超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

中学最後の公式戦

2013-03-20 06:21:11 | 少年サッカー
息子甘辛の中学最後の公式戦が終わった。多摩川沿いの河川敷で何度か訪れた会場だ。暖かかったが少し風のあるコンディションだった。小学生の頃は移動の車だしやら会場の設営やら保護者が協力して直接携わっていたから、試合などはほぼ毎回見に行っていたが、中学のクラブチームではそういう必要がなく(むろん自分達で行う)、単なる観客となっていた。学年別の小学チームとは異なり、U15、14、13というまとまりで、チームに色々あって同学年で加入したのは甘辛を入れてわずかに2人だったために、上位学年と一緒に試合に臨んでいたが体格差もあって最上級生になるまではほとんど出番らしい出番はなかった。。。これまでそういう話はあまり聞かなかったが、小学校では県トレまで選抜されたのに未だ本格成長期間とは言えず、ベンチを暖めるのはずいぶん悔しい思いをしたらしい。子供がポツンとベンチに残るような試合など見に行くはずもなく、何となくクラブチームの活動とは疎遠になっていたものだ。しかし彼は試合には出られずとも練習だけはひたむきに通い、受験のある3年生になっても塾よりも練習日程を優先していた。

中高の本格活動期間は短い。3年生になると部活は夏休みの大会で引退し、受験勉強に備えるのが普通だ。私も結構ひたむきに部活をしていたが、ラッキーにも1年生後半からレギュラーになれたことも影響したのか、最後の夏の大会が終わったら引退することに何の迷いも無かった。実際は大会初日前の練習で左手を骨折し、最後の大会は出られない、というオチがついたが。しかも茅ヶ崎市では優勝し県大会まで進んだのである。まったく存在感のないと苦笑していたところだが、そのお蔭で夏休みは全く何もすることがなく、勉強ばかりしていたのが幸いして第一志望を突破できたようなものだ。息子同様、父親も結果オーライ人生の始まりだった。

高校になるとどの時点で引退するかは自分で選択するようになる。進学校の場合、夏休み前のインターハイ予選あたりで大学進学を目指すものは引退してしまう。正月の選手権予選は秋口から始まるが、まともにこれを突破しようとチームに残る3年生は大抵が浪人覚悟で「燃え尽きたい」という選手だけだった。インターハイ予選は6月くらいに始まるから、早く負けてしまうとあっという間に3年生は抜けてしまう。新入生にとって3年生は「神」のような存在だが、一緒にプレーをすることはほとんどないのが実情だ。また青春真っ盛りの高校生ともなると部活以外の楽しみ(誘惑)も多様化し、中学選抜を何人も出した我がチームの出身者も高校卒業までサッカーを続けたのはなんと私だけだった・・・

さて息子甘辛のチームには後から一人加入したが、最上級生が3人ではせっかく試合に出場できるようになってもチームとしては甚だ弱小だ。大きな大会が結構あったが、ことごとく1回戦負け・・・夏休み明けの大きな大会にあっさり負けた時、そろそろ割り切って次の準備をしたらどうかとも思ったが、受験の準備にサッカーを一時的に休眠することなど全く考えていなかった甘辛は初めての進路相談で担任と母親を相手に「3月までサッカーは続けます」とこともなげに宣言して周囲を驚かせた。秋も深まりクラスや塾でも緊張の雰囲気が漂い始め、また残念ながら「サッカーで進学できるほど優れた技能を持っていない」と気付き始めた甘辛と我々は話し合い、塾を増やして練習日を削り、試合出場を公式戦だけにするなどして少しずつ受験モードに入っていった。

それでも「部活はとっくに引退し」1日数時間も入試勉強に打ち込んでいるのが普通の受験生だと思うと息子を「遊んでいる」としか思えず、「いい加減にやめて、一生でこの数ヶ月間くらい集中しろ!」とどやしつけたものだ。年末になって「親子で受験勉強」などという奇妙なモードに突入し、大晦日まで模擬試験を受けるほど「その気」にはなったようだが、最初の面接日の週まで欠かさずに週一で練習には参加していた。真面目に入試勉強を始めたのはたぶん私の母校を志望校にしたからである。たまたまサッカーが強いというだけで志望候補になる学校が2つ集う選手権予選の試合があって、パスを中心とする比較的クレバーな母校のプレーをいたく気に入ったようなのだ。身体がまだ小学生体型だからスピードとパワーで押しまくるプレーは逆に好きになれないようだった。

前述のとおり正月明け、わずか1週間であっさりちゃっかり進路が決まってしまった。面接で「サッカー部入部」を宣言していた息子は合格発表日に部の監督から声を掛けられその週末から練習に参加する気の早さである。それから2ヶ月、現在のクラブチームの活動と進学先サッカー部の2足のわらじを履いていたが、いよいよクラブチームの最後の公式戦を迎えたのだった。このチームで1,2年のうちはほとんど華々しく活躍した経験もなく、最上級生となっても「出ると負け」状態だったのに、結果オーライだったから良かったものの、下手すりゃ思いもよらぬ進路を辿った可能性もあった・・・あまり接点がなかった私には「彼にとって、このチームでの活動とは一体何だったのか?」とも思えたのだが、卒業文集を読んで初めてその心境というか、存在がわかったような気がする。

