超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

過ぎたるは及ばざるに劣れり

2017-01-25 23:30:52 | スポーツ・健康
「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし・・・」で始まる日光の修学旅行で購入した「東照大権現御遺訓」の掛け軸には「及ばざるは、過たるよりまされり」という下りがある。「取り返しがつかないことの多い『やり過ぎ』よりは、今後補って全うさせることができる『やり足りぬ』方がよい」というところだろうか。まさしく己の性格に照らすと雷撃のように響く警鐘で、マリアナ海溝のように深みのあることばだった。「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!『グリコがっちり買いまショウ』でも金額をオーバーすると即アウトである。(ちなみにオープニングは「男は度胸、女は勘定、お手手出しても足出すな・・・」だったと思う)私はまさしく自分のためのようなこの尊い神君の教えを忘れ、己の思うがままに「やり過ぎ」てしまったために、新年早々から「30日コミットメントを中断せざるを得ない」事態となってしまった。全くお恥ずかしい限りである。

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」の車内広告を見て電撃的に閃き今年のテーマに弾みをつける「30日コミットメント」をスタッフ一同の前で宣言してしまったのが正月明け、私のストレッチトレーニングは日々、その積み重ねを増していった。そもそもこの目論見を思いついて、著書を購入したのがクリスマス直後、「新たな年を迎えるとともに」と言いながら、隠れて1週間助走していたのである。(ここでもう既に「過ぎて」いる)簡単に言うとこのプログラムは1回に数分で行うストレッチを4週間、毎週ごとに少しメニューを変えながら行うものだ。またどの週も通じて行う基本メニューが2つある。一つは寝転んだ状態でタオルを足首にかけ、足を真っ直ぐ伸ばしたまま揺する運動で太腿の裏側がよく伸びる。もう一つはいわゆる「しこ運動」で膝を曲げて両足を開き、両手で膝を後ろに押すように揺さぶるもので、さらに両肩を片方ずつ入れて股関節周りをほぐしていく。



週替りメニューの第1週目は「太腿ストレッチ」で片膝を立ててもう片方を真っ直ぐ伸ばし、尻をできるだけ落として揺するものだ。年末に「練習」として既に1週間、このストレッチを続けていた。実はこのスタイル、サッカー経験のせいで「尻の大きい」私にはいきなり、かなり過酷なストレッチだったのである。尻を落とさずに太腿を伸ばそうとすると、ものすごい負担が片膝を立てた側の足首に発生する。「キツければ踵を上げてもよい」ということになっているが、この私がそんなヌルいトレーニングを自分に許すはずがない。これまたボールを自在に蹴る習慣から足首は比較的柔らかいので、べったり地面につけ、相当な負荷を感じながらも歯を食いしばって本の通りのポーズで頑張っていた。後で判明するのだが実は「歯を食いしばる」というのはそもそも「やり過ぎ」だったのである。その副作用が正月あたりにちらちらと姿を現すことになる。



最初の1週間、このストレッチを朝晩きちんと続けると、あっという間に開脚して肘までは地面に着けるようになった。元々運動はするので「コの字」で止まってしまうほど絶望的に固くはないが、開脚すると手の平をついて少し傾斜するのがやっとだったのである。「なーんだ、この分なら楽勝だな。この分なら4週間のメニューを待たずにイケかもな」人に言わせると「その気になると徹底し過ぎる」私の最も悪い癖がむっくりと頭をもたげてきた。大晦日、紅白やダウンタウンの「絶対に・・・」を見ながら、また正月の爆笑ヒットパレードや箱根駅伝を見ながら、暇さえあればひたすらに1stWeekメニューである太腿ストレッチに精を出した。食っちゃ寝の繰り返しで飲みながらだが、「酒を飲んだ時は体が柔らかくなる」という実感もあるからである。しかし正月明け、出勤したときに気付いたのだが、どうも左足首に張り詰めたような違和感が生じていた。しかも階段を下りるときに体重をかけると強い痛みが走る。

「こりゃ、太腿ストレッチの災厄か?!」何となく無理をして片足首で支えていたのは分かっていたのですぐに思い当たった。「まずい!あと3週間ほどで今年の初レースがやってくるというのに故障で欠場じゃ洒落にならぬ」しかしこのトレーニングはまさに30日コミットメントそのもので、「毎日欠かさず」行うことが大事であるという。私は本に載っている解説通り2週目のメニューに移行した。基本のタオルストレッチ、しこストレッチに加え今度は寝転がって尻をピタリつけた壁に向かって両足をVの字に広げ揺する、というメニューである。我が家にはまるで「犬神家の一族」の1シーンのように足を開いて逆さになれる広い壁がなく、寝室のドアをまたがって行う羽目になった。そして1日も早く「ベターッ」を実現したい私はあろうことか、週替りメニューなのに1週目のメニューも続けて重ねてしまったのだった。後で判明するがこれも明らかに「やり過ぎ」で、故障に向けて一直線コースだったのである。



10マイル湘南藤沢市民マラソン1ヶ月前だったが、左足首に違和感と痛みを感じてからジョギング練習は控えていた。捻挫や炎症に悪化してしまうのを恐れたためである。その代わり、しばらくご無沙汰していたバーベルエクササイズに精を出していた。激しい動きやジャンプなどはなく、音楽に合わせてバーベルを上げ下げし、全身をくまなく筋力アップしていく1時間ほどのトレーニングである。スピリチュアルヒーリングの先生に「あなたはもはや筋力アップは不要」と言われたので久方ぶりのバーベルであった。スクワットや背筋など大きな筋肉は良かったが、腕周りなどの小筋群は久しく行わないとやはり細くなるのかキツく感じるものだ。しかしこれまた「以前できたことがサボっていたためにできなくなるのは許さない」という私の習性でこれまでと同じ荷重のバーベルで頑張っていた。(これが更なる災厄をもたらす)

成人式も終わり、正月気分もそろそろ一段落という頃、左肘の外側に原因不明の激痛が発するときがあった。曲げ伸ばししたり、何か持ち上げたりして力を入れると特定の箇所に強い痛みを感じるのである。最初は筋肉痛にも似ていたが、そのうちに故障による痛み感覚に進展してしまった。走るときは腕を曲げたまま振るのでそれほど気にならなかったが、何かの拍子に伸び切ったり特定の角度になると激痛が走ったりする。「うーむ。これはかなりやばいぞ・・・」原因は恐らくバーベルエクササイズのトライセプス(上腕三頭筋)エクステンションというメニューである。ステップ台に寝転がってバーベルを垂直に持ち上げ、肘から先だけを折り曲げておでこに近づける運動である。不思議なことにこの運動をしている最中には痛みはそれほど走らないが、筋肉痛はまさしくこれが原因のモノとは感覚的に分かった。それがいよいよ時間がたつにつれて疼痛のような痛みに化けてきたのである。マラソン前日になって念のため整形外科の門を叩くことにした。

「湘南○○病院?父ちゃんが骨折って入院してたとこか?」息子甘辛は15年以上前のどうでもよいことばかり覚えている・・・確かに近くにもっと大きい総合病院があるのだが、はるか以前に手術して頂いた御縁を感じ、今は病棟そのものが移転した病院に向かった。執刀した外科部長やその後主治医となった医師はもちろんもういない。ネットで調べるとちょうどよいことに今の整形外科担当が「手外科・肘関節外科、抹消神経」が専門分野だったのでやはり因縁を感じたものだ。診察室でいつからどこがどう痛いか、思い当たることも含めて説明し、少し触診いた後にレントゲン、再び診察室に入ると「磯辺さん、これはテニス肘です」とずばり診断された。「へ?テニスなんか昨年夏にビーチテニスしたくらいでしかもボク右利きなんですけど・・・」原因はよく分かっていないが、テニスをしなくても「テニス肘」にはなるらしいのである。症状はまさしく図解の通りだった。全くこの年になって、利き腕でもない方がテニス肘だと?!



しかし原因が分かればひとまず安心だ。医師に頼んで注射を打ってもらい、痛み止めの湿布を貼ってほぼ痛みは治まった。練習していないので焦りはあったが、心配された左足首の違和感もほぼ無くなってきた。ストレッチメニューは3週目が終了するところだったが、今更後にはひけず「背もたれに向かって椅子に座り卑猥に腰を前後する」という週間メニューをさらに1,2週メニューに加えて行っていた。こちらの方は年明けからほとんど改善が見られないが、とにかくコミットメントしたので休むこともない。やり過ぎてマラソン前にどこかを痛めないように「ま、走り終えたらガリガリやればいいよな」と軽めにコントロールしていた。しかし今省みるに、私が警鐘ととらえねばならない徳川家康公の教訓を軽んじた報いは10マイルのマラソンの中で厳しく現れてしまい、30日コミットメントは一時中断に追い込まれるのである。40年近く前の修学旅行でも、息子甘辛の時もお土産に購入してきた遺訓には浅からぬ奇縁があることに気付くべきだった。



東照大権現遺訓
人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
(やたらに負荷を大きくして、早道をしてはいけない。急ぐとろくなことにならない)

不自由を常と思へば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
(今、すぐに開脚ができないのは当たり前である。これまで困ったこともない)

堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
(結果がでるまでは、イライラせずに、地道に積み重ねるべし)

勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身に到る。
(ちょっと成功したからと言って調子にのると、ひどい目に合う)

おのれを責めて、人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり
(やり過ぎて怪我をするのは自分のせいである。何事もほどほどに・・・)