たむたむの独り言

写真を中心にした情報です。

日本国を征服

2011-04-29 21:20:04 | Weblog

2011年4月29日(金)、新潟県北部の山形県との県境に「日本国」という山がある。今は村上市であるが、旧山北町小俣(おまた)という集落から登る。 標高は555mと、決して高くはないが名前は大した山である。 一説には蝦夷地と日本国の境であったいうものと、この山で生け捕った鷹を将軍に謙譲したところ、日本一の鷹だと言われたことによる説があるらしい。 

今日は朝から雨降りだったが、一昨日購入した耐水機能のあるGPS付きのデジカメの機能性をチェックするのにちょうどいいので、雨具を持って出かけた。 カーナビに登山口付近をセットして出かけたが、やけに遠回りをして狭い道を行く。 どうやらカーナビが古くて、新しい近道を知らなかったということが後でわかった。 おかげで1時間以上予定より遅れてしまい、上り始めたのは昼頃になってしまった。 しかし雨は小降りになり、思ったより足元も悪くなく、登山道も良く整備されていたので、3時間足らずで山頂を往復することができた。 山頂付近にはまだ残雪もあったが、ちょうど落葉広葉樹が芽吹き始めた頃で、最もフィトンチッドが多い季節だ。 全身が殺菌されて少し健康になった気がする。

〈小俣集落にある日本国の登山口。〉

〈小雨に煙る芽吹き始めた尾根筋の落葉広葉樹林を行く。〉

〈タムシバの花がよく目立つ。〉

〈林縁にはユキツバキの花が満開になっていた。〉

〈山頂に近くなるに連れてまだ残雪が目立つ。〉

〈もうすぐ山頂、あと15分。〉

〈日本国山頂555m〉

〈山頂小屋。今日は雨模様で眺望は全くきかない。途中ですれ違ったグループは5~6グループ程度だった。〉

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ニュースにならない3.12長野県北部地震

2011-04-29 18:09:33 | Weblog

2011年4月28日(木)、仕事で十日町市に行ったついでに、会社の研究所がある津南町の萌木の里へ、3.12長野県北部地震後初めて行ってみた。 3.11東日本大震災の翌日、長野県と新潟県の県境付近でM6.7の直下型の大地震が発生した。 新潟県津南町も震度6弱の強い揺れに襲われて多くの被害が出た。 研究所へ行く道路は落石等によって通行止めになっていて、そこから奥にある萌木の里を含めた越後秋山郷と信州秋山郷一帯は孤立状態になっていた。 2、3日後に萌木の里の物産館の支配人に電話で、落ち着いたら当社の施設の被災状況を知らせてほしいとお願いしておいた。 1週間ほど経ってようやく連絡が入り、外見はほとんど被害は無いようだが、玄関のドアが開かなくなったので中に入れず、部屋の中の状況はわからないということであった。 それにしても、東日本大震災の陰に隠れて、ほとんど長野県北部地震の被害状況に関する情報がない。 1ヶ月以上経って余震も少し落ち着いてきたし雪もほとんど消えたようなので、やっと様子を見に行くことにした。

途中の道路脇の斜面は所々で崩れた跡があり、残雪も思ったより多かった。 しかし、建物の被害はあまり見られない。 研究所に着くと、外見は気のせいか一部ゆがんでいるように見えるが気のせいかもしれない。 玄関は開かないと思ったが、一応ノブを回してみた。 すると難なくドアが開いた。 少し時間が経って歪みが復元したのかも知れない。 数年前の6m近い豪雪の年には、斜面上部の雪に押されて少し傾いたが、しばらくしたらほとんど元に戻ったことがある。 木造の在来工法だったためかも知れない。

部屋の中に入ってみると、薪ストーブや冷蔵庫、コピー機、テーブルなど全ての家具や備品は場所がずれていた。 食器棚は一部の食器が落ちて割れていたが、ほとんどガラス戸が閉まった状態だったので、中で食器が崩れただけですんだ。 あとは本棚の本が落ちたり、2階の和室の照明器具から蛍光灯が外れたり落ちたりしていた。 

これから連休を迎えて稼ぎ時なのに、萌木の里の露天風呂には亀裂が入ったり土留めの石積みが崩れたりして使用不能のままだった。 しばらくは、物産館とレストランのある「栃の実館」の内風呂で、沸かし湯で対応するということだった。 それにしても、ただでさえ観光客の減少に頭が痛いところへ追い討ちをかけた地震災害である。 

〈よほど強く突き上げられたのだろう。隣の部屋の灯具の蛍光灯は床に落ちていた。〉

〈重い薪ストーブが10cm以上移動していた、。〉

〈本棚の本も崩れていた。〉

〈外見はほとんど損傷は無かった。〉

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