超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

甘辛、部活を卒業す

2015-08-21 06:29:44 | 少年サッカー
先日、息子甘辛の高校生活最後の大会が終わったが、「引いて退く」といのはあまり縁起がよくなさそうだから、一足先に「卒業」という言葉を使うことにする。中学生の時はいわゆる「部活」ではなく、私設のクラブチームだったから中体連のサッカー大会などとは関係なく、むろん受験や引退などというものもあまり考慮されていない自己責任だったから、暮れの押し迫った頃でもまだ練習や試合にいそいそと臨み、正直親をハラハラさせたものだ。3者面談で「サッカーは3月卒業まで続けます!」と断言したときにはさすがの母親もたまげたそうだ。幸運なのか「持っていた」のか予想外に年明け早々進路を決めてしまってからは、クラブチームと進学先のサッカー部の活動にさっそく参加し、何とも忙しく走り回り、彼にとっての「切れ目」は無かったようだった。高校の部活は一番最後の大会が野球で言えば甲子園に相当する冬の全国選手権で夏休みに予選が始まる。これを終えると公式な活動はなく3年生は漏れなく「卒業」することになる。

一般的に進学校の3年生は夏の選手権予選まで残らない者も多い。私の母校では初夏のインターハイ予選を「インタイ杯」と呼び、これを終える(つまり負ける)と3年生の主力は引退し早々と受験モードに入ろうとする。受験は「夏休みが勝負」とよく言われ、各々予備校の夏期講習や集中講座などに出かけ始める。一方、夏の選手権予選は8月後半に始まるから部活残留組は練習を欠かさず、合宿にも参加するから受験モードどころではない。この差が出てしまい、「夏の大会残留組は浪人する」というジンクスがまことしやかに囁かれた。とは言っても、我が校特有の事情だが、9月末に湘南近辺ではかなり有名な「体育祭」があり、部活を引退した3年生は最後の祭に向け、夏休みかなりの日数を費やしてしまい、結局それが終わるまではそわそわして受験モードどころではないのである。私が1年生の時は3年が4人、2年生の時は1人、夏の大会に向けて残留したが、それぞれちゃんと突破して見せた。中には「二浪」して大学で私と同級生になってしまった先輩もいたが・・・

甘辛のサッカー部は都内では中堅どころ、たまに都大会本戦に進むくらいレベルのようだ。2年生後半くらいでようやく高度成長期が訪れ、今や私を見下ろすくらいの身長になった甘辛は新チームのゲームキャプテンとなり、トップ下の主力としてインターハイ予選を迎えた。ハイテクやサッカー理論を駆使し、クレバーな試合運びをするスタイルが彼のプレーと比較的あっているようだ。残念ながらくじ運悪く、以前の練習試合では大敗を喫した、かなりの強豪と初戦に当たってしまったが、かつて見たことがないほど素晴らしいプレーをしたそうだ。オープニングシュートから、見事なドリブルで何度も相手ゴールを脅かし、失点しても諦めずにチームを鼓舞し続けてとうとう同点に漕ぎつけた。ところがPK戦の一人目で人工衛星にでもなりそうなとんでもないコースに「外した」そうなのである。何か前にもそういうことがあったが「甘辛で始まり甘辛で終わる」終わりのほうまでは爽やかだったのに、最後にやたら苦く感じてしまう「青汁仕様の宇治金時」みたいな試合だったことだろう。背番号「10」にキャプテンマーク・・・(実は以前お世話になった指導者の喪章も付けている)思えば高校サッカーで彼が最も輝いていた時なのかもしれない。

      

この学校は少し文化(あるいは今昔)が異なるのか、インターハイ予選後夏の予選を終えるまで「引退」という身柄預かりはないらしく、受験モードに入る3年生は「退部」してしまう。サッカー部で甘辛を含み3年生残留組は4名になってしまった。受験のために部を去った者たちに「後で見返してやる」みたいな珍しく感心なことを言っていた息子だが、本人の後日談によるとその後最後の合宿でその「やる気モード」が吹き飛んでしまったという。ゴールキーパーにされてしまったのである。強豪と言われるチームは部員が何十人もおり、当然のように3年生も全員が夏に向けて調整してくるが、彼のチームのように主力メンバーが半分になれば布陣も最初から考え直さなければならない。大会を控えて一か月を切っても2年生のキーパーはあまり使えず、1年生の頼りないキーパー経験者しかいない状態だったそうだ。背の高さや判断の良さ、チームの事情などもあってやむなしの選択だったろうが、最後の大会が未経験だったキーパーとはとても可哀そうに思えた。さすがに必死に1年生キーパーを鍛え上げ、直前の練習試合では再びフィールダーとして登場したそうだが、センターバックつまり小学校時代のポジション、そして私と同じポジションである。私はインタイ杯で引退してしまったが、息子が最後の大会を父親と同じポジションで迎えるというのも不思議なものだ。

最後の大会の数週間前、甘辛は塾にも行かずむろん受験勉強などもせず淡々と練習メニューをこなしているように見えた。クサっているようでもなく、かと言ってがんがんにテンションを上げていくという風でもなかった。本来のポジションでなかったからだろうか?私見だがサッカーの場合、最終ラインは体力の限界まで縦横無尽にピッチを走り回り、勝つも負けるも自分の動きが大きく関わるということがない。簡単に言うとあまり「やり切った」という実感が湧かないのである。私は最後の大会前、自らもチームも鼓舞し意識的にテンションを上げていった。先があった時は「手抜き」だらけだった練習も最後は一生懸命やって声も出し、試合はすべて全力で走った。(最初からそうしろって)しかし999のメーテルが言う「若者は負けることは考えないもの」どころかその真逆の「いつ負けるか?」ばかり考えていた。別に受験モードに入るつもりだったわけではない。優勝しない限りはどこかで必ず負ける。100%どこかで終わる。「負けるために勝ち進んでいるようなものだ」と何となく冷めたところもあるディフェンダーだった。

