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「観音の里ふるさとまつり2019」2/10~高月町高野 高野大師堂(高野神社)~

2019-10-22 17:38:17 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「高野大師堂」はかつて己高山満願寺と称して、己高山仏教圏の中心寺院「惣山之七箇寺」の一つだったとされます。
最盛期には四十八の僧坊が栄え、堂宇跡を連想させる地名が高野には今も幾つか残っているといいます。

高野大師堂は「伝・伝教大師坐像」を祀りながらも、「薬師堂」に薬師如来を祀り、横には「高野神社」の社殿が横並びになっているという神仏習合の寺院です。
己高山仏教圏は、山岳信仰に白山信仰や天台密教が融合していったと言われることが多いですが、各集落では「村の宮さん・村の真宗寺院・村の観音さま」の3つが並列している印象が強くあります。

 

観音巡りなのに神社の鳥居から入ることになりますが、これは湖北の観音堂ではよくあることかと思います。
それだけ湖北には神仏習合の名残りが残っていると言え、あるいは檀家寺とは別に村の観音さまと神様を守ってきた歴史が残っているとも言えます。



3つの堂・殿が横並びになる中、中心にあるのは「薬師堂」。
この御堂がかつての己高山満願寺を継承する御堂のようです。



堂内の須弥壇には造りの良い厨子が置かれ、中に「薬師如来坐像」が祀られています。
薬師如来像からは繊細な医師の印象よりも大病院の偉い先生のイメージがあり、割腹がよく頼りがいがありそうな薬師さんです。





厨子の横には「日光・月光菩薩立像」「不動明王立像」「毘沙門天」「一二神将」が並んで薬師さんを守護しています。
御本尊の薬師如来と比べて傷みや劣化が多く見られるのは、制作年代の違いなのかもしれませし、修復の有無かもしれません。





次に向かって左にある「大師堂」へと向かいます。
高野は実に自然豊かな集落で自然に溶け込むように堂宇があり、気持ちの良い場所です。
ただし、ここにも“熊に注意”の看板がありましたので、山へ入るとツキノワグマに遭遇するかも?



大師堂に祀られている「伝・伝教大師坐像」は九鬼隆一・岡倉天心らの調査により、明治24年に重要文化財の指定を受けています。
また、像内の墨書により1283年に仏師院信によって造られたことが判明している寄木造・彩色・玉眼の像高75.8cmの鎌倉期の仏像です。



かつては「伝・伝教大師坐像」は最澄の肖像だとされてきましたが、近年になってその特徴から慈恵大師良源(元三大師)の肖像だと考えられているそうです。
元三大師は比叡山延暦寺の第18代座主で出身が長浜市の虎姫だとされていますので、天台宗が盛んだったこの地に地元出身の高僧を祀ったとしても全く不思議な話ではないですね。



境内にはここにも地蔵石仏が集められて安置されています。
赤い前掛けは新しそうに見えるものが多く、高野の方が丁寧にお祀りされているのだと思います。



写真では分かりにくのですが、境内にある池はゴツゴツとした岩で組まれ、この池にも中々の魅力を感じます。



境内の一番右にあるのは「高野神社」の社。
大きな神社ではないものの、整備が行き届き気持ちのいい場所です。



巡回バスは30分毎に巡回しますが、段々と遅れが生じてくる。
待っている間に地元の方に“己高山はどの山ですか?”と聞いてみると、“正面の山。”とのことでしたので記念撮影をする。



別の方向にカメラを向けると稲刈りの終わった田園地帯が広がる。
琵琶湖近くの田園地帯と少し違うのは、どの方向を見ても山に突き当たることでしょうか。



今年の観音の里まつりは山間の隠れ里のような寺院から巡り始めましたが、次は平野部へと向かう。
巡回バスは西へと進み、高月駅方向に近づくに連れ、徒歩やレンタサイクルで寺院巡りをする人の姿が多くなってくる。


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