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“男のためのガーデニング”改め

「絵になる風景」~ボーダレス・アートミュージアムNO- MA美術館~

2022-10-25 06:17:17 | アート・ライブ・読書
 『「絵になる風景」-そこにある「風景」を、人はなぜ「絵」にするのか-』をテーマにした今回のNO- MA美術館の企画展では、7人のアーティストが独自の視線・手法で描き出されています。
NO- MA美術館の解説には“その人の出自や思い出の数だけ異なった形で、風景はそれぞれの心の内に現れます。”とあり、今回展示の作品の大半は風景画というカテゴリーには入りそうにない作品が並びます。
絵の題材は、生まれ育った地の風景や記憶の中の風景、光るものを描く作家もいれば“現実ではなく、内側を描いている”という作家もいる。また10mにもおよぶ絵巻物を描いた作家もいます。



美術館の入口付近に展示されているのは畑中亜未さんの“光るもの”を絵にした作品が並びます。
作品は、右から「35W以上 電気スタンド(2灯)」「ライトアップ(2灯)」「灰色の街頭(2灯)」「ガス灯(2灯)」「イナビカリ(太)」で、それぞれモチーフを説明する言葉が添えられている。
展示の片側には2灯づつの光るものが描いてあり、反対側には同じモチーフが1灯だけ描かれて、対になるような作品の展示となっている。


畑中亜未

福田絵里さんは美大で油絵を学ばれた方で、薄暗い部屋の中で輪郭すらはっきりしない形を描かれ、うっすらと差し込む光によって室内らしき場所にいるのが感じられる。
「作品は社会との共存で起こる、軋轢から出来上がる。」と作者は語り、作品は内側へと向かい、その内側は現実には存在しない世界であるという。


福田絵里《ボルゾイまたは野犬》

一般論として、自分を取り巻く社会環境を辛く感じることがありながらも、関わりながら生きていかなければならないことが多い。
そこを胡麻化したり、やり過ごしながらやっていけることが出来る人もいるが、現実には存在しない世界(価値感)の中で過ごすことに意義を見出すこともあります。
ぼんやり浮かび上がる影のようなものや、微かに入ってくる光は何を意味するのでしょう。


福田絵理《部屋とひとがた、その他のなにか》

福田さんの作品と同様に、薄黒く塗られているように見えるのは三橋精樹さんの「無題」という作品。
絵にはかつて見たことのある光景、幼い頃の思い出、旅行で訪れた場所、テレビ番組で流れたワンシーンなどが描き込まれているという。

三橋さんは勤めていた鉄工所を定年退職し、自宅に長く居るようになってから絵を描き始めたそうです。
絵の裏には絵の内容が詳細に記されているといい、館内では絵の上に設置されたスピーカーから文章を読み上げる声が聞こえてきます。


三橋精樹《無題》

上の絵はTVのワンシーンで、“フィリピンの病院の中、狂犬病の犬に右足を咬まれた若い女がベッドに横たわっている。女は全身に病気がまわってわめいている。犬は鉄の檻の中で...。”
絵を見ただけでは分からない情報が込められており、実際には描かれてはいない場面についても語られていて、絵以上の情報量が込められている。




三橋精樹《無題》(表側の絵と裏側の言葉)

2階の和室の会場では、机の上に古谷秀男さんのカラフルな絵が敷き詰められるように展示されている。
古谷さんは1957年、16歳の時にブラジルに移民して農業に従事し、ブラジル経済が深刻な不況となった1990年に帰郷して料理店で働く。
ところが脳梗塞を発症して右半身に麻痺が残りったため福祉施設で暮らしたといいます。



絵は思春期から33年間過ごしたブラジルの記憶が描かれているようであり、鮮やかな色彩で描かれた絵はトロピカル感が漂います。
還暦を過ぎてから描き始めた絵は、記憶や郷愁や空想の世界ですが、ブラジルでの生活が反映されているように見えます。


古谷秀男《無題》


古谷秀男《無題》

懐かしさすら感じる風景は、衣真一郎さんの作品で、山並みや田圃や古墳など生まれ育った群馬県の風景を描かれています。
身近な田園地帯と古墳の絵は、鳥瞰したような視線で描かれ、地方へ行けば見られそうな風景でもあり、実際には見られない風景でもある。


衣真一郎《横たわる風景》


衣真一郎《横たわる風景》

モン族は、中国・ベトナム・ラオス・タイの山岳地帯に住む民族集団だという。
インドシナ戦争やベトナム戦争の時にフランスやアメリカに利用され、戦後は見捨てられて迫害や虐殺を受け、多くはタイの難民キャンプに逃れたという。
難民キャンプでは支援活動をしていたNGOと共に、キャンプ内でモン族が収入を得る手段として「ストリー・クロス」(刺繍)を製作し商品化したといいます。

難民キャンプで生まれたドゥ・セーソンも幼少の頃から針と糸を持ち、数々のストーリーを紡いでこられたそうです。
その刺繍作品「ストリー・クロス」では戦争からの逃避やモン族の民話や日常の風景が紡がれています。
モン族はもともと文字を持たなかった歴史があるといい、民族の歴史や文化の記録手段に刺繍を用い、その技術を母から娘へ代々伝えるという伝統があるとされています。


ドゥ・セーソン《メコン川を渡って~戦争からの逃避~》

ドゥ・セーソンは、ストリー・クロスでモン族に伝わる民話も綴られていて、先祖から伝えられてきた民話を民族の記録手段である刺繍で残しています。

左は「モンの民話~ヌーブライとジャー~」。妻をトラに連れ去られた夫が数日間妻を探し回り、洞窟の中でトラと一緒にいた妻を救い出す。
右は「モンの民話~二羽の鳥の夫婦~」。野焼きで巣が燃え妻と赤ん坊を失った雄鳥が自ら炎に身を投げ命を落とす。
雌鳥は王様の娘に、雄鳥は孤児に生まれ変わるが、最後は永遠の愛を誓い幸せに暮らす。


ドゥ・セーソン《モンの民話》

蔵での展示は古久保憲満さんの絵画。
《3 つのパノラマパーク 360度パノラマの世界「観覧車、リニアモーターカー、ビル群、昔現末、鉄道ブリッジ、郊外の街、先住民天然資源のある開発中の町」》
10mにもおよぶ長大な絵巻物には関心のある事が緻密に描き込まれた都市は、どこにも存在しないパラレルワールドのように想像が広がります。(撮影不可)





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