神野町をゆく(68) 城山物語(12) 古代人が見た城山からの風景
きょうの記事は、歴史ではありません。思考力の弱くなった年寄り(78歳)のたわごとです。
・・・・最近、城山(じょやま)へよく登ります。それも夕日の時間がほとんどです。頂上は、開けているのですが、周囲の木のためにのために、夕日は良く見えません。そのため途中で休んで、そこからしばらく夕日眺ることにしています。
川向こうの山の端にストンと隠れる寸前の太陽はみごとです。
そんな時、教信(野口の教信寺の僧:平安時代)のことをよく考えます。
教信のこと
承和三年(八三六)の秋でした。
興福寺ので修行に満足を感じなった教信は、山陽道を西へ向って行脚していました。
須磨、明石を過ぎ、播磨路にはいりました。
山は遠くで、平野がひろがっています。
野口で見た夕日は、まさに西方浄土のようでした。ためらうことなく、ここを修行の地としました。
古代人が見た城山からの太陽(夕日)
城山は、敵から自分たちを守るだけの山(要塞)ではなかったと想像します。
まだ、仏教が日本に入っていない時代の西条の台地に眠る古墳時代人も、きっと城山から見る加古の流れと太陽に限りない宗教心を感じたことでしょう。
そんなことを想像します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます