横尾忠則現代美術館で“あがた森魚ライブ”の席を確保したのは、午前10時過ぎのこと。
14:00開演のライブまでは時間はたっぷりあるので、もうひとつの目的である展示会『「昭和NIPPON」―反復・連鎖・転移』を見る。
横尾忠則さんって方は画家であり、デザイナーであり、執筆家でもあり、写真家でもあり、宇宙人でもあり?、霊的な人でもある。
要するに存在そのものがアートってことか...。←陳腐な表現しか思いつかず。
展示会の中で特に刺戟的だったものについて書きますが、絵については購入した図録から切り出しています。
最初の展示スペースにあった『懐かしい霊魂の会合』
“心霊的交流”のスペースにあった絵はどれを見ても背筋が凍りつく。
これは完成した絵の上に人物写真がコラージュしてあるのだが、知り合いや家族で死んだ人の写真なんでしょうか。亡くなられた方かとも思われる人物のイラストと名前が書き込まれている絵もありました。
思いもかけず、死生観に向き合わされてしまう。
次は“廃墟の記憶”のスペースにあった『夢の中の記憶』
子供の頃に、太平洋戦争で焼け野原になった大阪の光景が原体験なのかも知れないと思ったりしましたが、それは昭和の原風景なのかもしれない。
「絵を見るということは、見るほうが勝手に解釈してしまうこと」でもあると考えていますが、次の絵は“フクシマ...”と連想してしまった。
しかし解説を読むと『戦後』という絵。いろいろな思いを巡らせながら見た絵でした。
他には“呪われた部分”“百鬼夜行”“土俗の悲しみ”などをテーマに展示されており、昔見たことのある懐かしい絵も展示されています。
ところで、最後のスペースの“彼岸(ひがん)と此岸(しがん)”にあった3枚の絵のイマジネーションには圧倒されてしまった。一番時間をかけて見ていた。
その一つが『実験報告』。“此岸と彼岸の境界線などない”といった内容の解説文が付いている。
これまで横尾忠則さんの著作を読んだり、絵やデザインを本で見ることはありましたが、実物の大きな絵で見ると伝わってくるエナジーが違います。
機会を見つけてこういう場所にもっと足を運ぶべきやね!と改めて思った日となる。
おまけは阪急電車の高架下の壁に誰かが書いた絵をパチリ!
この界隈には美術館や文学館などが立ち並ぶ“Museum road”ですからこういう壁画もあるのでしょうね。
14:00開演のライブまでは時間はたっぷりあるので、もうひとつの目的である展示会『「昭和NIPPON」―反復・連鎖・転移』を見る。
横尾忠則さんって方は画家であり、デザイナーであり、執筆家でもあり、写真家でもあり、宇宙人でもあり?、霊的な人でもある。
要するに存在そのものがアートってことか...。←陳腐な表現しか思いつかず。
展示会の中で特に刺戟的だったものについて書きますが、絵については購入した図録から切り出しています。
最初の展示スペースにあった『懐かしい霊魂の会合』
“心霊的交流”のスペースにあった絵はどれを見ても背筋が凍りつく。
これは完成した絵の上に人物写真がコラージュしてあるのだが、知り合いや家族で死んだ人の写真なんでしょうか。亡くなられた方かとも思われる人物のイラストと名前が書き込まれている絵もありました。
思いもかけず、死生観に向き合わされてしまう。
次は“廃墟の記憶”のスペースにあった『夢の中の記憶』
子供の頃に、太平洋戦争で焼け野原になった大阪の光景が原体験なのかも知れないと思ったりしましたが、それは昭和の原風景なのかもしれない。
「絵を見るということは、見るほうが勝手に解釈してしまうこと」でもあると考えていますが、次の絵は“フクシマ...”と連想してしまった。
しかし解説を読むと『戦後』という絵。いろいろな思いを巡らせながら見た絵でした。
他には“呪われた部分”“百鬼夜行”“土俗の悲しみ”などをテーマに展示されており、昔見たことのある懐かしい絵も展示されています。
ところで、最後のスペースの“彼岸(ひがん)と此岸(しがん)”にあった3枚の絵のイマジネーションには圧倒されてしまった。一番時間をかけて見ていた。
その一つが『実験報告』。“此岸と彼岸の境界線などない”といった内容の解説文が付いている。
これまで横尾忠則さんの著作を読んだり、絵やデザインを本で見ることはありましたが、実物の大きな絵で見ると伝わってくるエナジーが違います。
機会を見つけてこういう場所にもっと足を運ぶべきやね!と改めて思った日となる。
おまけは阪急電車の高架下の壁に誰かが書いた絵をパチリ!
この界隈には美術館や文学館などが立ち並ぶ“Museum road”ですからこういう壁画もあるのでしょうね。
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