故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ケアマネージャー

2018-04-02 08:12:13 | よもやま話

「おはよ」というタイトルの絵です。
今日から、新年度が始まります。
何も変わりはしないけど、おはよです。


今日のタイトルは、「ケアマネージャー」です。
義兄のお世話に加わるようになった8年前のこと。
食制限がうまくいかない義兄は、食べたいものを食べてパンパンの身体になり、
体重を下げるために一時的な入退院を繰り返していました。
施設に入ってもらうか、自宅からの通院で治療を続けるか話し合いが持たれました。
出席者は、病院の婦長、ケアマネージャー、ヘルパー会社の副社長、市役所の福祉課の担当、
本人と私の6人でした。
前者の婦長、ケアマネ、ヘルパーは面倒見切れないと施設に入ることを勧めました。
何とか通院でが、本人の強い希望でした。
3対3の平行線の打ち合わせに終止符を打ったのが、病院長の一言でした。
「4Kgや5Kgは、抜いてやる」でした。
義兄の病気は、真正の糖尿病でした。1週間に3回血液から水分を抜いてくれる。
条件は、金の管理を私がやることでした。
お腹空かしの義兄は、お金があると食べてしまうどうしようもない人でした。
皆で話してヘルパーの回数を10回/週にしてくれました。
食事が作れない義兄のための食事制限ができるようになりました。
1週間分の食材を毎週届け、支払の金を封筒におつりが出ないようにぴったり入れる。
支払うべきお金で、義兄は何度も食べてしまいました。
そして、入退院を繰り返しました。

義兄の借金を返すのに3年かかり、ほとんどの支払いを銀行手続きにし、
現金支払は、直接私から送金する。これができるようになったのがやっと3年前。
上物の家の相続をしないと、地主と新たな契約ができない。
司法書士を地主に紹介してもらい、相続の手続きをしてもらい、
新たな契約ができた。そのお金も払うのは私でした。
生活費が不足するのも私がカバーする。

2人めのケアマネは、婦長と結託して何度も施設に送りこもうとしました。
ケアマネを元の方に戻していただきました。
元の方は、それからとてもよくしてくれました。
義兄のことで困ったことがあると、何度も相談しました。
8年の間に、救急車で搬送されたのが3度。
今度だけは、自宅に帰ることができなくなりました。
とうとう、透析のある施設に入ることになりました。

彼の兄弟は、数人いますが、8年間近づいてきませんでした。
まったなしの命に向き合った8年間です。これからも続きます。
常にケアマネが励ましてくれ助けてくれました。
この人がいなければ、とうに終わっている命でした。
そんなことがあるのです。
菩提寺の墓のことが気になりますが、私にはどうすることもできません。
帰られなくなった家のこともあります。
司法書士に「法定後見人」になることを勧められました。
そうすることにしました。
手続きはめんどうです。8年間の金の出入りも証明しなければなりません。
私は、金銭出納簿をつけていました。何かの時のために領収書も残していました。

まだまだこれからです。

死ぬまでの 長い道のり 皆助く

2018年4月2日
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