甘辛の試合日程は予選が3試合、2回戦からの予定だった。ほぼ1日おきだが3試合勝ち抜くと本大会代表となる。初戦は慣れたホームグランドである。ほぼ3年間この真新しい人工芝の専用グランドでサッカーできただけでも、彼はかなりの果報者だと思う。試合前の挨拶にずらりと一列に並ぶとキャプテンマークを腕に巻いた甘辛はいつの間にかチーム一長身のプレーヤーになっていた。(こりゃー、ディフェンスにされるわな)背番号も「10」からセンターバックの「3」になっていた。
この日はどの選手も活き活きと動き回り大差で勝ち抜いた。「(次か?そのまた次か?全部勝つと次は10月になってしまうが・・・)」私はまたしても「負けて終わってしまう時」のことを考えていた。次の試合は平日だったが休暇を取り、最終試合も会社を休む予定にしていた。「高校の姿は見たことないだろ?」と実家の母親を誘い出し私は昔、甘辛と早朝練習をした時にいつも着ていたマリノスの練習着を身に着けて観戦に行った。(思えば私の両親は中学以降のサッカーの試合など見に来たことはなかったが)

    

相手はかなりの強豪でベンチ外の多数の部員が応援歌を合唱し始めたが、開始早々相手のディフェンスのミスをうまく突き先制点をもぎ取った。体格やスピードに勝る相手にかなり押されていたが、甘辛を中心にディフェンス陣が踏ん張り前半はリードのまま終えた。しかし後半、相手にコーナーキックから押し込まれ同点にされると、試合運びは相手の支配権にだんだん推移していった。甘辛も懸命に体を張って、遂に決定的に崩されることはなかったが、相手との身体能力の差とキーパーのキャリアの違いがセットプレーに出てしまい、コーナーから1点、さらに直接フリーキックでダメ押しされてしまった。こうなると時間制サッカーの非情なところで、相手の時間稼ぎにめげずに粘っても刻一刻と時を刻んでしまうもので、遂にタイムアップのホイッスルを聞く時が来た。チームメイトの3年生は目に涙していたが、甘辛は憮然として応援団席に並び「気をつけ!礼!」と頭を深々と下げた。考えてみれば未だ約10年なのだが、少年スポーツの終わりを告げる時のようだった。保護者たちをまとめあげ応援に余念のなかった妻は感無量のようだったし、老母は「いい試合を見られてよかった」と満足そうだった。

      

私は社会人になるまでサッカーを続け、今でもフットサルならそこそこは走るが、やはり普段からの練習の延長線にあるガチンコサッカーは高校の部活をもって一旦「卒業」した。最後は自分なりにテンションMAXにしたつもりのだが「負けて終わり」のホイッスルは不思議に淡々と聞き、涙を流すチームメイトを横に何か実感なく佇んでいた。中学部活は市内から湘南地区予選を勝ち抜くくらいのレベルだったが、高校へ進みそれぞれのサッカー部へ入部したチームメイトは他に誘惑が多い時代だったのか、次々と辞めて行き、最後まで続けたのは恐らく私だけである。また甘辛の所属チームは小学校で県でベスト16に入る強豪だったが、中学はともかく高校サッカーにまで進んだというチームメイトをあまり聞かない。継続は力なりという意味では甘辛の姿勢はずいぶん立派だと思う。さらに進学してもサッカーはずーっと続けるつもりらしいが、さすがに半年ほど一旦ブランクをあけることになる。今は実感なさそうにぼーっとしているが残り少ない夏休みのうちに、一体どんな気持ちで「負けて終わり」のホイッスルを聞いたのか、部活の帰りに申し訳程度に塾に寄るくらいで家では寝るか食うしかしなかった彼が受験モードへ切り換えできるのか、果たして我々の想像もしなかった路線を走るのか、一度聞いてみたいと思う。


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2 コメント

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Unknown (KICKPOP)
2015-08-28 13:02:50
師匠、ブログを読ませていただいて、じーんときました。サッカー部を卒業されたのですね。甘辛くん、お疲れ様でした。応援され続けた師匠ご家族もお疲れ様でした。我が家は今年はブブが小学3年生以来初めてソフトボールをしない夏だったので、何だかちょっと寂しかったです。グラウンドで頑張る子供の姿を見るのって・・・すごく楽しかったんだなあ、ブブ、楽しませてくれてありがとう、と感謝の気持ちです。

甘辛くんも来年は受験生なのですね~。何だかびっくりです。うちはあと3年あるのですが・・・あっという間にその日が来ちゃうんですよね、きっと。師匠も私も・・・子育てもカウントダウンですね・・・。
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Unknown (磯辺太郎)
2015-08-28 22:46:58
KICKPOPさま

師匠、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
お嬢様と年が近いこともあって、色々思いが重なるようで、共感いただいて嬉しいです。ホント、子供に感謝ですね。
でも今更のようですが、子供っていつまでも家庭(親)に平和と幸福感を与えてくれるわけではないですね。それはそれでこれから別の試練と楽しみを与えてくれるんでしょう。
カウントダウンも一つの通過点・・・しかし早いもんですよねえ。(遠い目)
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