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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都市東山区 鷲峰山 高台寺~

2019-07-15 16:30:30 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 高台寺は豊臣秀吉の菩提を弔うために秀吉の正室・北政所が創建した寺院として知られており、ねね様の亡骸が葬られている「霊屋」がTVなどで紹介される寺院です。
最近では「アンドロイド観音」の拝観が期間限定で始まっているようで、アンドロイド観音とプロジェクションマッピングの拝観の是非はともかく、新しい形の寺院の姿として注目を集めています。

豊臣秀吉の死後、菩提を弔うために北政所(ねね。出家後は高台院湖月尼)が1606年に開創し、1624年に建仁寺の三江紹益禅師を開山として高台寺と号したとされます。
造営には徳川家康が多大の財政的援助を行ったとされ、寺観は壮麗を極めたといいます。
家康は豊臣家の血筋を滅亡させたものの、北政所や木下家には配慮があったようですね。

 

高台寺のある一帯には清水寺や建仁寺、八坂神社・知恩院など有名な寺社が多く、風情のある町並みが続くと共に訪れる人の波も凄い場所となっています。
日本人の数も然ることながら、中国系などのアジアから欧米からと外国人観光客の比率が高く、静かに拝観とはいかないのですが、幸いにして高台寺はさほど混雑していないのは助かった。



石畳の“ねねの道”から高台寺に向かって台所坂歩くと、参道を覆うトンネルように樹木が生えています。
奥にある門は台所門になるのでしょうか、楓のカーテンで門の様子がよく見えない状態になっています。





門をくぐった先には庫裡がありますが、京都の寺院にはこのような造りの庫裡や境内配置がよく見られますね。



趣のある茶室「遺芳庵」の横を通り、境内に入ると見えてくるのは「観月台」。
遺芳庵は江戸時代の豪商で文化人でもあった灰屋紹益が妻の吉野太夫を偲んで建てたといわれる茶室で、壁一面の大きな円形の窓は「吉野窓」と呼ぶそうです。
高台寺の境内には他にも「傘亭」「時雨亭」という伏見から移建したという利休の意匠による茶室がありますが、外観的にはこの遺芳庵の方が好きかなと思います。



「書院」と「開山堂」を結ぶ「楼船廊(渡り廊下)」の途中にある「観月台(重文)」は、「偃月池」と「臥龍池」にまたがるように建てられており、屋根の下から観月出来るようになっているそうです。
写真は観月台が松の陰になってしまいましたが、季節や月の角度によっては月が池に映り込むことがあるかもしれず、実に優雅な建物になっています。



創建当時の高台寺の「方丈」は伏見城から移築したものだそうですが、数度の火災により現在の方丈は1912年の再建だといいます。
とはいえ、方丈の前には広い方丈前庭が拡がり、かつては勅使門からの使者を受け入れていた様子が伺われます。



「勅使門」も方丈と同じく1912年の再建ですが、白砂の前庭と大きなしだれ桜の木があしらわれ、盛り砂もあります。
方丈前庭の盛り砂は画像などを見ると複雑な紋様で造られている場合がありますが、この日は2つの山だけがありました。
その時々によって紋様を使い分けられているのかもしれませんね。



「開山堂」を向こう正面にして偃月池と臥龍池に挟まれた一角には小堀遠州作といわれる庭園があります。
枯山水の庭ではあるとはいえ、緑色に染まった庭園は後方の東山の緑と相まって、あまり見慣れない趣きのある庭園となっていました。



境内をさらに歩くと「臥龍池」の横に出ますが、その色彩は全体が黄緑色に染められたような光景になっています。
臥龍池の辺りは春の新緑、秋の紅葉が楽しめそうな場所で、紅葉の季節に訪れたいがおそらく人の多さに悩まされるのでしょう。



「開山堂」は重要文化財に指定されている建築物で、開山・三江紹益禅師を祀っているとされます。
彩色天井には北政所の御所車の天井、秀吉の御船の天井が用いられているそうですが、内部拝観は不可。



高台寺の堂宇は、書院と開山堂をつなぎ観月台の設けられている回廊と、開山堂から「霊屋」へと続く「臥龍廊」があり、臥龍廊は龍の背中を思わせるような特徴的な回廊になっていました。
急な角度をせり上がっていくような龍の背のようなこの回廊を見ると、おね様の菩提を守る水龍の姿をつい連想してしまいます。





臥龍廊は立ち入り禁止となっているものの、「霊屋」からは内側を見ることが出来ます。
勢いが感じられる外観とは違って、女性的な緩やかな石段を見ると、やはり女性であるおね様をお護りしている寺院であることがよく分かります。



寺院の高い場所に建てられているのは「霊屋(おたまや)」。
中央の厨子は閉じられているものの、右に秀吉公・左に北政所の人仏像が安置されています。

須弥壇や厨子には美しい蒔絵が施されており、桃山時代に流行した蒔絵の様式を代表して“高台寺蒔絵”と呼ばれるようです。
霊屋の北政所の像の2m下には北政所の亡骸が葬られているといい、運命に逆らわずひっそりと余生を過ごしたおね様の生き様に思いを馳せることになります。





参拝が終わると今度は竹林の小路を通って出門することになります。
すでに竹の葉が黄色くなって落葉の時期になっており、時に葉が落ちてくる小路は中々気持ちが良い。
所々にライトが設置されていましたので、ライトアップされる時期があるのでしょう。



寺院の出口までくると「高台寺天満宮」の社があり、その横には奉納された「マニ車」が置かれている場所がありました。
高台寺のマニ車の筒の中には般若心経を写経したものが入っていて時計回りに回すことで功徳が得られるとされます。



ところで、高台寺では2枚の御朱印を頂きましたが、2枚目の「夢」の御朱印は高台寺の鎮守社である「高台寺天満宮」で頂いたものです。
高台寺天満宮は北政所が高台寺を創建した際に日ごろ崇拝していた綱敷天満宮の祭神・菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたといわれます。



高台寺天満宮の絵馬には「夢」の文字が書かれてあり、当日も絵馬を奉納されている若い方がおられました。
学問の神様である菅原道真公にあやかって学業成就の祈願をされていたのかと思います。


コメント
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