goo blog サービス終了のお知らせ 

御朱印蒐集~東近江市 玉尾山 願成寺~

2018-05-10 06:12:34 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 日本の密教系の修行に「即身仏」となって入定する行があり、現存している即身仏は十数体にもなるといわれています。
即身仏を目指す理由にはいくつかありそうですが、いずれにしても死を前提とした行ということには変わりはないようです。

また、日本では仏教修行の末にミイラ化した即身仏とは違い、江戸時代から見世物や輸出用に各種のミイラが作られていたそうです。
そのミイラとは「天狗・河童・龍・鬼・人魚」などの想像上の生き物として、盛んに作られていたみたいですね。
完成度の高いミイラが製作出来たのは手先の器用な日本人ならではということになりますが、当時の西洋人からすれば日本とは有象無象の怪しげな生物が跋扈する未開の地だったのかもしれません。



東近江市の願成寺には“人魚のミイラ(72cm)”が安置されており、非公開ながら本やネットでは見ることが出来ますので見てみますと、我々が普通にイメージする妖しい人魚とは違って非常におどろおどろしいものです。
西洋的なマーメイドとは違って、まさに水木しげるが描く妖怪のような姿をしていますが、それもそのはず願成寺に祀られるミイラは“猿の頭とボラ(魚)をつなげたもの”で非常に不気味なものでした。


(こんな感じ)

願成寺は619年に聖徳太子により創建された寺院で、聖徳太子の母も模したと伝わる聖観音菩薩(非公開)を御本尊として祀った寺院です。
その後に天台宗寺院となって栄えていたものの、織田信長の比叡山の焼き討ちと同じ頃に兵火によって焼き払われてしまいます。
焼き討ちの際に幸いにして御本尊の聖観音菩薩だけは難を免れたとも伝わります。





願成寺は山の麓に建つ寺院で、前方にせり出したような場所に総門がありました。
この総門から山門、観音堂は一直線につながっており、その裏は布施山へとつながります。

願成寺の山門には「曹洞宗 玉尾山 願成寺」の寺号が掛けられており、現在は天台宗から曹洞宗に改宗されています。
これは信長による焼き討ち後に草庵のみになっていた願成寺を1624年に曹洞宗の寺院として再興したことによるようです。



まず手水舎に行きましたが、願成寺の手水は少し変わっていて、かつて石湯船だったものを手水鉢として使っているとのことでした。
この石湯船は1303年のものとされていますが、当時の人はこの石湯舟を温泉気分で入浴されたのでしょうか。



石湯舟の上には“ましみず観音”が祀られています。
この“ましみず観音”は御本尊の聖観音菩薩にあやかってということなのでしょう。



手水舎を出て観音堂まで一直線につながる石段を登って行くと、赤い“南無観世音菩薩”の奉納旗がなびいていて、とても雰囲気の明るい石段でした。
ここは“お百度参り”ならぬ“三十三度参り”になるようで「三十三度石」の石標が立てられていました。



石段の上から振り返って下を見ると「仏足石」が見えます。
この仏足石は1842年に造られたとされていて、奈良薬師寺型の仏足石となっています。



観音堂に祀られている秘仏の聖観音像には逸話があって、1736年頃に寺に盗賊が忍び込み、弟子の一人が盗賊にきりつけられそうになった時、観音様が現れて身代わりになったとされます。
弟子には怪我はなかったのですが、観音様には刀傷が残ったため“身代わりの観音”とも呼ばれて親しまれているそうです。



観音堂の脇に上へと続く石段がありましたので、登ってみました。
千手観音らしき石仏の奥には、朱色の鳥居と祠があり、さらに上には行者堂がありました。
石段の途中には弘法大師の石仏もありましたので、宗派にとらわれない寺院となっているようです。





行者堂の中には小さな厨子があり、何かが祀られているようでしたが開帳はされていませんでした。
まだもう少し道を進めそうではありましたが、ここで折り返して観音堂の前まで戻ります。

願成寺では聖観音菩薩が御本尊となっていますが、一般的に曹洞宗では釈迦三尊を祀ることが多いと思います。
そのためか境内には文殊菩薩を祀るお堂が建てられており、堂内には獅子に跨った菩薩像が安置されていました。



また、願成寺は禅寺ですから魚梛も掛けられていました。
日常的に使われている感じはありませんが、これも禅寺としての雰囲気があっていいですね。



ところで、願成寺のある東近江地方には幾つかの人魚伝説が残っているといいます。
願成寺の人魚のミイラにも伝説が残っていますが、何が発端になってこの地で人魚が伝説となっていったのかは謎のようですね。

「願成寺の人魚・願成寺の上流にある日野町の人魚・和歌山県橋本市の人魚」は三兄妹だと伝わっており、東近江市以外の地方にも人魚伝説は残されているようです。
2000年には願成寺と同じように人魚伝説の伝わる新潟県上越市や福井県小浜市と一緒に人魚サミットまで開催され、その際の記念モニュメントが願成寺境内に置かれています。



場所的にも離れた地域で、交流があったとは思えないにも関わらず人魚伝説が残されているのは面白い現象ですが、民話や昔話にも同様のことがあることから考えれば、人間の想像力には根底に通じるものがあるのかもしれませんね。
もっとも知らないだけで本当に人魚が実在していたのかもしれませんけどね?



人魚を始めとする妖怪について水木しげるさんの言葉を借りると...

“目に見えない世界”というのは誰にもしかと分かりかねる世界で、その中でも妖怪というのは特に分かりにくい。
では無いのかと思うといるらしいから不思議だ。とあります。
身の回りには見えていないモノが実はウヨウヨと漂っているのかもしれませんね。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御朱印蒐集~滋賀県 日野町 ... | トップ | 御朱印蒐集~東近江市 阿育... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山」カテゴリの最新記事