絵のタイトルは、「命の水」です。
毎年のように干上がる島で山に深い横穴を開けた。
おかげで、夏でも水が絶えない。
今は、単なる草に埋もれた湧き水である。
朝の片づけも終わり、観たい番組も見終えた。
将棋カフェについて特集をやっていた。
沖縄に出張した時、お客さんと飲みに行った。
割烹で、飲みながら碁を打った。お客さんのなじみのバーに行きそこでも打った。
そして、カラオケを歌った。どちらも下手だなとお客さんの評であった。
小学生の頃から、将棋も碁もできた。そのころは、近所の大人に勝っていた。
営業で時間があるときは、碁会所にも行き知らない人と打った。
今は、碁を打たないし将棋も指さなくなった。
昨日降った雪に照り返す陽の光がまぶしい。
コーヒーを飲んでいる。
会社勤めの頃は、いつの痛みか何の凝りか推測できた。
背中に張りがある。何をやったからと判然としない。
毎日、なにかしらで身体を使っているから気にすることもなくなった。
連夜予約客があり、自宅に帰るのは10時を回っている。
疲れるが、毎日の一生懸命が売り上げになっている。
コロナで心配したが、無用であった。
めったに人が来ないカフェでの感染を、来客者が心配している様子はない。
何が何でもブログを書かなければと頑張るでもない。
関心があること、頭をよぎることをまとめている。
昨日のテーマ「他人の苦しみ」について、捕捉する。
自分の苦しみ(疲れ、ブログのタイトルが浮かばないなど)ばかりを気にして生きている。
そんな自分を気づかせてくれたキーワードでした。
「他人の苦しみ」について、想像する時間が乏しいと気づいた。
「他人の苦しみ」を少しだけ考えると、自分の戒めになった。
分かってもらえないと、多くの人が孤独感を持っていることだろう。
その人の眼をみて聴くだけのことだった。
言葉が耳に残り、自分は何ができると探る。
聞くだけでもよかったのだ。
ちいさなことだが、自分にもできることがある。
時間をつくって、すぐにやる。
私にとっては小さなことでも、他人には大きなことだった。
逆のこともあるだろう。
気が晴れた。
上が下 右が左と 視点変え
2020年3月15日
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