病院広報(はとはあと)評価支援情報

「はとはあと」は、市民の暮らしに必要な、誠実で適切な医療情報を評価し、支援することで参加施設の透明性と“信頼を高めます。

コミュニケーションは伝わらない、人間が生きるから

2018-08-27 17:49:30 | はとはあと最新情報
コミュニケーションは伝わらない、人間が生きるから

企業でも病院でも、その成果を上げるために運用される組織的な環境では、人と人の関係づくりは大きな関心ごとといえる。それは「人が仕事をする」という場合と、「組織が仕事をする」という概念で意識される場合があるのだ。少しニュアンスが違うのだが、組織的な捉え方では、人が単位となって仕事を進め、成果に繋ぐというのが普通の理解の仕方になる。いずれにしても、単なる人の集まりや一時的なグループではなく、明確な目的に向けた人的機能として人の存在理由ということになる。

長年にわたり小さくても組織の一員として仕事をしてきた人には、ごく当たり前の話でも、そうでない人には、その感覚を活かしたやりとり、つまりコミュニケーションで損をしていくということになりかねない。それは仕事に限らず、コミュニケーションの取り方、質によって成果が左右されるということが信じられているからである。コミュニケーションがとれているかどうかの計測は、その価値観や感覚もさまざまで、人にはあまりにも難しい。そのために「いいコミュニケーションが良い結果につながる」と考えるしかない、困ったことだ。

いくらスッキリした話し方であっても、感覚的に違和感を持たれてしまうと理解も半減、イライラ感が残ってしまう。また、育った時代や住んでる地域が違っていたりすると、日常のわずかな感じ方の違いで相互の距離に悩んでしまう。まして同じ職場や環境であればあるほど、拡大機能が働き深刻になるから不思議だな。他者とのコミュニケーションは現代人の誰もが悩み疲れている。理解していてくれて当たり前、私ならもっと違うやり方でこうする、などと自分中心の考えになりがちで、それくらい私でもわかってる、はずという思いが攻めてくる。

そんな思いから一層その煙の中に引き込まれてしまう。誰でもそんな気持ちで悩んだことの一つや二つあることだろう。しかしながらドッコイそこは人間なのだ。そんなことは何十年もこの世にいてみんな知っている。きちっと真面目に考えるほど、シンドさが増してくるということも解っている、という側面がある。そうだからこそ現在なんとか出来ているのだと思う。そこで提案。目に見えるものに惑わされるのではなく、もう少し「粗雑」「ピンボケ」に考えてみることもイイかもしれないぞ。絵の修練にデッサンという技術があるぞ。

初めから細部まで書き上げるのではなく、まず大雑把な感じを捉え、自分自身と対話しながら次第に細部を繋いでいくプロセスだ。この感覚は新しい構想などの「見える化」に応用したり、経営企画を進めることにも使える。理想の完成を追求するのではなく、「コミュニケーションは完全に伝わらない」を前提に進める。伝わるコミュニケーションを疑ってみる。理念なんかも、思いが伝わらないからこそ必要だと‥。病院広報という場においても、「伝わらないからこそ目を離せない」という“心がけ”が大切、としておきたい。mitameya


写真は、10年以上前にデザインした北海道の医薬品企業の営業車ボデイのブランドデザイン
見た目で共感を伝えようとする戦略計画。バレオはラテン語で「健康」の意味。


////// 第22回 全国病院広報研究大会が伝えたいもの //////

2018-08-21 14:17:48 | はとはあと最新情報
HISフォーラム2018 in KYOTOのご案内

日本HIS研究センター(NPO)は、「病院広報が育むヘルスリテラシーと健康社会」をテーマとして、第22回となる全国病院広報研究大会を、今秋10月27日(日)、事務局のある京都市での初めて開催します。幸いにも門川大作京都市長による開会のお言葉や聖護院御殿荘による運営支援、また近接の京都大学医学部付属病院のご賛同とバックアップにより、全国各地からの病院広報関係者を迎えての研究大会が実現する運びです。

私たち日本HIS研究センターは、医療サービスには、Hospitality(あなたの視点)—Identity(わたしの視点)—System(しくみの視点)というHIS思考による情報とつながりを育成し、健康づくりを通して地域での生き方や暮らし方の改善に役立てたいと考えてきました。研究大会は、全国の医療機関から応募された病院広報の事例を事前にネット上に公開するとともに、あらかじめ公表された審査基準に基づき数点の優秀事例を選考・表彰します。

一次審査会は、8月23日の午後、京都大学医学部付属病院において行われます。医療における医療における数少ない広報学の専門家審査員により、この大会で発表する演題候補が決まる見通しとなっています。二次審査会は、フォーラム会場での発表を直に視聴して行い、今年度の最高賞BHI賞2018ほか優秀事例を選考して表彰式を行うという流れになっています。
 
また、広報事例を競うBHI賞2018と並行して、病院広報誌の企画を競うBHIデザイン賞2018の運営を進めてきました。病院情報と出会うための病院広報の中心的オウンド・メディアとして、また院内職員のモチベーション向上の要として、発信側からも受けての地域からも期待の眼差しに包まれています。開催会場の一角に特設展示場を設けて、ご来場者に力作の紹介をしていますのでご参加ください。詳しくは、http://www.j-his.jp

審査員は次のとおり(敬称略)
・京都大学医学部付属病院医療情報企画部教授 黒田知宏
・龍谷大学社会学部准教授 築地達郎
・経済学博士日本広報学会理事 菅原正博
・日本医業経営コンサルタント協会JAHMC前編集長 盛宮喜


