京都では令和の新天皇即位を記念して、春の「京都非公開文化財特別公開」が開催されましたが、東山区にある長楽寺には天皇の即位の際にのみ開帳される秘仏があります。
秘仏は「准胝観音像」で、前回は平成に元号が改められた時に開帳されたということですので、今回の改元を逃すともう一度拝観することは叶わないかもしれない仏像になります。
長楽寺は805年、桓武天皇の勅命により伝教大師を開基として創建されたといいます。
天台宗・比叡山延暦寺の別院として創建された長楽寺は、室町時代になると一遍上人を宗祖とする時宗に改まり、時宗遊行派寺院として現在に到るとされます。
近代までの長楽寺の寺域は「円山公園」の大部分を含む広大な寺域を有した寺院だったようですが、幕命による「大谷廟」建設(1746年)により境内地を割られ、明治初年には境内の大半が円山公園に編入されたといいます。
円山公園の市営駐車場から公園内を歩きましたが、知恩院・八坂神社・東大谷祖廟に囲まれた円山公園はかなり広い敷地面積であり、どこまでが長楽寺の寺域だったかはともかく広大な寺域を有していた寺院だったことが想像出来ます。
老舗の料理屋さんなどが林立する円山公園を歩いていると長楽寺の参道が唐突に現れ、覆いかぶさる楓の下の参道を進んでいきます。
参拝した日には特別公開の参拝のピークは過ぎていたと思われるものの、やはり天皇即位の時ににしか拝観出来ない秘仏の拝観を求めて参拝される方は多いようでした。
東山の中腹に向かって堂宇は建てられており、まずは「三門」から入山します。
長楽寺は一見こじんまりとした寺院に見えましたが、境内は起伏に富み広さを感じます。
当初は、将軍塚からの山越えルートも考えていたのですが、直接来て良かったかなと思います。
三門から入山すると、庫裡・客殿を横目に本堂までの石段を登ることになります。
きつい石段ではありませんので、すぐに本堂が見えてきますが、実に緑豊かな寺院です。
本堂では開帳された御本尊の「准胝観音」から鰐口紐まで五色の紐でつながっており、外陣で参拝した後、本堂内へと入らせていただきます。
本堂では正面左から「法然上人像」、鎌倉時代に聖一国師が三国(インド・中国・日本)の土で造ったとされる泥像の「布袋尊像」、御本尊の「「准胝観音」が安置。
更に右の脇陣には「弁財天(伝・最澄作)」と「御本尊のお前立ち」、「阿弥陀三尊」が安置されています。
阿弥陀三尊の右の脇侍の「勢至菩薩」は右目だけ瞼を閉じたように見えましたが、これは何を意味するのか?
秘仏本尊の「准胝観音」は立ち上がるかのような2頭の龍に支えられた蓮台の上に立たれています。
像高40cmほどの仏像ですので細部までは見えないものの、尊顔は穏やかな表情をされており、寺伝では最澄が唐への渡航時に難破しそうになった船を救った観音様に謝意を示すため彫ったとあるそうです。
秘仏本尊が安置されている厨子は東福院和子(徳川2代将軍秀忠と正室・お江の娘)が寄進したものとされます。
須弥壇の写真は看板から撮ったものですが、特別公開のない通常は阿弥陀三尊が厨子の前に安置されているようです。
本堂を出てすぐ横には「平安の滝(名水・八功徳水)」と呼ばれる小さな滝がありました。
かつては法然上人の高弟・隆寛律師や建礼門院の御修行々場とされる場で、飲料出来る名水といわれます。
平安の滝の石組には八体の石仏が組み込まれており、石組の上部にはさらに多くの石仏が見られます。
八体の石仏を確認しましたが、修行の場らしい荘厳な場所だと感じました。
本堂から鐘楼にかけての場所は楓が堂宇を埋め尽くすかのように生えています。
秋の紅葉が美しそうですが、今の季節の青紅葉も実に美しい。
長楽寺には7躰の重要文化財の祖師像を収蔵する収蔵庫があり、暉幽・尊恵・一遍・尊明・太空など室町期の祖師像が並びます。
この7躰の祖師像は下京区にあった金光寺に祀られていたものが、金光寺が廃仏毀釈により衰退していき、長楽寺に集像されるようになったようです。
長楽寺は建礼門院が髪を剃り出家した寺院としても知られており、境内にはその名残として「建礼門院御塔」が祀られています。
建礼門院は平清盛の娘にして高倉天皇の皇后で安徳天皇の母。
壇ノ浦の戦いで平家滅亡後に出家されて大原寂光院で菩提を弔われたとされますが、出家されたのはこの長楽寺ということだそうです。
長楽寺には「相阿弥作庭園」があり、解説書きによると“八代将軍・義政の命により銀閣寺庭園の試作として造園されたと伝わる”とあります。
この日は日差しが強すぎたものの、縁側に座って眺めていると落ち着いた気持ちとなります。
境内を100mほど行った先に墓所と展望所があるということで歩いていくと、そこは竹林が拡がります。
地面から大きく頭を出している筍が多く見られましたが、なかには大きく育って竹の皮が離脱している竹も見られます。
竹の成長の速さが伺い知れますね。
さて、展望所から見た京都市街の風景です。
ここから見えるのは河原町界隈でしょう。京都BALの“BAL”の文字が読み取れました。
長楽寺は、天皇即位の時にだけ御本尊が開帳されるという特殊な伝統を持つ寺院であり、それゆえに時代の幕開けの慶祝な気持ちとなります。
元号が移った時にしか公開されない秘仏中の秘仏を拝観出来たことは元より、寺院としても見所の多い寺院だったと感じています。
秘仏は「准胝観音像」で、前回は平成に元号が改められた時に開帳されたということですので、今回の改元を逃すともう一度拝観することは叶わないかもしれない仏像になります。
長楽寺は805年、桓武天皇の勅命により伝教大師を開基として創建されたといいます。
天台宗・比叡山延暦寺の別院として創建された長楽寺は、室町時代になると一遍上人を宗祖とする時宗に改まり、時宗遊行派寺院として現在に到るとされます。
近代までの長楽寺の寺域は「円山公園」の大部分を含む広大な寺域を有した寺院だったようですが、幕命による「大谷廟」建設(1746年)により境内地を割られ、明治初年には境内の大半が円山公園に編入されたといいます。
円山公園の市営駐車場から公園内を歩きましたが、知恩院・八坂神社・東大谷祖廟に囲まれた円山公園はかなり広い敷地面積であり、どこまでが長楽寺の寺域だったかはともかく広大な寺域を有していた寺院だったことが想像出来ます。
老舗の料理屋さんなどが林立する円山公園を歩いていると長楽寺の参道が唐突に現れ、覆いかぶさる楓の下の参道を進んでいきます。
参拝した日には特別公開の参拝のピークは過ぎていたと思われるものの、やはり天皇即位の時ににしか拝観出来ない秘仏の拝観を求めて参拝される方は多いようでした。
東山の中腹に向かって堂宇は建てられており、まずは「三門」から入山します。
長楽寺は一見こじんまりとした寺院に見えましたが、境内は起伏に富み広さを感じます。
当初は、将軍塚からの山越えルートも考えていたのですが、直接来て良かったかなと思います。
三門から入山すると、庫裡・客殿を横目に本堂までの石段を登ることになります。
きつい石段ではありませんので、すぐに本堂が見えてきますが、実に緑豊かな寺院です。
本堂では開帳された御本尊の「准胝観音」から鰐口紐まで五色の紐でつながっており、外陣で参拝した後、本堂内へと入らせていただきます。
本堂では正面左から「法然上人像」、鎌倉時代に聖一国師が三国(インド・中国・日本)の土で造ったとされる泥像の「布袋尊像」、御本尊の「「准胝観音」が安置。
更に右の脇陣には「弁財天(伝・最澄作)」と「御本尊のお前立ち」、「阿弥陀三尊」が安置されています。
阿弥陀三尊の右の脇侍の「勢至菩薩」は右目だけ瞼を閉じたように見えましたが、これは何を意味するのか?
秘仏本尊の「准胝観音」は立ち上がるかのような2頭の龍に支えられた蓮台の上に立たれています。
像高40cmほどの仏像ですので細部までは見えないものの、尊顔は穏やかな表情をされており、寺伝では最澄が唐への渡航時に難破しそうになった船を救った観音様に謝意を示すため彫ったとあるそうです。
秘仏本尊が安置されている厨子は東福院和子(徳川2代将軍秀忠と正室・お江の娘)が寄進したものとされます。
須弥壇の写真は看板から撮ったものですが、特別公開のない通常は阿弥陀三尊が厨子の前に安置されているようです。
本堂を出てすぐ横には「平安の滝(名水・八功徳水)」と呼ばれる小さな滝がありました。
かつては法然上人の高弟・隆寛律師や建礼門院の御修行々場とされる場で、飲料出来る名水といわれます。
平安の滝の石組には八体の石仏が組み込まれており、石組の上部にはさらに多くの石仏が見られます。
八体の石仏を確認しましたが、修行の場らしい荘厳な場所だと感じました。
本堂から鐘楼にかけての場所は楓が堂宇を埋め尽くすかのように生えています。
秋の紅葉が美しそうですが、今の季節の青紅葉も実に美しい。
長楽寺には7躰の重要文化財の祖師像を収蔵する収蔵庫があり、暉幽・尊恵・一遍・尊明・太空など室町期の祖師像が並びます。
この7躰の祖師像は下京区にあった金光寺に祀られていたものが、金光寺が廃仏毀釈により衰退していき、長楽寺に集像されるようになったようです。
長楽寺は建礼門院が髪を剃り出家した寺院としても知られており、境内にはその名残として「建礼門院御塔」が祀られています。
建礼門院は平清盛の娘にして高倉天皇の皇后で安徳天皇の母。
壇ノ浦の戦いで平家滅亡後に出家されて大原寂光院で菩提を弔われたとされますが、出家されたのはこの長楽寺ということだそうです。
長楽寺には「相阿弥作庭園」があり、解説書きによると“八代将軍・義政の命により銀閣寺庭園の試作として造園されたと伝わる”とあります。
この日は日差しが強すぎたものの、縁側に座って眺めていると落ち着いた気持ちとなります。
境内を100mほど行った先に墓所と展望所があるということで歩いていくと、そこは竹林が拡がります。
地面から大きく頭を出している筍が多く見られましたが、なかには大きく育って竹の皮が離脱している竹も見られます。
竹の成長の速さが伺い知れますね。
さて、展望所から見た京都市街の風景です。
ここから見えるのは河原町界隈でしょう。京都BALの“BAL”の文字が読み取れました。
長楽寺は、天皇即位の時にだけ御本尊が開帳されるという特殊な伝統を持つ寺院であり、それゆえに時代の幕開けの慶祝な気持ちとなります。
元号が移った時にしか公開されない秘仏中の秘仏を拝観出来たことは元より、寺院としても見所の多い寺院だったと感じています。