故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

一人じゃない

2021-09-22 05:57:44 | よもやま話

絵のタイトルは、「鳴門海峡夕景」です。
四国道にガソリンスタンドがない。
あと少し。
やっと、明石海峡前にスタンドがありました。


製粉機械のロールの上を転がる粉玉をとるために挑戦した。
回転するロール機に指を持って行かれました。
作業も終わりの夕方に起きた事故です。
同僚の彼は、欠損した指に包帯をしていました。
私は、「その包帯を取れ」と勧めました。
誰からも包帯の理由を聞かれなくなり、同僚は堂々と笑顔になりました。

今日のタイトルは、「一人じゃない」です。
故郷の島には、街灯がありませんでした。
上り下りの激しい道には、暗い森がありました。
ひときわ高い松には天狗が住んでいると教えられていました。
子供の頃は、昼間でも走って通り過ぎていました。

怖い。寂しい。
母が、「お前は一人じゃない。背中に神さんがついているから、安心だ」と諭してくれました。
それでも、怖かった。大人が夜遅くまで帰らぬ子に伝えた一言が生涯付き纏いました。

退学を覚悟で大学を飛び出し、山谷で酒を売り、銀座で酒を配達していました。
孤独で不安な毎日でした。
テープレコーダーに自分の声を録音し、流しながら酒を飲みました。
できた彼女に、別れを告げました。
一年後には大学に復学すると伝えました。
勝手な言い分です。
彼女は笑顔を作って、故郷に帰りました。

阿蘇の外輪山で、住み込みで働く牧場で子牛が一頭いなくなりました。
夕方の搾乳後の頭数チェックの時でした。
暗闇で、雪が頬にささる。
荒野の柵の中に、光る母牛の目に遭いました。
子牛は、売るために麓に連れていかれたと翌日聞きました。
夜は私一人だけの牧場には電話がありました。
いつもより支払い料金が高かったと思います。

泊るところ(一泊500円)がなく、富士の裾野の国道をさまよいました。
小学校もお寺も駄目でした。
家々の灯が温かそうに見えました。
早春のころ、山伝いに旅をしていました。
国道を歩く私に一台の車が近寄り、事情を聞いてくれました。
その人は、公民館に連れて行ってくれました。
一夜の宿の公民館に剥製の鹿がいました。
皆で追いかけ、アスファルトを逃げるうちに泡を拭いて鹿は倒れてしまいました。
沢伝いに逃げる鹿の事情を知ることになりました。

開けぬ夜はない。
博打うちが、一文無しの懐手で歩いていました。
眼の不自由な娘が石に躓き倒れました。
博打うちは、やさしくおこしてやり、気を付けるんだよと声をかけました。
藤沢周平の小説の一節です。
博打うちは、孤独じゃないと温かい気持ちになった。

私達は、孤独死に会うこともあるでしょう。
運が良ければ骨になり、悪ければ虫が始末をしてくれる。
死臭を放ち、死んだぞと知らせながら生涯を終える。

まとめに入りたいが、妻がとめどなく話しかけてくる。
孤独じゃないと言うことです。
よかった。

2021年9月22日
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