HISフォーラムin KYOTO事務局




「ヘルスリテラシーを育む病院広報と健康社会」がテーマ

2018-08-05 14:47:53 | はとはあと最新情報
BHI賞2018 事例発表審査基準

第22回を数える全国病院広報事例研究大会は、事務局を置く京都市での開催となり、前年度BHI賞獲得施設に頼らない自主開催となりました。一つは、自主開催を実行してみることで見えてくる、数々の現場との交流機会です。今後一層期待のかかる、HISによる発展・連携・交流を通じての強みの育成にも繋がるのではないでしょうか。二つは、その連携の延長線上に見える今後のテーマ、ヘルスリテラシーへの貢献という方途ではないでしょうか。従来は、成り行きの事例並べの研究大会でしたが、今回初めて「ヘルスリテラシーを育む病院広報と健康社会」テーマを掲げています。万事は、まず掲げて示すことから風景は変わっていくといえます。多少強引な手法かも知れませんが、真っ暗な道には、小さな提灯の灯りでも有効な道標になるものです。とにかく発表事例に、地域を想い健康を願うアイデンティティが感じられることが大事です。

広報事例発表審査基準です。5つの側面から発表いただきます。
審査はウェブサイトによる第一審査および10月27日・京都の会場で行う第二審査によってBHI賞2018その他を決定します。
1 広報のテーマ
取り組みは、地域や共同する組織、コミュニティに役立とうという理念のもとに行っていますか。たとえば地域のヘルスリテラー向上への願いが込められた事例ですか。
2 広報の目的
具体的にどんなことを実現させようとする目的の取り組みかが、明確に説明されていますか。なるべく絞ったシンプルな表現でわかりやすい説明されます。
3 プロセス
その目的達成のために、どのような手段や方法、外部機能や人材などの資源の活用したか、なぜその方法が最良であったにかについて話してください。
4 広報の成果
実行の結果、定量的成果はもちろん、(笑みの溢れるような)定性的成果として、どんな手応えがあったか、参加者も審査員も、もちろん院内からも期待があります。
5 提案力
わかりやすい発表のためにどんな工夫や努力をしたのか、聞かせてください。この項は、他項とちがい、主としてプレゼンの良否・質を見るものです。

写真は、昨年度のHISフォーラムでの、入賞者によるシンポジュウムの一コマです。
なお、BHIデザイン賞2018の審査案内は、現在準備中です。近日ここに表示します。
HIS事務局

ヘルスケア、その信頼関係とは何かを考える

2018-08-01 17:47:06 | はとはあと最新情報
ヘルスケア、その信頼関係とは何かを考える

医療の信頼について書いてみる。仕事でもコミュニティでも信頼関係は大切である。「信頼など要らない」などと嘯くことは決してできない。そんな態度でもとろうものなら、皆から馬鹿にされるか、関係を切られる、とまでいかなくても、つきあいを敬遠されていくことは間違いないだろう。それだけ信頼関係は、生きていくための絶対条件として、大事に維持していくことが求められる。やはり、ここでも「人は一人で生きていけない」の原則が生きているのだ。その維持のための唯一のカテゴリーがコミュニケーションというわけである。

つまり信頼は、コミュニケーションによって獲得される心の関係値とするのはどうだろう。相手から信頼を得るには、相手にとって価値ある状況を発想し、実際に行動してみることであり、相手から認めてもらえないなら修正する。またはそれを繰り返すことで、相互の満足感を高めるよう配慮し、心の関係値を強固にすることが揺るぎない信頼への道である。だが、これは理屈であり、実際は、それが上手くいかないのである。人間には、あらかじめ蓄積された、好き嫌いや思い込みがあり、目にした態度や価値観には敏感なのだ。

信頼は、人間関係にも関わるが、人間の集まりである組織との間にも横たわる。もしくは組織と組織、国と国においても取り沙汰されるのは、日常の報道や各種情報においてもお分かりのとおりである。しかし、だからといって社会が崩壊するというわけではない。そこには調整や我慢が入り込み、関係や社会のバランスに貢献しているように思われる。そのような“良心”や“見識”に見守られて今日の居場所がある。信頼することで人間社会の存在がある。大雑把でも認識している人によって安心と信頼が築かれるのだ。

よく似たことばに「信用」というのがある。こちらには目に見えた保証が要求される。確かな保証があれば、その分、信用は成果を発揮するが、それがなければ対象外、と冷ややかのニュアンスに包まれている。確かにそれ自体、信用に値する仕組みであり、冷静な関係維持になくてはならない概念だろう。
しかし、コミュニケーションという世界ではなく、論理的な仕組みとしての活用ということになる。もっとも理想的な関係として信頼と信用が役割を分担することではあるかもしれないが、同次元で語られることは少ないかな・・。

医療における信頼は、経営上からも最も重要な要素である。信頼のあとに安心がある。「あの施設なら滅多なことはないだろう」という印象と認識には、経営上の対応が、どうしてもなくてはならない。人間の印象だから、どんなことがその感情回路に繋がるかわからない。職員の対応、診察室の雰囲気、広報誌の文章・・もちろんドクターの一挙手一投足、すべての印象などなど。信頼は信用と異なりすべて感情に誘導されて進んでいき、自らもシッカリ把握できない特性があるから厄介。やはりこれから個々のいのちと健康はご本人の主体性に、という思想が必要か。


BHI賞2018(事例評価)
BHIデザイン賞2018(広報誌評価)

ご応募ありがとうございまいした。
今後の経過は、HISサイトやこのブログなどを使ってご案内します。
どうぞよろしくお願いいたします。