お寺さんぽ Ver.03

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上野大仏 (東京・仏像)

2011年02月06日 | 仏像
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は、東京は上野の隠れた名所「上野大仏」です。

仏像と言って皆さんがぱっと想像されるのが、やっぱり大仏ですよね。
大きいことはいいことだ、ってやつ。
奈良、鎌倉がメジャーですが、なんと東京は上野公園にも大仏がおわすのです。
…頭だけなんですが。
胴体がなく、”もう落ちることがない”ことから、現在では合格祈願として人気な「上野大仏」さま。
シーズンにはちらほら取り上げられることあるので、結構有名であると思います。



この場所は、もともとは越後は村上城「堀直寄(ほり・なおより)」の屋敷があった高台です。
名人として有名な「堀秀政」の従兄弟が「堀(奥田)直政」
彼は”天下の三陪臣”として「直江兼続」、「小早川隆景」らと名を連ねる名将ですが、直寄はその次男でした。

寛永八年(1631)
ここで、敵味方双方の冥福を祈るため、「釈迦如来像」を造らせたのが切っ掛けです。
「関ヶ原合戦」が慶長五年(1600)頃、大坂合戦が慶長二十年(1615)ですから、江戸時代に入って多少落ち着いたあたりですかね。
晩年は上野で過ごしていた直寄。
屋敷を構えていた大名家にはそれぞれ氏寺があったようですが、付近に徳川家の「寛永寺」が建立されると、直寄は色々と寄進をしています。
こちらの大仏も寄進の一つだったようです。
当時は、高さ五メートルという粘土製でした。

正保四年(1647)の地震によって、なんと頭が落下。
それがため、明暦・万治(1655~1660)という間に寄付を募り、僧「浄雲」が青銅大仏に改めています。
木食僧とのことだったので、修行の托鉢で地道に集めたりしたのかな。
元禄十一年(1698)には仏殿が建立されています。
それまでは野ざらしだったんですねー。

天保十二年(1841)には、その仏殿からの火災によって焼失。
これを直寄から続く、越後村松藩の九代藩主「堀直央(ほり・なおひで)」が再建しています。
しかし不幸は続き、安政二年(1855)の大地震でも首が落下。
大正十二年(1923)の関東大震災でも三度頭が落ちてしまうのです。
その後に佛体は解体され、頭はとりあえず「寛永寺」に保管されていました。



地震などによって、合計四回も首が落下しているのです。
うーん…地震多い土地とはいえ、何が悪いんでしょう。
そう考えると、だいたい鎌倉時代からずっと残っている「鎌倉大仏」がどれだけ凄いか、って事ですかね。

この地に戻ったのは、昭和四十七年になってから。
もともとは約七メートルというサイズの大仏でしたが、現在は残った顔だけが奉納されているのでした。
新しい大仏を造る計画もあったようですけど…合格祈願スポットなってしまった今では難しいかなぁ。




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※あるいはこうした場所を順にいって見るのもアリかと。
 効果はあるんかな。




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