京都に竜安寺というところがありますね。石が配置されて、その周りの白い砂が波のような模様を描いている『石庭』があるところです。ここを縁側から眺めようとすると、見方のアドバイスのようなことが書かれている看板があります。石の数は全部でいくつで、全部見えると何とかだ~というやつです。しかしこの日本語案内看板なんかよりも、外国人向けに英語で書かれた案内看板のほうがずっと奥の深いことが書かれています。頭上あたりにあるはずです。
ええと、引用しようと思ったけど、忘れてしまいました。高校生程度の英語が分かれば、充分判読出来ます。「ここは一つの閉じられた宇宙・・・」とかいうんだったかな? もっともっといい文章です。あれをどうして英語案内のほうにだけ書いてあるのかな、と思いました。神社仏閣が好きな僕でさえ、「おお~!!!」と感動したほどの名文です。
何年か前に、生命というものを探求するために深く深く内面への旅を行なっていたことがあります(なにそれ?)。そこで頭に浮かんだ絵は、海面にいくつもの生物が姿を見せているものでした。杉の木、オオカミ、シダ、ニンゲン。それらが島々のように海上に見えている。みんなちゃんと生きています。しかし島ですから、海面下ではみな海底で繋がっている。長い思索の末にそんな絵が浮かんだときは「あっ」と思いました。椅子から立ち上がってしまいました。
“地球は一つの大きな生命だ”という言い方がされますが、まさにそうだと確信した瞬間でした。みなそれぞれの形態ごとにLifeを全うするが、その大元は同じ生命なのだ。足元を見れば分かる。我々はみな海に浮かぶ島なのだ。けっしてばらばらに生きているわけではない、と。これはここ10年くらいの僕の世界観の根底をなすものです。
その一つの(あくまでも一つの)真実を獲得出来るきっかけとなったのが石庭です。もっと言えば英語の案内看板だったのです。外国人向けにはそれほど深く素晴らしいことが書いてあるのに、肝心の日本人向けにはそれがないのがやはりちょっと不思議です。もっとも「日本人だったらそのくらい分かれよ」と言われたら、ああそうかスミマセンってことにもなるかも。修行の道はキビシイですなあ。