「・・・試合に出られずに悔しくてしょうがなかったが、このチームが楽しかったから続けられた・・・少なかったが同じ学年のチームメイトにも支えられた・・・」そして前述のように「この経験をどう活かすか、将来が楽しみ・・・」と結ぶのである。彼にとってはこの上もなく居心地のよい場所だったのだな。
そう言えば父子で面接のリハーサルをしていた時に「中学校生活で辛かったことは何ですか?そしてそれをどう克服しましたか?」という私のアドリブ質問に対し、真顔で彼は答えた。「身体的な成長が遅いこともあって、努力しているのに体力的に試合に出られないときが辛かったです。その時はチームメイトを助けて支える方に回ろうと思いました」私は正直、息子ながら実に立派だと思った。(こいつはこのまま受かっちゃうかもしれぬ)と初めて思ったのもこの時だ。

紙と鉛筆による答案用紙、その他これまでの結果だけで進路が決まる「進学」というのはむしろ異常なケースで(実際に面接もあるようだが割合は小さい)、社会人以降は圧倒的に「面接」で人物判断されることが多い。甘辛はクラスメイトの間でも「うるさい人」、「変な人」の上位にランキングされ、「イジられ役」として溶け込んでいたようだが、社会に出てからは決して入学時に成績としては対象とならないことで評価されてしまうことばかりなのは不思議だ。例えば「何となく『いいね』という感じがする」とか「何を言われても打たれ強そうだ」とか「何かこう、イジりたくなる人柄」などというものだ。入試という試練をかわしてしまったのはどうかと思うが、あの歳で「面接で買われた」とすれば親としても将来が楽しみである。

ここ1、2年、息子の試合からは遠ざかっていたが、週末は最後の公式戦を見に車を走らせた。こういう時唸るようないい試合を見せてくれると物語になるのだが、現実はそう簡単にはいかず目を覆うほど厳しいゲームだった。リーグ戦の中では最も苦手とする相手で、最初から呑まれていたのか動きにも精彩がなく序盤から失点を重ねていた。とくに守備的MFの位置にいる甘辛は変幻自在に動く中盤に翻弄されまくり、いつものプレーが全くできないようだ。「お前は3年間何やってきたんだよ!」という監督の怒号が自分に向けられているかのようにグランドに悲痛に響いた。後半少しエンジンがかかりいいプレーもあったが、結局大量失点のボロ負け・・・「これが3年間の成果か・・・」と無言になってしまうような最終戦だった。試合後応援席に挨拶に来た時にキャプテンの3年生は悔しさのあまり泣き崩れ、「こういうこともあるわなー」と我々は薄曇った気分で会場を後にした。

その晩、妻は用事があったので甘辛の帰宅を待っていると「飯を食ってかえる」というメールがきた。どんなに意気消沈して帰ってくるんだろう?東京ガスのCM「かぞくのはなし・最後の大会」のようなシーンを想像していた。私はシミュレーターゴルフで1時間ほどクラブを振り、帰宅してくるとちょうど息子が帰ってきたところだった。風呂に入り「中々、厳しい試合だったな」と落ち込ませないように注意して聞いてみると「いやあ、あのチーム苦手なんだよ。全然だめねー。でも昨日の相手の方が強いんだぜ。」前日も見に行ったが負けはしたものの結構いい試合をしていたのだ。しっかし全く落ち込んでいる気配がない。私もそういうところがあるが、華やかに有終の美を飾ろうが泥沼で山ほど悔いが残ろうが「通過点」は「通過点」に過ぎない、と考えているらしい。
 
     

「締めくくり」が大きな意味をもつのはどうやら歳を取ってからのことらしい。続けているうちは「終わり」や「負け」はない。「さよなら銀河鉄道999」のメーテルの言葉を思い出した。「若者は負けることは考えないものよ・・・」
今日は「3年生を送る会」だが、活動は月末までありまだ練習試合などにも出る気でいるらしい。あまり未練がましく残ると甘辛の代わりにベンチに下がる選手に申し訳ないが気の済むまでやればよいと思う。進学する高校には野球部他グランドを共有する部活がほとんどなく、サッカー部専用グランドのようなものだから、見に行くとしても自家用車で県内中を走り回ることはもはや無かろう。毎晩のように送り迎えしていた妻に「お疲れだったねー」と言葉をかけ、「この車もうすぐ車検だよな。もう燃費を気にする必要もないから、次は外車でも買うか・・・」と話しながら横浜新道を家に向かったのだった。


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2 コメント

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Unknown (KICKPOP)
2013-03-25 08:23:39
なるほど~・・・続けているうちは「終わり」や「負け」はなく、若者は負けることを考えないもの・・・なのですね。確かに私は若い頃はこんなに物事に執着しなかったな(あ、集中もしてなかったかも・苦笑)なんて思いました。

それにしても、甘辛君は秋風のように爽やかで、そして・・・オトナですねーーー。(江原さん風に・笑)きっと・・・今まで沢山の経験と感動を積んできた「魂の年齢」を重ねたオールドソウルかも、なんて思っちゃいました♥

甘辛君、高校生になってもサッカー頑張ってね。デンバーのおばさんより
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Unknown (磯辺太郎)
2013-03-25 13:39:09
KICKPOP様

「エースをねらえ!」でも宗方コーチは「・・・昔おまえくらいのころ、忘れたいことがあって、ついでに体に寿命があることも忘れ果てたことがある。」と言ってました。本人は当たり前のように続けていても羨ましいことですね。
自分も勝ち負けや「卒業」などには何の執着も感じませんでした。本日、40名近くに「退職」に際しての感謝状をお渡ししましたが、歳を経ると中々割り切れないもののようです。

息子は「オトナ」というよりは「あまり物事を考えていない」という状態に近いと思います。何せ「結果オーライ」が多く、どんより落ち込んだり大きな挫折を感じたりしていないところは「爽やか」かも・・・
なるほど「魂の年齢」ですか。逆に自分が実年齢相応になっているか心配です(苦笑)

師匠の励ましのお言葉、必ず息子に伝えます。ありがとうございます。
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