野口町をゆく(77) 大庫源次郎物語(4) 汲み取りのバイト
高砂高等小学校の月謝40銭はこたえました。
そのころ、高砂の町の下肥えの汲み取りは荒井村の農家が請合っていました。
ある時、都合が悪くて汲み取りに行けなくなり町の人たちは困り切っていました。
高砂町は、古くから播磨の良港で裕福な町です。
そのため、隣接の荒井村を小馬鹿にして〝在の者〟と呼び、低く見ていました。
だが都合の悪いときは仕方がありません。農繁期の村は、猫の手も借りたい時に、高砂まで汲み取りに行く者はいません。
その話を聞いて、源次郎は、「よっしゃ。わしにまかさんかい」と胸を叩いて、この仕事を引き受けたのです。
翌日から源次郎の活躍が始まりました。学校へ行く日には朝夕二往復だけでしたが、日曜日は忙しくなりました。
大八車を借りてきて、実家から持ち出してきた肥え桶を積んで、高砂、荒井の間を行ったり、来たり、暗くなるまで汗水流して車をひきました。
田んぼ道では、ふところから〝手製教科書〟を出して読みながらの往復です。
(手製の教科書については後に説明をしましょう)
おかげで、月謝にお釣りがくるほど心付けをもらいました。
「人のいやがる仕事でも、やってみりゃ、やれんこともないがな」と痛む腰をさすりながら笑うのでした。
こんな源次郎を、高砂の町中から通学する同級生の中には「源次郎の奴は汚い肥え汲みまでして月謝を稼ぎよる。ああまでして学校へ行かんでもええやろうに・・・・」と冷たい目を向ける連中もいうのでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます