くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

石庭High!

2004-05-26 21:31:24 | エッセイ
『catpaw』“日本に行きたい?”~にトラックバック。
 京都に竜安寺というところがありますね。石が配置されて、その周りの白い砂が波のような模様を描いている『石庭』があるところです。ここを縁側から眺めようとすると、見方のアドバイスのようなことが書かれている看板があります。石の数は全部でいくつで、全部見えると何とかだ~というやつです。しかしこの日本語案内看板なんかよりも、外国人向けに英語で書かれた案内看板のほうがずっと奥の深いことが書かれています。頭上あたりにあるはずです。
 ええと、引用しようと思ったけど、忘れてしまいました。高校生程度の英語が分かれば、充分判読出来ます。「ここは一つの閉じられた宇宙・・・」とかいうんだったかな? もっともっといい文章です。あれをどうして英語案内のほうにだけ書いてあるのかな、と思いました。神社仏閣が好きな僕でさえ、「おお~!!!」と感動したほどの名文です。
 何年か前に、生命というものを探求するために深く深く内面への旅を行なっていたことがあります(なにそれ?)。そこで頭に浮かんだ絵は、海面にいくつもの生物が姿を見せているものでした。杉の木、オオカミ、シダ、ニンゲン。それらが島々のように海上に見えている。みんなちゃんと生きています。しかし島ですから、海面下ではみな海底で繋がっている。長い思索の末にそんな絵が浮かんだときは「あっ」と思いました。椅子から立ち上がってしまいました。
 “地球は一つの大きな生命だ”という言い方がされますが、まさにそうだと確信した瞬間でした。みなそれぞれの形態ごとにLifeを全うするが、その大元は同じ生命なのだ。足元を見れば分かる。我々はみな海に浮かぶ島なのだ。けっしてばらばらに生きているわけではない、と。これはここ10年くらいの僕の世界観の根底をなすものです。
 その一つの(あくまでも一つの)真実を獲得出来るきっかけとなったのが石庭です。もっと言えば英語の案内看板だったのです。外国人向けにはそれほど深く素晴らしいことが書いてあるのに、肝心の日本人向けにはそれがないのがやはりちょっと不思議です。もっとも「日本人だったらそのくらい分かれよ」と言われたら、ああそうかスミマセンってことにもなるかも。修行の道はキビシイですなあ。
 


みんなで暮らす

2004-05-26 14:06:19 | エッセイ

『不埒な天国~Paradiso Irragionevole~』“Lo spirito nelle parole”~と『今日の幸せ』“ロベニア”にぐるぐるトラックバック。さらに時間を超えて『はなな生活』“楽園”にもトラバ。
 福島には親戚オカベ一族がいっぱいいるのですが、その中に一人のユニークな叔母がおります。
 彼女が住む土地は山間の鬱蒼とした杉林のそばにあり、小さな家屋と小さな庭があります。毎年盆に行くと、その庭にはいつも様々な草木が「いやっほう!」という感じで育っていて、いったい何種類植えられているのか検討もつきません。そうしてそこにはいわゆる雑草も生えているのですが、どういうわけか乱雑には見えないんですね。無秩序ジャングル状態になってもいいはずなのに、ある程度「棲み分け」しているのです。
 その昔、雑草取りをしてやろうかと申し出たことがありました。すると彼女は「いいの。みんな生きてるからね、どんどん育ってもらっていいのよ」とニコニコ。父母に確認したところ、これまで一度もいわゆる手入れをしたことはないらしい。
 そして彼女の愛情は草木にとどまらず、動物、昆虫、もう何でもかんでもウエルカムの人です。ある周期でスズメバチが軒下に営巣するのですが、一度も刺されたことはない。ちょうど去年その時期だったのですが、僕がおそるおそる眺めていると「やっと来てくれたの。みんな可愛いのよ~♪」。縁側でお茶をすすっていると巨大なガマちゃんがじいっとこっちを見ています。「あのガマちゃんが主なの。アオダイショウとあのガマちゃん。喧嘩しないの。仲良しなのよ~」
 彼女が煎れるお茶は甘くて、何杯でも飲んでしまいます。見ればごくありふれた市販品。古い木造の家の中はいつもこざっぱりと片づいていて、良質の書物がいっぱい。全てにおいて柔らかく穏やかでいられるらしいです。
 今年の盆もあそこに行くのが楽しみです。