け入れるなって言われてたけど、受け入れていたわけではなく、戻ってきてくれることでこれまでの嫌なことを受け入れることが出来るようになるんじゃないかって思ってたわけです。

でももう彼女は別人のように変わってました。
正直びっくりした。
大学に入って、遠距離になって徐々に変わっていくのを感じていましたが今回ほど子どもだって思ったことは無かった。
年々考え方が自分のみになって、子どものようになっていってた。
それまでの経験がそうさせているのでしょうか。

書いていて嫌になってくる。
どんな理由であろうが言ったことをやらない限りそれは嘘になるわけです。
それを自分が幸せになりたいという理由を振りかざして正当化しようとする彼女に心底腹が立った。
「しゃあないやん」
この言葉を聴くたびにイラっときました。

書ききれんわ。
とにかく心底腹が立って、悔しくて、哀しかった。
信じた人間が苦しい思いをして、心配した気持ちが使い捨てにされるようなことはあっちゃあイカン。
そうホントに思った。
その出来事があった夜、同居人と近所人にそう話した。

たかだか23年と少し。
それで結果を望むこと自体が間違ってる。
これからだって。
まだ自分もなにもやりきっって無いからな。

って思って思いだすのは、彼女の看取ってあげるって言葉ですね・・・。
実際それをしろって事ではないけれど、そこまでの期間で物事を考えられるならこんなことにはならない。
どっかの古いドラマからでも引用してきたんかな?
不思議なもんです。
本人曰く毎回毎回言う時は本気なんですって・・・。
この年になれば、そういってる奴が人の目にどう写っていて、実際どおゆうことなのかは、言わなくても分かるでしょ。
それを分かってるといいながら、本気で全く分かってない彼女が可愛そうでした。

そうそう、いつも別れたときって腹立つ気持ちでいっぱいやけど今回は不思議と可哀相に見えたんですね。
そのくらいもうぼろぼろになってたような気もします。
一時でもこっちに寄り道して元気になってくれればいいか。
なんてことは言わないですけど、ちょっと同情してる部分があるのは確かです。

全然書ききれてないけどそんな感じです。


なんて書きましたが、今はこのこと考えてません。
戻ってきた頃よりもよっぽど平穏に暮らしてます。
イライラもしないし。
今回は付き合ってて良かったことなんて一つも無かったですし。
今はホントに可愛い子を見つけるたびに土地を転々とする自分の生活を後悔してます・・・。

土産話の一つでも作らんな北海道には帰れんな・・・。

日記

2005年06月10日 | 日記
私の周りでもじわじわとブログが広まっているようです。

日記を書き始めたのはバンド活動を通して感じたこと考えたことを書き記すため。
知らないバンドのHPに行って日記があるとどんな人がどんなことを考えて音楽をやっているのか少しでもヒントが得られるから必ず見る。

自分の日記はすでにもう量が多すぎてあんまり読み返すことは出来ない上に、音楽からかけ離れたところに居る気がする。
もう日課として定着しているといってもいいぐらいに続いてるし。

全体を読み返すといろんな流れがあるんですね。
自分の中では日々の中で、小さなことでも記憶に残るものがあればどんどん書き記していこうと思ってる。
でもなんか後から見ても、山のようにある記事の中でほとんどがどおでもいい事で、ホントに言いたい事が埋もれてしまってる気がする。
不特定多数の人が見ることで具体的な考えを抽象的なものに変換したり、特定の見ている人のために書きたいこともかけない。
そおゆう意味でも、匿名性というのは非常に重要なんだろうな~って思ったりもします。

いっそのこと宣言なしで引越しでもしようか?
まったく別人として誰も自分の分からないところでいろんな人に見てもらいなにか反応があればまた違った存在として日記って言うのが書けるのかもしれない。ね。

ま、パパイヤくんはラマダンがんばって欲しいです。
9月に再開した時はきゅっと締まったボディを期待してます。
こっちの本気ラマダン留学生も、日も沈んでないのに飯食ってるの見つかって、ぎょっとしてたらしいので・・・。