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庚午の歴史

2015年02月11日 | 歴史日誌

広島市西区に
「庚午」
(こうご)
という町があります。

明治2年(1869年)
広島では凶作により
多数の困窮者が発生しました。

その救済のため
広島では大規模な
干潟干拓工事に着手しました。

明治3年(1870年)
現在の庚午地区に
整備された干拓地は
この年の干支
「庚午」
(かのえうま/こうご)
にちなみ

「庚午新開」
(こうごしんがい)

と命名されました。

庚午地区では
サツマイモ、大根などの
野菜の栽培に力を入れました。

▼庚午中学校正門


先の大戦後の困窮期には
学校の校庭でも
サツマイモが盛んに作られ
庚午中学校は地元民から

「イモ中」

と呼ばれたそうです。

その後
食糧事情の安定と共に
農業から商工業に推移して、
現在では新興の住宅や店舗が立ち並ぶ
人口約2万人の町になりました。




ところで
明治3年(1870年)は
徳島県で大きな事件が発生しました。

庚午事変
(こうごじへん)
です。

当時の徳島藩淡路洲本城下で
洲本在住の蜂須賀家臣の武士が
筆頭家老稲田邦植の別邸や
学問所などを襲った事件のことです。

「稲田騒動」
(いなだそうどう)

とも呼ばれています。

▼稲田邦植


この事件は
淡路島の帰属をめぐって
重要な結果となり
この事件がなければ
淡路島は兵庫県ではなく
徳島県であった可能性が
高いと言われています。


また
2005年公開の日本映画

『北の零年』
(きたのぜろねん)は

吉永小百合さんが主演の
庚午事変が背景の作品です。




「庚午」の話題

もう少し続けます


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