僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

『忘れようとしても思い出せない』~ボーダレス・アートミュージアムNO-MA~

2019-07-25 17:55:15 | アート・ライブ・読書
 近江八幡市のボーダレス・アートミュージアムNO-MAでは『忘れようとしても思い出せない』という分かるようで分らない言葉をテーマに展覧会が開催されています。
NO-MA美術館で開催される展覧会へはもう4年以上通うようになっていますが、毎回その企画の面白さに感心するとともに、ボーダレスなアーティストの裾野の広さを実感することにもなります。

NO-MA美術館は近江八幡市の歴史ある重要伝統的建造物群保存地区にある昭和初期の町屋を改築した建物で、町並みの良さもあって刺戟を受けつつもゆったりと落ち着ける美術館です。
今回の企画は“言葉にならない風景や出来事を、 絵画や写真、映像で表現する5名と1組の作者を紹介”とあり、失われた記憶や未知の記憶を辿るような展覧会となっていました。



入館してすぐの壁には「齋藤勝利」さんの絵が掛けられており、絵はスケッチブックを開いて2ページで1枚の絵を描くという描き方で風景を描かれています。
斎藤さんは生まれつきの聾唖であったため当初は言葉を扱えず、担当教師と絵によって意思疎通を図るコミュニケーション手段で繋がっていたそうです。

絵は斎藤さんが車窓から眺めた景色を記憶して、持ち帰った後で描いたものだといいます。
恐るべし観察力と記憶力ということになりますが、その絵には生まれ育った山形の景色が生き生きと描かれているといいます。


斎藤勝利「無題」

1986年生まれの田中秀介さんは、美術専門学校~芸術大学を卒業された方で、“主観的なイメージで「何気ない」事象が、異彩を放つ「何者か」として立ち現れてくる”と書かれています。
少し悩ましいのが絵のタイトルなのですが、謎解きが必要で下の絵は左が「度外視」で右が「化門」というタイトルでこの謎解きは難しい。


田中秀佑「度外視」「化門」

壁に5点掛けられた絵は左から「秘め皺」「渡世の山」「連立びより」「思惑の受け入れ先」「二人の一人」となる。
見ていると絵と言葉がつながり、そういう意味かと思える絵もあれば、分からなかった絵もありました。
とはいえ、そこにこだわる必要はないとは思います。



岡部亮佑さんは、1枚の絵に何かを描いては修正液や白い紙を貼り付けて消し、その上にまた描くという創作を繰り返されているといいます。
作品の中には写真の一部に破った紙を貼ったり、その上に線をなぞった作品もあり、その作品は思い出せない記憶を辿りながらの創作行為なのかもしれません。


岡部亮佑 「無題」(前向きの人)



西村一幸さんは54歳の時に不慮の事故によって記憶を失ってしまったといいます。
当初は全ての記憶を失ったものの、やがて部分的に記憶を取り戻していき、かつて仕事で訪れた工場の付近に生えていた姿を思い出しながら「ピラカンサ」を描かれているそうです。


西村一幸「ピラカンサ」

実際のピラカンサは絵とは似ても似つかないのですが、西村さんの記憶の中には存在する植物で、また記憶の中で進化しつつある植物とも受け取れます。
西村さん自身の記憶も、過去と現在が混在して認識されることがあるといい、今も記憶の中で新しいピラカンサが形成されているのかもしれません。



2階の和室には西村さんの作品の部屋と、おうみ映像ラボ「8ミリフィルム発掘プロジェクト」として4台のプロジェクターを使っての8ミリフィルムの上映がされていました。
滋賀県で撮影されたフィルムには「昭和の田圃(田植え・稲刈り)や「昭和の結婚式」や「多賀の松茸狩り」、「桜並木がまだない海津大崎の景色」など...。
昭和一桁から40年代くらいまでの映像が部屋の四方の襖や床の間・壁・スクリーンで同時に上映されます。

昭和の手作業でやる田植えや稲刈り、その田圃で遊ぶ子供の姿は、幼い頃に何となく記憶にあるやらないやらの光景です。
また先端に切れ目を入れた竹でカキの実を収穫する光景などは、現在でも見られるような気がする光景で非常に懐かしく思います。
映像に映る昭和の子供の姿は、自分のようであり自分ではありえないのですが、無いはずの記憶が甦ってくるような思いがします。



さて、今回も蔵での展示があり、カメラマン・鬼海弘雄さんの写真が展示されていました。
鬼海さんは1973年から浅草の市井の人々の肖像を写されている方で、写真にはかなりの衝撃を受けました。
また、鬼海さんは第23回土門拳賞を受賞されているカメラマンでもあります。



写真を見ていて、思い起こされたのはフリークスを撮ったアメリカの写真家・ダイアン・アーバスです。
写真から人の奥底に潜むもの、生々しさがイメージとして伝わってくるという意味で、その写真からは無表情ながらも人間の性のようなものが鬼気迫るように訴えかけてきます。

写真は中庭に6枚、蔵の中に10枚の展示があり、浅草で45年間に撮った人は実に1000人に及ぶといいます。
それぞれの写真に付けられたシンプルなキャプションからは想像力を掻き立てられ、被写体の人物の気配が伝わってくるような錯覚を起こしそうになるものまであります。



写真は蔵の中3面に展示されており、上は入口より右の反面、下は左側の反面となります。
どの写真も正面を向いたポートレートですが、撮られた人の生き様(生のエネルギー)ようなものまでも想像させる写真だと思います。



若い女性が太ももに彫った鯉に刺青を見せている写真で「むろん本物よ・・・・・という女 2007」



「ただ頷くだけで一言も発しなかった人 2015」


「28年間、人形を育てているというひと 2001」


NO-MA美術館の中庭にも写真が数点展示されており、3つのボードには表裏に写真があります。
蔵へ入る時に片面を見て母屋に戻る時には裏側を見ます。下の2枚の写真は左「カラスを飼う男」「髪を長くのばしているOL」というキャプションが付けられています。
鬼海さんは浅草のポートレートの他にもインドやトルコでの「スナップ紀行」のシリーズがあるのですが、そちらの作品群はこの浅草とは幾分異なる写真を撮られているようです。



ところで、NO-MA美術館から出る時に入口にあるリーフレットやパンフレットを見ていると、A4のクリアファイルが配布されていましたので頂いて帰りました。
「日本精神科看護技術協会」が“アールブリュットの認知・サポート”の一環として配布されているようですが、これはとても嬉しい配布でした。
作品は「稲田萌子」さんと「小津誠」さんの作品で両方ともアールブリュットの魅力を伝えるに充分な作品です。






ボーダレス・アートミュージアムNO-MAは元は町家ですから大きな美術館ではありませんが、1階・2階(あるいは階段の踊り場)や蔵をうまく使って展示され、企画の素晴らしさに毎回驚きます。
アールブリュットには福祉の意味合いも確かにありますが、作品には人をひきつける魅力があり、アート作品にはボーダー(境界)は無いということだと思います。


コメント
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