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「仏像をなおす」~大津市歴史博物館と西教寺~

2022-08-20 17:03:39 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「大津市歴史博物館」では、伝教大師・最澄没後1200年記念企画展として「仏像をなおす」展が開催されています。
仏像は仏教が伝わった飛鳥時代から現在に至るまで造られてきており、その年月の長さやその仏像が辿った歴史により破損や亡失された仏像は何度も修理や修復がされてきているといいます。

寺院参拝の折、修復のため仏像を梱包されて運び出されているのを見たことがありますが、修復された仏像の中には仏像本来の価値が損なわれるような修理がある場合もあります。
今回の「仏像をなおす」展では、修理・修復された部分を明確に解説したり、像の模刻からの復刻の歴史や修理や再興の見本となる仏像・神像のひな型などが紹介されています。



展示の構成は「1.仏像・神像をなおす①修復」「2.仏像・神像をなおす②復興」に始まり、「比叡山延暦寺」「西教寺」「圓城寺」「日吉大社」の仏像・仏画・修復札などを展示。
仏像の横には修復した部分に色づけした写真が展示されているため、修復箇所を照合しながら鑑賞することができる。
色付けした写真と仏像を見比べないと分からないような修復もあり、修復の技術の高さに驚きます。

いづれの神社仏閣も何度も法難にあった歴史があり、信長の比叡山焼き討ち(元亀の法難)や、比叡山による圓城寺の焼き討ち、日吉神社での廃仏毀釈による暴動と有名なところでも数多い。
その際に失われた仏像や経典や仏具は膨大な数であったろうと推測されますが、「3.比叡山根本中堂の仏像をなおす」の展示では、失われた仏像が復刻されていった経緯が分かります。
例えば、元々は根本中堂に祀られていた仏像が別の寺院で模刻されて残り、根本中堂の仏像は焼けたものの、模刻された仏像が再び延暦寺に戻ってくるといった経緯など。



「4.仏像をなおした記録」では、 「元亀の法難」の前の比叡山と攻め入る信長軍の焼き討ち、戦が終わり基壇だけが残る延暦寺で鹿や僧侶がむなしく佇んでいる様子を描いた絵巻物が展示されている。
絵巻は肥前に移されていたものが、京都京極通りの本屋で入手され、復興後の比叡山に戻されたという逸話が残りますので、法難の時に避難できて元に戻ってきた典型例とされます。



「5.仏像・神像をなおす時のひな型」では仏師が仏像や神像を造る、または修復するための見本となる像が並びます。
修復時の記録をひな型に残しておくことで、もし仏像・神像の本体が無くなってとしても、復刻するための細部の記録が残り、後世の仏師に工房の技術や伝統を継承していくことができるようです。

ところで、「仏像をなおす」展では全5問の質問に回答する子供向けのワークシートがあり、大人の方もぜひ参加下さいとありましたので、大人気なくも参加しました。
回答して受付へ持っていくと、缶バッチがもらえますので、もう一度会場を回って答えを書いて持っていき、何種類かある缶バッチの中から不動明王の缶バッチを頂きました。

 

「大津市歴史博物館」の企画展は撮影禁止ですので、行くたびに撮っているのは「圓常寺の小関地蔵堂」に伝来したという半丈六の「地蔵菩薩坐像(平安後期~鎌倉初期)」です。
像高135cmの座像は、穏やかな表情をされ、苦しむ衆生を救済して頂けるようなやさしさを感じます。





博物館の2階からの風景です。
琵琶湖の北湖はとても広いけど、南湖は対岸が近いですね。
対岸には三上山が見えていて、三上山は今自分がいる場所を知るのに便利な山です。



「仏像をなおす」展では先述のように比叡山延暦寺・圓常寺・西教寺・日吉大社からの出品が主でした。
せっかく大津にいるので、それら神社仏閣の中から久しぶりの拝観となる西教寺へ参拝することにしました。
暑い日が続いていますので西教寺の風鈴参道通り抜けで少しは涼めるといいのですが...。



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