神野町をゆく(35) 青之井用水
水田への水の補給方法は、ため池だけではありません。
もう一つは、川から「用水」引く方法です。
川の途中に堰を作り、そこから下流に緩やかな勾配を持つ溝(用水)をつくり、田へ水を引きます。図をご覧ください。
Aの用水は、淡河川から印南野台地を経て流れてきた用水です。
矢印のところに平木橋があり、最後に平木池(現在は埋め立てられています)に流れ込みました。
青之井用水と高堀
緑色の用水は、寛文四年(1664)に完成した青之井用水です。
青之井用水は、曇川から皿池(中央の黒い大きな池)に入り、更に先に流れ近隣の田畑を潤しました。
赤色の用水にも注目下さい。青之井用水から分かれた高堀り溝です。
高掘り溝は、平木橋の下をとおり、さらに南の戸ヶ池に流れ、野口の北部の池に流れました。
皿池のある場所の標高は、約22メートルで、平木橋の辺りは標高約27メートルです。
戸ヶ池の辺りは、約22メートルです。
平木橋辺りの土地が壁のように立ちはだかり、水はそれ以上流れませんでした。
百姓は、そこに深い溝を掘りました。これが高掘り溝です。
少し、説明が必要です。
「高掘り溝」とは、高いところを掘った溝の意味ではありません。
高掘り溝は、村高(生産高)に応じて工事をした溝の意味です。
「当時、石守村(神野町)が600石、水足村(野口町)が644石であったので、この割合で工事の負担をしてできた堀」という意味です。
現在、平木橋は東播南北道路の建設により取り壊される運命にあったのですが、各方面の努力により文化財として野口町水足の公民館横の前ノ池(まえのいけ)に移転され保存されています。
*写真:「前ノ池」(野口町水足)に保存される前の平木橋
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