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コミュニケーションが最高の仕事であるために
伝わるとは、どんなことなのか。よくよく考えてみれば、コミュニケーションは何のために行っているのか、案外、自覚されていないように思う。普通言われるのは、言ったことが相手に理解されたことだとか、「わかったよ」といって、首を縦に振ったことなのか。あるいは、何も(声をあげての)返事は無かったけれど、期待していた行動とか約束はすべて果たしてくれたからということもある。これはよく言われる「阿吽の呼吸」があったから、というのもある。心や気持ちが快く通じることが、コミュニケーションなのだろうか。
これらは人と人のコミュニケーションとして「伝わる」を解釈した説明としては、そんなものだろう。しかし、コミュニケーションの意味には「通信」があり、受発信の概念も含まれている。意味や概念を示す信号が、意図した領域に到達し、またその反応として発信元に返信される。あるいは一度きりの受発信ではなく、なんども同様の更新が繰り返されるというイメージも一般的である。こちらは機会的で、いまや我々の暮らしの中に数多く見られるのが、言葉が意味を乗せていく通信型のコミュニケーションである。
むしろ不可解にさえ思われる人間関係を通して、それを人がワザワザ行うコミュニケーションとは、それはどのように考えればいいのだろう。コミュニケーションとは「伝えること」あるいは「伝達する」と定義したことが間違いかもしれない。つまり、言葉を右から左へ、素早く多量の情報を移動させるというイメージがある。まるで選挙のときの候補者が車の上から訴えかける、一方通行のマイク音のようなものである。当に「届けばいい」「伝わればいい」という言葉発信の質量がコミュニケーションであるとされてきた印象もある。
しかし落ち着いて考えていくと、人には心がある。伝わった言葉の塊に感動することもある。うまく組み合わせて伝えるという理性も働かせて伝えることができれば、人は反応してくれる。その反応の仕方が言葉、あるいは言葉以上の、またその組み合わせが、意味のある返答になる。その継続・繰り返しが「共鳴」になり、高まって行けば、次第に意味を交換することになり、流れを見ていくと形式を超えて「対話」となる。強調や間の取り方によって、そこに主張が生まれ、交流つまり真のコミュニケーションとなる。
そのようなコミュニケーションに出会ったとき、人は人のためにモチベーションを高め、人のため組織のために役立とうとする。私が若い頃、数年勤めていた企業では、経営理念を掲げ、日常からのコミュニケーションを厳しく定義していた。コミュニケーションは伝達ゲームではない。「言葉を伝えるのではなく、その相手がその情報の結果によって成果を上げるよう努めることである」と口やかましく伝えられていた。回覧板のように、ただ情報を伝えたのでは仕事ではない。結果を出るように活用してこそコミュニケーションであるというのだ。mitameya
HISからお知らせとご案内
〜病院広報&広報誌の成果コンテスト〜
BHI賞(広報事例)・BHIデザイン賞(広報誌)募集中 !
いずれも7月末日が応募締切日(先着順受付)です。
発表/表彰:10月27日(土)午後 会場/京都・聖護院御殿荘ホール
詳しくはhppt://www.j-his.jp/をチェックしてください。
案内資料は電話075-741-8219 または info-his@j-his.jp でも受け付けます。
伝わるとは、どんなことなのか。よくよく考えてみれば、コミュニケーションは何のために行っているのか、案外、自覚されていないように思う。普通言われるのは、言ったことが相手に理解されたことだとか、「わかったよ」といって、首を縦に振ったことなのか。あるいは、何も(声をあげての)返事は無かったけれど、期待していた行動とか約束はすべて果たしてくれたからということもある。これはよく言われる「阿吽の呼吸」があったから、というのもある。心や気持ちが快く通じることが、コミュニケーションなのだろうか。
これらは人と人のコミュニケーションとして「伝わる」を解釈した説明としては、そんなものだろう。しかし、コミュニケーションの意味には「通信」があり、受発信の概念も含まれている。意味や概念を示す信号が、意図した領域に到達し、またその反応として発信元に返信される。あるいは一度きりの受発信ではなく、なんども同様の更新が繰り返されるというイメージも一般的である。こちらは機会的で、いまや我々の暮らしの中に数多く見られるのが、言葉が意味を乗せていく通信型のコミュニケーションである。
むしろ不可解にさえ思われる人間関係を通して、それを人がワザワザ行うコミュニケーションとは、それはどのように考えればいいのだろう。コミュニケーションとは「伝えること」あるいは「伝達する」と定義したことが間違いかもしれない。つまり、言葉を右から左へ、素早く多量の情報を移動させるというイメージがある。まるで選挙のときの候補者が車の上から訴えかける、一方通行のマイク音のようなものである。当に「届けばいい」「伝わればいい」という言葉発信の質量がコミュニケーションであるとされてきた印象もある。
しかし落ち着いて考えていくと、人には心がある。伝わった言葉の塊に感動することもある。うまく組み合わせて伝えるという理性も働かせて伝えることができれば、人は反応してくれる。その反応の仕方が言葉、あるいは言葉以上の、またその組み合わせが、意味のある返答になる。その継続・繰り返しが「共鳴」になり、高まって行けば、次第に意味を交換することになり、流れを見ていくと形式を超えて「対話」となる。強調や間の取り方によって、そこに主張が生まれ、交流つまり真のコミュニケーションとなる。
そのようなコミュニケーションに出会ったとき、人は人のためにモチベーションを高め、人のため組織のために役立とうとする。私が若い頃、数年勤めていた企業では、経営理念を掲げ、日常からのコミュニケーションを厳しく定義していた。コミュニケーションは伝達ゲームではない。「言葉を伝えるのではなく、その相手がその情報の結果によって成果を上げるよう努めることである」と口やかましく伝えられていた。回覧板のように、ただ情報を伝えたのでは仕事ではない。結果を出るように活用してこそコミュニケーションであるというのだ。mitameya
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