コミュニケーションは伝わらない、人間が生きるから
企業でも病院でも、その成果を上げるために運用される組織的な環境では、人と人の関係づくりは大きな関心ごとといえる。それは「人が仕事をする」という場合と、「組織が仕事をする」という概念で意識される場合があるのだ。少しニュアンスが違うのだが、組織的な捉え方では、人が単位となって仕事を進め、成果に繋ぐというのが普通の理解の仕方になる。いずれにしても、単なる人の集まりや一時的なグループではなく、明確な目的に向けた人的機能として人の存在理由ということになる。
長年にわたり小さくても組織の一員として仕事をしてきた人には、ごく当たり前の話でも、そうでない人には、その感覚を活かしたやりとり、つまりコミュニケーションで損をしていくということになりかねない。それは仕事に限らず、コミュニケーションの取り方、質によって成果が左右されるということが信じられているからである。コミュニケーションがとれているかどうかの計測は、その価値観や感覚もさまざまで、人にはあまりにも難しい。そのために「いいコミュニケーションが良い結果につながる」と考えるしかない、困ったことだ。
いくらスッキリした話し方であっても、感覚的に違和感を持たれてしまうと理解も半減、イライラ感が残ってしまう。また、育った時代や住んでる地域が違っていたりすると、日常のわずかな感じ方の違いで相互の距離に悩んでしまう。まして同じ職場や環境であればあるほど、拡大機能が働き深刻になるから不思議だな。他者とのコミュニケーションは現代人の誰もが悩み疲れている。理解していてくれて当たり前、私ならもっと違うやり方でこうする、などと自分中心の考えになりがちで、それくらい私でもわかってる、はずという思いが攻めてくる。
そんな思いから一層その煙の中に引き込まれてしまう。誰でもそんな気持ちで悩んだことの一つや二つあることだろう。しかしながらドッコイそこは人間なのだ。そんなことは何十年もこの世にいてみんな知っている。きちっと真面目に考えるほど、シンドさが増してくるということも解っている、という側面がある。そうだからこそ現在なんとか出来ているのだと思う。そこで提案。目に見えるものに惑わされるのではなく、もう少し「粗雑」「ピンボケ」に考えてみることもイイかもしれないぞ。絵の修練にデッサンという技術があるぞ。
初めから細部まで書き上げるのではなく、まず大雑把な感じを捉え、自分自身と対話しながら次第に細部を繋いでいくプロセスだ。この感覚は新しい構想などの「見える化」に応用したり、経営企画を進めることにも使える。理想の完成を追求するのではなく、「コミュニケーションは完全に伝わらない」を前提に進める。伝わるコミュニケーションを疑ってみる。理念なんかも、思いが伝わらないからこそ必要だと‥。病院広報という場においても、「伝わらないからこそ目を離せない」という“心がけ”が大切、としておきたい。mitameya
写真は、10年以上前にデザインした北海道の医薬品企業の営業車ボデイのブランドデザイン
見た目で共感を伝えようとする戦略計画。バレオはラテン語で「健康」の意味。
企業でも病院でも、その成果を上げるために運用される組織的な環境では、人と人の関係づくりは大きな関心ごとといえる。それは「人が仕事をする」という場合と、「組織が仕事をする」という概念で意識される場合があるのだ。少しニュアンスが違うのだが、組織的な捉え方では、人が単位となって仕事を進め、成果に繋ぐというのが普通の理解の仕方になる。いずれにしても、単なる人の集まりや一時的なグループではなく、明確な目的に向けた人的機能として人の存在理由ということになる。
長年にわたり小さくても組織の一員として仕事をしてきた人には、ごく当たり前の話でも、そうでない人には、その感覚を活かしたやりとり、つまりコミュニケーションで損をしていくということになりかねない。それは仕事に限らず、コミュニケーションの取り方、質によって成果が左右されるということが信じられているからである。コミュニケーションがとれているかどうかの計測は、その価値観や感覚もさまざまで、人にはあまりにも難しい。そのために「いいコミュニケーションが良い結果につながる」と考えるしかない、困ったことだ。
いくらスッキリした話し方であっても、感覚的に違和感を持たれてしまうと理解も半減、イライラ感が残ってしまう。また、育った時代や住んでる地域が違っていたりすると、日常のわずかな感じ方の違いで相互の距離に悩んでしまう。まして同じ職場や環境であればあるほど、拡大機能が働き深刻になるから不思議だな。他者とのコミュニケーションは現代人の誰もが悩み疲れている。理解していてくれて当たり前、私ならもっと違うやり方でこうする、などと自分中心の考えになりがちで、それくらい私でもわかってる、はずという思いが攻めてくる。
そんな思いから一層その煙の中に引き込まれてしまう。誰でもそんな気持ちで悩んだことの一つや二つあることだろう。しかしながらドッコイそこは人間なのだ。そんなことは何十年もこの世にいてみんな知っている。きちっと真面目に考えるほど、シンドさが増してくるということも解っている、という側面がある。そうだからこそ現在なんとか出来ているのだと思う。そこで提案。目に見えるものに惑わされるのではなく、もう少し「粗雑」「ピンボケ」に考えてみることもイイかもしれないぞ。絵の修練にデッサンという技術があるぞ。
初めから細部まで書き上げるのではなく、まず大雑把な感じを捉え、自分自身と対話しながら次第に細部を繋いでいくプロセスだ。この感覚は新しい構想などの「見える化」に応用したり、経営企画を進めることにも使える。理想の完成を追求するのではなく、「コミュニケーションは完全に伝わらない」を前提に進める。伝わるコミュニケーションを疑ってみる。理念なんかも、思いが伝わらないからこそ必要だと‥。病院広報という場においても、「伝わらないからこそ目を離せない」という“心がけ”が大切、としておきたい。mitameya
写真は、10年以上前にデザインした北海道の医薬品企業の営業車ボデイのブランドデザイン
見た目で共感を伝えようとする戦略計画。バレオはラテン語で「健康」の意味。