『ディープコザ発・沖縄ブログ』“ウチナータイム”にトラックバック。
ちょっと前に
『ぱんだのくろまめ』でnaoさんも“沖縄時間は本当に存在した!”という内容の記事を配信していました。僕も噂でしか知らなかったのでオドロキました。
僕が新卒で入った会社は証券会社でした。営業職だったので、フツーのセールスマンと同じようにお客さんのところを廻って営業しました。
ただし、株や債権の売買注文が入っているときには営業所にいます。専用端末を凝視しながら売り買いを展開するわけですね。
午前と午後の2時間ずつ、これは血の流れない戦争と言ってもいい状況になります。
電話を2本同時に使って別々のお客さんと話すこともよくあり、そこにまた別の電話が入ってきたことを後輩が大声で知らせてくる。
この場合、相手の名前を聞いてから「折り返し電話する」という符丁(後頭部を軽く叩く)を送ったり、そのまま待ってもらったりします。
「耳は3つ持て」という言葉を先輩に教えられ、僕もまた後輩に教えました。
そういう秒単位が貴重な世界では、やはり厳密な時間管理が必要です。電話一本遅れただけで8桁以上の数字が動いてしまうからです。
今でも憶えている象徴的なことは、電車の乗り換えテクニック。
渋谷西武のそばにあった営業所に帰るために、銀座線で帰ってきたとします。銀座線は渋谷が終着駅ですから、そのまま乗っていていいわけです。
しかし、本当に急いでいるときには、一つ手前の表参道駅のホームで神経をトガらせます。
向い側には同じ渋谷方向の半蔵門線が来るのですが、同時に到着して出発することが多いのです。その場合は走って半蔵門線に乗り換える。
銀座線の渋谷駅は東急東横店の上にあって、混雑した中を地上まで降りてくるほんの1~2分がもったいないというわけです。
ああ、今想い出すと、正気の沙汰とは思えない。しかしそこまでやって、出来た仕事だったことも確かです。恐ろしいですねえ。こんな職種にいる限りは、ゆるやかな時間の約束というのは成立しませんね。もちろん、あくまでも仕事のうえでの話し。
能率第一、生産性第一の世界を痛烈に批判したチャップリンの『モダン・タイムス』は、1936年の制作です。能率が悪かったり、クイックに動けない人はあのラストシーンのように人間社会からはじき出されてしまうのでしょうか。
でもそんなキリキリした世界でも、ちゃんと救いはあります。人間は捨てたもんじゃない。
あの戦争のような時間の中で、電話を3本抱えている状態で質問されても
「あ、ちょっと待ってね」
と、笑顔を見せて応対する先輩がいました。
この人は、仕事が出来ました。株の売り買いも巧かったし、営業成績も良かった。
やーさんに脅かされながら注文をとってきたこともありました。
「忙しいから、俺は何だかわからんが、怒る!」
という人が多いなかで、(ああ、この人は菩薩のようだ)とまで思いました。
そして、(僕もこの人みたような人間になるべし)と、心掛けたのを憶えています。
『ディープコザ発・沖縄ブログ』ではもうちょっと悲しい、というか「そりゃあないぜおい」という人の話しが載っています。そんな人たちはいつのまにかあのモダン・タイムスの歯車に組み込まれてしまったのでしょうね。そんなチャチなものよりも、ギリシアの神が一日に一度だけ廻す という、途方もなく巨大な歯車の音を聞いて、ゆったりとした時の刻みを味わいたいです。