昭和記念公園の日本庭園内にある池です。
絵を描いていて楽しいことの一つに、これでもいいかと思える瞬間です。
池なのに、緑や赤が躍っている絵になりました。
だってその色が見えるんだもの。
と勝手気ままに塗っていきました。
構わないんだよ。それでいいんだよ。
それは、貴方だけの感覚なんだから。
上手下手の問題じゃないんです。
そもそも、その場所を描こうとしたのは、貴方なのだから。
好きに描いたらいいじゃない。
となるわけです。
はい、では素直に勝手にやらせていただきます。
今日のテーマは「解放」です。
かつて、娘の名前を「遊放(ゆほ)」とつけようとしたことがあります。
尊敬する仲人さんに相談しました。
いくらなんでも、二つも自由なことばが並ぶととんでもない子になるんじゃない。
と注文を受け、そうかなと「放つ」の字をとりました。
私は、「遊ぶ」も「放つ」も好きな言葉です。
親の好みで名前をつける。
昔好きだった女の名前じゃないだけましだという無責任なものでもありません。
「遥」、「遊」、「夢」と「成」と次から次に無責任に作った子供達に、好き勝手に名前をつけました。
可哀想なことなのか、良かったのか、どの子も改名したいとは、今のところ聞いていません。
いつものように、広辞苑でしらべたところ、
「解き放つこと。束縛を解いて自由にすること」とありました。
この束縛が、キーワードです。
私が気にしているのは、「こうでなければならない」という束縛です。
朝ドラ「あさ」には、こうでなければならないことが、たくさん出てきます。
あさは、ことごとくその「こうでなければならない」を覆していきます。
痛快なドラマとなって、私達に報せてくれます。
絵を描いていても、
だって、そう見えたんだもの。
これが伝えたかったんだもの。
それだけです。
解放について、難しく解説することは、他の人に譲ることにします。
要は、解放されていると実感することです。
それが、どんなに素晴らしいことか気付くことです。
「それで、いいんだよ」と子供に言える親になりたかった。
ひばりさん なんでそこまで 昇るのさ
2016年3月4日
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