食堂(じきどう)は読んで字のごとく、かつては僧侶が集まって食事をした場所だそうです。
空海の没後に完成したようですが、その後地震や火災などがあり、現在の建物は昭和9年に再建されたもののようです。
東寺の御朱印はこの食堂でいただくことが出来るのですが、運よく9種の御朱印をいただくことができました。
本来は一括して頂けないにも関わらず頂けたのは“偶然そうなった”としか言えないのですが、縁があったということなのでしょう。
食堂は本来の役割から、厳粛な修行の場・儀式の場とは違って少し和んだ感じのお堂でした。
堂内ではイベントが開催されていることもあって、生の活気のようなものがあります。
堂内で開催されていたのは、草場一壽(かずひさ)という陶器絵作家の「陶器の絵画展 」です。
有田焼の手法を使った陶器の絵ですが、パステル調の色彩の仏教絵は陶器とは思えない作品になっていました。
釉薬で色づけしたものを焼き上げるのですから、狙い通りの発色は難しいと思いますが、非常に美しい色彩の仕上がりです。
御影堂(大師堂)は空海在世時に住房とされている場所に建つ建築物で、1380年に再建され現在は国宝に指定されています。
ここに安置された弘法大師坐像(国宝)には毎朝6時にお大師様に朝食を捧げる「生身供(しょうじんく)」が執り行われているそうです。
御影の唐門をくぐって堂内に入ると、着物姿の方々が正座して座っておられ読経をされているようです。
お大師さんを祀る末寺は地方にも多く、お遍路巡礼へ行かれる方もおられますから、お大師さん信仰の根強さを感じます。
御影堂の裏側には国宝秘仏不動明王護摩供修法所があり、空海の念持仏といわれる不動明王坐像が祀られています。
念持仏とは身近に置いて私的に礼拝するための仏らしいのですが、秘仏として非公開になっている不動明王坐像が安置されているそうです。
弘法市の時には護摩行が行われるそうですので、弘法市の時に行くのもいいかもしれませんね。
毘沙門堂は「都の正門」といわれた羅城門にあった兜跋毘沙門天像を安置するために1822年に建てられたそうです。
ここでいう羅城門は芥川龍之介の小説「羅生門」のモデルとされる大門で、ネットなどで復元模型を見てもその立派さが分かりますが、現在は跡碑が残っているだけのようです。
東寺にいたのは2時間程度でしたので見てない所や見落とした所が多々あるかと思いますが、荘厳さを感じる寺院だったと思います。
『空海の風景』の一端に触れることが出来たかどうかは分かりませんが、また訪れてみたい場所です。
空海の没後に完成したようですが、その後地震や火災などがあり、現在の建物は昭和9年に再建されたもののようです。
東寺の御朱印はこの食堂でいただくことが出来るのですが、運よく9種の御朱印をいただくことができました。
本来は一括して頂けないにも関わらず頂けたのは“偶然そうなった”としか言えないのですが、縁があったということなのでしょう。
食堂は本来の役割から、厳粛な修行の場・儀式の場とは違って少し和んだ感じのお堂でした。
堂内ではイベントが開催されていることもあって、生の活気のようなものがあります。
堂内で開催されていたのは、草場一壽(かずひさ)という陶器絵作家の「陶器の絵画展 」です。
有田焼の手法を使った陶器の絵ですが、パステル調の色彩の仏教絵は陶器とは思えない作品になっていました。
釉薬で色づけしたものを焼き上げるのですから、狙い通りの発色は難しいと思いますが、非常に美しい色彩の仕上がりです。
御影堂(大師堂)は空海在世時に住房とされている場所に建つ建築物で、1380年に再建され現在は国宝に指定されています。
ここに安置された弘法大師坐像(国宝)には毎朝6時にお大師様に朝食を捧げる「生身供(しょうじんく)」が執り行われているそうです。
御影の唐門をくぐって堂内に入ると、着物姿の方々が正座して座っておられ読経をされているようです。
お大師さんを祀る末寺は地方にも多く、お遍路巡礼へ行かれる方もおられますから、お大師さん信仰の根強さを感じます。
御影堂の裏側には国宝秘仏不動明王護摩供修法所があり、空海の念持仏といわれる不動明王坐像が祀られています。
念持仏とは身近に置いて私的に礼拝するための仏らしいのですが、秘仏として非公開になっている不動明王坐像が安置されているそうです。
弘法市の時には護摩行が行われるそうですので、弘法市の時に行くのもいいかもしれませんね。
毘沙門堂は「都の正門」といわれた羅城門にあった兜跋毘沙門天像を安置するために1822年に建てられたそうです。
ここでいう羅城門は芥川龍之介の小説「羅生門」のモデルとされる大門で、ネットなどで復元模型を見てもその立派さが分かりますが、現在は跡碑が残っているだけのようです。
東寺にいたのは2時間程度でしたので見てない所や見落とした所が多々あるかと思いますが、荘厳さを感じる寺院だったと思います。
『空海の風景』の一端に触れることが出来たかどうかは分かりませんが、また訪れてみたい場所です。